南風の時子さん

袋小路 めいろ

居間

 縁側の香りが、鼻に抜けると春だと分かる。一頻り冬が終わると現れる妖精だ。

 年老いた二人には、その様な変化をゆったりと楽しむ時間があった。過去も未来も楽しめる、豊かな時間を手に出来た。二人の愛情、故の結果と言えるだろう。

 誰もが手に入れたい、綺麗な宝物としての時間に、心情に、黒も白も無く、共に抱きしめられていく日々であった。





 部屋の大掃除が終わると、時子はお茶の準備を始めた。丁度良いお茶請けを、お隣さんから頂いたのだ。この間、隣の井上さんの子供達三人の面倒を見た御礼であった。夫婦水入らずで、ゆっくり出来た様で、時子は笑顔だった。

 お隣さんとの付き合いは、いつの時代も支え合いであり、一つの道徳感を測る物差しでもある。

 時子は、お返しに洗剤や柔軟剤のセット物を渡す事にした。時子には、子供が三人居るのだが、三人共、洗剤を一月に送ってきたのである。時子の家では、三セットは要らない。海じゃあるまいし。

 小、中学生の子達が居る家でこそ必要な物だろう。幸いにも、洗剤や柔軟剤の銘柄が、井上さんの家で使っている物と同じだったので、快く受け取ってくれた。「また、いつでも」というやり取りが、恩着せがましくない時間になる。

 この様な形に出来るのも、常に新しい物を取り入れたいと考える時子の、人を惹きつける明るい雰囲気があっての事の方が大きい。「小汚いお婆さんにはならない」は、時子が還暦を過ぎてからの口癖になっている。

 楽しく暮らすのも、ただ居るだけでは、難しい事なのかもしれなかった。





 お湯が沸いた音がする。

 湯気が、換気扇を少し濡らして、温もりを届けていた。時子は、急須へお湯を入れると、湯飲みを戸棚から出し、湯飲みへお湯を入れた。時子は、辺りをキョロキョロしながら声を出した。



「あなたぁ、何処に居るの?お茶入れましたよ」



 シンとした後で、トンピシッ、トンピシッと二階で足音がした。時子は階段の下まで来ると、上に向かって声を掛けた。



「あなたぁ、お茶入れましたよぉぉ」



「あぁ、分かったぁ」



 返事を聞き終わった時子は、居間のテーブルに貰ったお菓子のがんがんを置くと、蒸らしていた急須とお湯で温めた湯飲みをお盆で運んだ。

 ミシュミシュと階段が反応すると、広樹が居間へ来た。一冊のアルバムを抱えている。



「がんがん入りのお菓子かぁ、クッキー系だなぁ。丁度、甘い物が欲しかったんだ」



 広樹は、お気に入りの座布団に座ると、がんがんの蓋を開けた。中には一つ一つ袋詰めにされた、筒型や円、四角いクッキーが入っている。



「有名な所のなんですって。あら、それはアルバムじゃない。また、一緒に見るんですか?」



 広樹の座る座布団の横に置かれた、アルバムに答える。



「うん、この機会だからね。でも、ちょっと待ってくれ」



 広樹は、がんがんに入っていたお菓子の小冊子を見ている。どうしても、そういった物を読んでしまうタイプであった。時子は、一つ目の緑のクッキーを食べ始めた。抹茶の香りが鼻へ抜けた後、独特の嫌じゃない苦味がきた。



「美味しいわよ」



 時子は、何時もより目が大きくなる。



「だろうなぁ、宇治抹茶って書いてあるからなぁ」



 読み終えると、広樹もクッキーへ手を伸ばした。乾いたビニールの音。続いて、クッキーが食べられる音。

 広樹は、お茶を一口飲むと、時子に言った。



「掃除した機会だ。大分、物は処分したが、思い出は大切だからね」



「あぁ、寂しいんですね。そういう所は変わらないんだから」



 時子は、女の子の顔に一瞬なった。広樹は苦笑いすると、テーブルの上でアルバムを広げた。時子の小学生の頃の写真

が笑顔で迎える。二人して見始めた。

 1枚目。

 2枚目。

 3枚目に可愛い巾着袋が写っている。時子は、それを見てある事を思い出した。そして、一人でクスクス笑い始めてしまった。



「あぁ、何か思い出したなぁ。狡いぞ、一人で楽しむなんて」



 広樹は、ゆっくり微笑むとしばらく待った。時子は、笑いが止まると一口お茶を飲んだ。息を吐くと、ゆっくり話し始めた。



「私の父さんと母さんが、喧嘩してるのを、始めて聞いた時を思い出したのよ。

今考えると、面白い事なのよ」



「ほぅ、どんな事?一席どうぞ」



 広樹の目は輝いていた。時子の顔も輝いている。一席始まるらしい。

 外は、午後2時の猫の様な天気だ。

 時子は話し始める。



「うんとね・・・」

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