あの日の魔女に捧ぐ

蛍:mch

【1】写真

 部屋の荷物を整理していたら、一枚の写真が現れた。そこに写っていたのは女の子と赤ん坊。歳の差は四つか五つぐらい。ベッドの上に寝ている赤ん坊を女の子が覗き込んでいて、その傍らには色鮮やかなラベンダーの花が飾られている。

「綺麗な花……」

 初めて見た写真だったけれど、彼女たちの正体はなんとなく把握できた。この家から出てきた写真である以上、被写体は私たち家族の誰かだと思って間違いないだろうから。

 この女の子たちが誰なのか、母なら正しい答えを知っているはずだ。荷物整理は小休止。私の予想を確かめるために、写真を手に一階のリビングへ降りた。


 台所に玉ねぎを炒める匂いが漂っていた。唾液を誘う匂いだ。

「お母さん」

「どうしたの? ご飯ならもう少しかかるよ」

「ううん。写真出てきた」

 私が写真を手渡した瞬間、母は小さな声で、あら、と言った。

「それって、私とお姉ちゃん?」

「そうよ。こんな写真、どっから出てきたの?」

「本に挟まってたみたい。なんか落ちてきた」

 母はわざとらしく頷く。どうやら心当たりがあるご様子。

「分かった! 魔法使いのお話でしょう?」

「ああ、どうだったかな」

 写真の方に気を取られてよく見なかったけれど、表紙が黒かったイメージはある。たぶん視界には入っていたのだろうが、本のタイトルは思い出せない。

 掠れた記憶を揺り起こすより、上にある実物を見に行った方がよっぽど早い。

「今持ってくるから待ってて」

 母はもう一度写真を見て微笑み、はーい、と適当な返事をした。


 一度あとにした部屋に改めて入ると、その散らかり具合に驚かされる。

 いくつかの段ボールが口を開けたまま転がっていて、さっき座っていた場所だけにぽっかりと空間が残っている。どうやって部屋を出たのか疑問なほど、足を置ける場所が無い。

 邪魔な段ボールを脚で押し退けて、モーセさながらに部屋の中央まで辿り着く。あるいは森の奥にけもの道でも作っている気分だ。

 押し入れのそば、小さな段ボールに立てかけられるように、その本は置いてあった。

 しゃがんで手に取る。黒い表紙、青い文字。たぶんさっき見た本で間違いない。タイトルは『しあわせになるまで』。サイズと雰囲気は、まさに子ども向けの絵本のそれだった。保存状態が良かったのか傷んでいる様子は無い。

 表紙を開いて、内容を読むわけでもなく、ばらばらとページを捲る。挿し絵に描かれているのは、紫色のとんがった帽子をかぶる女の子と、白いワンピースを着た女の子。

 たぶん初めて見る絵本だ。昔読んだことがあったら、絵を見れば思い出すだろうから。

 他に挟まっているものも無さそうなので、私は来た道を後ずさりした。


「お帰り」

 ちょっと上に行って戻ってきただけなのに、なんと大袈裟な物言いだろうか。まあ、文句を言うのも面倒なのでスルー。

「さっき言った本、見つけたよ」

「あ、見せて」

 はい、と手渡したとき、小さな後悔が生まれた。

「お姉ちゃんが好きで、よく読んで聞かせてたのよ」

 最近の母はどうも思い出に浸りたがる。そういう気持ちも分からないでもないが、お姉ちゃんの絵本を手にしたとあらば、何時間読み耽るか分かったものじゃない。昼ご飯は当分先になるだろう。

 やれやれ、これは早く荷物をまとめてしまえという天啓かな。

 嬉しそうな顔の母を見てから、私はまた二階へと上った。

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