本心|ぬくもり1-10
三人は例のごとく、冷房のきいた飲食店でたむろっていた。今日は、夏休みの宿題を持ち寄って、ドリンクバーのあるレストランで格安ランチを食べたのだ。平日の昼間であれば何も言われない。暑さのピークが過ぎるまで、ここに居座る腹積もりであった。
「うんうん。知ってる知ってる。」「それってさ、毎年やってる特番だよね。」
「そう。今年はメンバーがスゴイの。」「シンくんとアッキーと、マスミくんもなんだよ。」
「マジ?メッチャ豪華じゃん。」「えっ、カサイくんは?」
京奈と果歩は、相変わらずのガールズトークを炸裂させていた。
「うっそーっ!」「キャーッ、大変!ほんとに!?」「それってヤバくない!?」
「でしょでしょ!」「ぜったいリピートしまくりっしょ!」
だが、彩音は入れない。ぎこちない笑みを浮かべて、グラスのストローをクルクルと回しているだけだった。一体、自分はどうなってしまったのだろう。あれ以来、翔太のことしか考えられない。どこにいても、何をしていても同じであった。テレビを見ても、音楽を聞いても、必ず彼の笑顔が待ち構えているのだ。もう一度逢いたい。もう一度、あの澄んだ瞳を見てみたかった。もう一度、あのやさしい声に包まれてみたかった。
「あっ!」
京奈が最初に気が付いた。それから果歩だ。無言となる二人の視線の先を彩音が追った。
「偶然だな。僕らもランチしに来たんだ。」
近付く翔太に驚いていた京奈は、声をかけられた親友に目を丸くした。隣の席の果歩もだ。
「こっ、こんにちは。」「こないだは、どうも。ありがとうございました。」
えっ、こないだ!?こないだっていつだ。どうして、なぜ二人が親し気なのだ。京奈が、今度は目の前に立つ憧れの君の美しい顔を見上げた。大きく口を開いた果歩もだ。
「どうだった?」「少しは役に立ったのかな、あの本。」
あの本!?どの本だ!?京奈は心の中でそう叫んだ。もちろん果歩も絶叫だ。
「ちょっと、難し過ぎて…。」「あっ、でも、ところどころは理解できて、その…。」
「そっか。」「そうだよな。」
あまりに眩し過ぎる。あれほど逢いたいと願っていたのに、いざ目の前で微笑みかけられたら、脈拍が天井知らずに上がってしまい、もはや視線を向けることすらできなかった。
「ね、明日ヒマ?」
空耳か。はたまた緊張し過ぎの幻聴か。ないない、絶対にない。あり得ないセリフだった。
「明日の午後、ヒマだったりしないかな?」
「え。…明日?」「明日、ですか?」
本当に自分に言っているのか。喉がからからに乾いて、目の前がクラクラしていた。
「ヒマなら図書館で待ってる。」「3時とか、どう?」
完璧に殺される。彩音はもう、親友たちの顔を見ることができなかった。天使のリングを頭に乗せて、白い翼の生えた自分がどこか遠くの空へ飛んでいく。きっと、明日の3時には天国にいるはずだった。天国には、多賀翔太と言う天使が待っているのだ。妄想と現実とが、どう返事をしたかも覚えていない少女の胸を、ときめき一杯に膨らませていた。
「おっ!衝撃的。」「翔太がナンパすんの初めて見た。」
親友の大田大輔が、興味深げに割り込んで来た。翔太に負けず劣らず、人気の三年生だった。
「バカ、そんなんじゃないよ。」
「へえ、みんな可愛いじゃん。」「うちの高校?何年生?」
彼だけではなかった。サッカー部のイケメンたちが、たちまち三人を取り囲んだのだ。
「み、水川京奈です。1年2組の。」「あ、あの!」「サッカー大好き女子です!」
満面の笑顔で愛嬌を振りまく彼女に、今度は果歩一人が目を丸くしていた。
遥香は、自らがかかえる心の葛藤とも向き合わねばならなかった。乳房を失っても、生来の人格には何らも関係がない。治療さえ終えれば、妊娠や出産の可能性も十分に残されているのだ。見た目にこだわるのなら、今は再建する乳房の形までも選ぶことができた。女性としての人生を奪われるわけでは決してない。そう励ましていながら、夫の望む“外見”を拒んでしまった遥香自身を突き付けられていた。彼女は、偽物の自分が愛されるのを嫌ったのだ。職場への復帰を急いだのも事実だった。だが、まさかに勝の心が離れていくなど、夢にも思ってはいなかったのである。彼女は、たかが乳房と思い込もうとした。それが間違いであったかもしれないと、後悔が迷いとなって、満ち満ちていたはずの自信が揺るぎ出しているのだ。説得力を欠く言葉で、どこまでサポートして上げられるのか。遥香の心もまた、強い支えを必要としてるのかもしれなかった。
「来てくれて、ありがとう。」
遥香は、女子寮で暮らす和代のために、ホテルの客室を用意した。知らせを受けた彼氏が、取る物も取りあえず、翌朝一番で駆け付けて来たからだ。若年性のがんは進行が速い。どんな結果になるにせよ、二人を向かい合わせることが先決だった。事は一刻を争うのだ。
「ちゃんと話して欲しかった。」
飯田隆は、唇を噛んで悔しさをにじませた。
「本当に…ごめんなさい。」
目を合わせることができない。罪の意識と、これが最後になるかもしれないと言う予感が、一心同体だと信じてきた隆のことを遠くに感じさせていた。自分が別れたくないと涙を流せば、心根のやさしい彼が背中を見せるはずもなかった。だが、果たしてそれで、二人は幸せになれるのだろうか。少なくとも、両親に対する彼の新たな心の負担になることだけは確かだった。今は良くても、必ず後悔させることになる。いつの日か、隆の口から、あの時は同情したのだと聞かされたくはなかった。心ひそかに、諦める覚悟をしてきていたのである。
「過ぎたことはもういい。」「大事なのはこれからのことだ。」
「…うん。」
「病院、俺も一緒に行くからな。」
和代は、胸をえぐられる想いがした。
「いいの、一人で大丈夫。」「もう無理しないで。これ以上、隆に無理して欲しくない。」
やはり、ここが二人の限界なのだ。どう考えても、両親との板挟みにしてしまうだけだった。
「無理?」「何が無理?」「言ってることが理解できない。」
「やっと分かったの。」「もう隆を苦しませたくないの。」「私じゃダメなのよ。」
「なに言ってるんだ。俺がいつ苦しいって言った?」「なに一人で勝手に決めてんだ。」
抑えていた感情が、彼への想いが、身を切る言葉となって噴き出した。
「お願い!正直に言って!」「お前とは別れたいって!そう言って!」
声が震えた。涙をこらえる心もだ。
「もう限界だって!もう別れようって!ほんとのこと言ってくれていいの!もういいのよ!」
隆は、一瞬ためらった。だが、今しかないと決断したのだ。
「…ふざけんな。人の気も知らないで。」
次の瞬間、予期せぬ光景が彼女の目の前で始まったのだ。
「嘘…。」
―私は、誰よりも、あなたを、大切に、思っています。もしも、誰かが、あなたを、傷付けようと、したら、私は、あなたの、盾に、なります。―
お世辞にも上手であるとは言えなかった。和代は無意識に、両手の先で目頭を押さえていったのである。止めどもない涙が、その手の指を伝って流れ出していた。
―もしも、誰かが、あなたを、悲しませるなら、私は、全力で、相手と、闘います。いつまでも、何が、あっても、私の、気持ちは、変わらない。あなたと、一緒に、ずっと、ずっと、生きて、いきたい。心から、あなたを、愛しています。―
「いつ…。」
隆は、万が一の時が来るまで、手話を習っていることを隠しておくつもりでいたのだ。彼の愛は、とうに言葉を超えていた。生涯ただ一人。それが隆の本心だったのである。
「お前のいない人生なんて、クソ食らえなんだよ!」「忘れんな!」
ドヤ顔で笑いかける彼につられて、和代も、両手の中で微笑まずにはいられなかった。
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