第19話 立ち上がる狂気

炎爆霧中ファントムミラージュ! 炎爆霧中! 炎爆霧中……と見せかけてただのアッパー!」

 アッパーと叫びながら放った僕のストレートを普川は舌打ちをしながら防ぐ。……僕と優美VS普川の戦いはこんな感じになっていた。

 僕の動きに合わせて優美が放った水を、水蒸気へ変えたりあえて変えずにそのまま攻撃へ移ったりと、相手に出来るだけこちらのペースをつかませないようにしていた。

「へいへい! さっきの一時停止とやらはもう使わねえのか! 使えるもんなら使ってみろよ!」

 煽りとして言ってみたが、実際に僕が接近戦を始めてからこいつが先程の技を使っていないというのも事実だった。使えないというなら問題ないが、使っていないということなら話しは別になってくる。できればそこを判断したいところだが……。

 あの技、一時停止を直接食らったことのある僕は学校でのあいつの説明を九割方信じてしまっている。だが、ついさっき技をくらってもなぜか左腕が動いたこともあり、残り一割信じきれないでいた。

「使ってもいいが、簡単に終わらせても味気ないだろう? どっちみち俺が勝つんだからな。まったく、学校でおとなしく待っていればその女と神之以外は生かしてやったのに」

「見捨てるって選択肢はないって言ってんだろ。何度も言わせるなちょっと恥ずかしいんだぞ」

 普川へ向けて文句を言いながら、さっきの『一時停止』について思考する。しょぼいし日常生活での使いどころなんてろくにないだろうが……高速戦闘中には大きな力になる。

 今の接近戦で使わなかったのは本当に戦いを楽しみたいだけなのか? それにしてはこいつはさっきから僕と戦うのが面倒なのかやたらと諦めるように促しているようにも見える。

 接近戦では使えない? それに僕の左腕がさっき動いた理由はなんだ?

 全力で頭を動かし、一つの可能性を立てた。その検証にために一度普川から一気に距離を取り、優美の横までやってきた。

「優美、耳貸せ」

 普川に聞かれないようボリュームに最新の注意を払い優美にある指示をする。僕たちを訝しげに見ていた普川がアクションを起こす前に耳打ちを急いで終わらせた。

「まだ諦めてないのか? それとも男らしくそいつに逃げるように指示でも出してたか?」

「お前のつまらない手品を見破るための指示だよ」

 僕は腰を落としながら短くそう答えた。普川のアドバイスなど無視して……突っ込む!

 僕の突進を見た普川はすぐさまこちらへ手をかざす。途端、やはり体の動きが止まる。だが、隣から聞こえた水音が僕に希望の光をもたらしてくれた。

「龍ちゃん!」

 優美が僕を呼ぶ声が聞こえる……あいつはちゃんと指示通りのことをしてくれたようだ。そのおかげでちゃんと見破れた。

 すぐ横の地面に濡れた跡がある。これは僕が優美に指示して放たせた水だ。

 本来優美はもっと遠く……それこそ普川に届かせる勢いで水を飛ばした。にもかかわらずなぜこんなところで水は地面に落ちたのか。それこそがあいつの手品の正体だ。

「お前……相手のいるところに気をぶつけて止めてただけだろ」

 異能に変換される前の気はある一定量を越えると視認できるようになるが、少ない量だと透明になる。全速力での飛行ではともかく、ただ浮かんでいるだけの時は足から放出されるはずの気が見えないのがいい例だ。

 そんな気を、視認できない量のまま相手にぶつければどうなるか。透明のままの量でも人一人を浮かばせられるようなエネルギーなのだから……動きを止めるくらいはできる。

 それがあいつの言う『一時停止』の正体。全体にぶつけなければ止められないから接近戦ではむしろ使えないし、広範囲に気をぶつけるため能力に関係ない僕の横の水も一緒に止めたのがトリックの証拠だ。

「……まさかこんなあっさり見破られるとは……騙し甲斐のないやつだ。で、気づいたところでどうする? 特異点についてはお前たちを動揺させようとついた嘘だが……知ったところでどうしようもないのは変わらないぞ」

「どうしようもはあるさ。優美、あいつの手品はもう気にしなくていい。普通に僕を援護しろ」

「え、う、うん……」

 優美はいつでも放てるように両手に水球を出してそのまま手の中で留めている。それを確認してから僕はもう一度相手に突っ込んでいった。

「同じことだ!」

 相手が手を僕にかざしたタイミングで、僕は左手を前に突き出した。僕のやりたいことが分からないまま普川はそれでも構わず気を放ってくる。

「なっ!」

 あいつの技を受けても僕の体は一瞬も止まらない。完全に止めた気でいた普川はギリギリまで僕の接近を許してしまっていた。予想外の事態に動きの止まっている普川に追い討ちの炎爆霧中をぶつける。

 そのまま僕は本日二度目の必殺技をぶちかます!

「龍衝烈哭!!」

 クリーンヒット! 手応えは学校の時以上だ!

 普川は十メートル近く吹き飛び地面に倒れ伏している。追撃しようと考えるもあいつはすぐに立ち上がってしまった。

「な……んで……」

「わざわざ教えるわけないだろうが」

 先生に飲まされた薬の効果はまだ左手にしっかり残っている。あいつの本気の攻撃は防げないかもしれないが、さっきの技程度なら吸収できる。

 ……だが、吸収した量以上の気をさっきの技に使ってしまったから正直またガス欠気味だ。黒龍にまだ慣れていないせいで気を予想以上に使ってしまう。

「……まあいい」

 普川の手元に粒子が集まっていく。あれは……!

「さっきのは技はな……あれっぽっちの気で動きを止めるような格下にしか使えない技なんだよ。つまり、こっちが本気を出せばすぐ終わる」

 風斬、そんな名前の専用武器をあいつは片手で器用に弄んでいる。やばい、あれを出される前に終わらせたかったのに!

「優美! まだ行けるか!」

「余裕だよ!」

 声から疲れが感じられるが……気合いもばっちり感じられた!

 あの武器やあいつへの対策は思い付いていない。ならやるべきことは一つだけ。

「行くぞ! 実力でぶっ潰す!」

 言い終わる頃には普川は眼前に迫っていた。肩、腰、脚。体のパーツの動きから次を読む。ギリギリで刀を交わしカウンターを放つが、それもまた交わされる。

 殴る、避ける、蹴る、炎で燃やす、風が吹き荒れる、水が飛んでくる。

 あいつに溜まっているであろう確かなダメージ、それに優美のアシストが僕たちに五分五分の戦いをさせてくれる。でも足りない。あと一手、なにかあと一手がほしい。

 そんな焦りが僕の攻撃の手を緩めた事を相手は見逃さなかった。

 風斬が僕の右肩へ降り下ろされる。

「がっ!」

 肺の空気をむりやり押し出され呼吸が止まる。空気を吸い込むよりも早く追撃に向けて拳を構えるが……肺に空気が戻っても二撃目は打ち込まれない。

 そこでようやく気づくことができた、やつの視線が優美へ向いていることに。

「しまっ……!」

 まずい、まずいまずいまずいまずい出遅れた!

 優美がここでやられれば勝つのは絶望的だ。いやそれ以前にあいつはこっちを殺すつもりでいる。優美は生身なのだから簡単に殺されてしまう!

 脚に気を込めて、それだけじゃ足りない、手のひらから気を逆噴射、まだ足りない、もっと早く、早く早く、あいつに追い付いて、追い付いてからは? いやどうでもいいとにかく追い付かないと、早く早く早く!

 最適解を探し混乱する脳を置き去りにして体が勝手に動く。ぎりぎり追い付いたがこのスピードじゃ優美の間に入ることはできない。

 もうなんでもいい! とにかく一撃ぶち当てる!

「うおおおおおおおお!!!」

「だめ! 龍ちゃん!」

 優美の制止の声が聞こえるが、ここで止めるわけにもいかない。がら空きの普川の背中へ狙いを定めて拳を振り下ろす。

 手応えは……感じられなかった。

「かかったな」

 振り下ろした拳は避けられ、後先など考えていなかった僕は隙を見せる事になる。

 相手の小刀に気が溜まっていくのがわかる。さらに刀は風を……いや、暴風を纏っている。あいつはむしろそれを見せびらかせているようですらあるが、悔しいのはその間も僕が迎撃体制を取ることができないことだ。

 視界の端で優美がこっちに走ってきている。水もこちらに放ってきたが……少し遅かった。すでに小刀は僕に向けて動き始めている。避けることのできない僕は当たる場所を予測して気で防御に徹することしかできない。

 普川の風斬が僕の腹部に当たる。タイミングは予想通り、気も今の一瞬でできる限り腹部に集めてある。つまり防御は完璧だ。予想外だったのは……それでも予想以上のダメージを食らったことだ。

 肺から押し出された空気はさきほど違って簡単に戻せない。衝撃でせり上がった内臓が肺を圧迫してしまっている。

 視界が揺らぐ、脚に力が入らない。

 そして何よりも僕を絶望させたのは、黒龍が……希望の砕ける音が耳に届いたことだった。

「勝負はついたようだな」

 僕はひざをついた姿勢から立ち上がれない。そんな僕の上から余裕に満ちた声が聞こえてくる。

 こいつから離れないと……。

 後ろへ飛ぼうと動いた瞬間、あいつの脚が僕を蹴り飛ばそうとしたのが見えた。とっさに右腕でガードするが……ボキッという嫌な音が聞こえただけでろくにダメージを減らすこともできずに吹き飛ばされる。

「龍ちゃん!」

 吹き飛ばされた僕のところに優美が駆け寄ってくる。彼女は変な方向に曲がっている僕の右腕を見て声にならない声を出して涙目になってしまった。

 痛みに強い僕の体質と溢れ出るアドレナリンが骨折の痛みを消し去ってくれている。だが……当然動かすことはできない。人鎧がない上に右腕が使えなくなったとかいよいよもって笑えない。

 第二形態の人鎧は第一形態と違って破壊されても再利用ができる。しかし……形状復元に通常六時間程度、どんなに早くても三時間はかかる。

 主人公補正の力を信じて一度纏ってみるが……できたのは灰色のただの鎧。装着ではなく顕現になってしまう。

「生身よりはましか」

「……まだ戦うつもりか。さすがにもう逃げると思ったんだがな……俺の優しさに賭けて逃げてみたらどうだ?」

「お前が本当に逃がすつもりでも、逃げたら校長と先輩が不利になる。なら絶対に逃げない。ああでも優美、お前は」

「龍ちゃんが逃げないなら逃げない。龍ちゃんが死ぬなら私も死ぬ。それだけだよ」

「だってよ。満場一致で逃げないって結果になったぞ」

 僕は普川をまっすぐに睨み付ける。……まあ今の僕はダメージが大きくて膝をついたまま立ち上がれない状態だから、睨まれてもたいして怖くないかもしれない。

 相手は人鎧越しにこちらを見ていた。その視線に違和感を感じるがその正体はわからない。

「なあ……お前、ほんとにただの高校生なんだよな?」

「主人公で高校生だよ。そこ訂正しろ」

 普川はこちらに近寄るでも異能で攻撃するでもなく、まるでこちらを警戒するかのように距離を変えようとしない。もしかしたらさっきの違和感もそこにあったのかもしれない。

「主人公とか主人公じゃないとか、そんなの関係ないだろ……お前、今本当に死ぬかもしれないんだぞ? いや、かもしれないじゃない。間違いなく俺が殺す。二人とも絶対に俺が殺す。……なのになんで恐怖を感じない? まるで逃げようと思わない?」

「死ぬとか生きるとかじゃない、主人公だから」

「ふざけんな!」

 急に叫びながら、あいつは僕たちに気弾を飛ばしてくる。風の異能より破壊力のある気を使う辺り、本気でこちらを殺しに来ていることが分かる。生身に直撃すれば、今の僕たちでは簡単に体を吹き飛ばされることだろう。

 しかし、当たらなければどうということはない。ぎりぎりではあったが僕は顔の位置をずらして気弾を避けた。

 訂正。避けきれなかった。

 気弾は黒龍を模して顕現させた顔を覆う顕質を破壊しながら、僕の頬をかすめて後方へ飛んでいった。

 頬にどろりとした液体の流れる嫌な感触がある。汗……なんかではないだろう。間違いなく血だ。しかも結構な量が出ている。

 当然、こんなところじゃ止血などできそうもない。止血を諦めた僕は再び普川を睨み付けた。

「なんだよ……お前」

 普川は僕の視線を受けて一歩後ろへ下がった。まるで理解を超えた化け物を相手にして怯えているようだ。

 こいつは何をこんなに怯えているんだろうか。初対面の、しかも今すぐにでも自分が殺せるような相手に。

「おかしいだろ! 俺がもう少し大きい気弾を作ってりゃ頭吹き飛んで死んでたんだぞ! 死の一歩手前まで行っといてなんでまだそんな目で俺を見れる!? なんでまだ立ち向かえるんだ!!」

「大体の主人公はそうするだろ」

「それは漫画の話だろうが!」

 怒りを隠さず叫んだ普川は、僕の隣にいる優美を指差した。

「その女もさっきの電撃使いの女も、目の前に迫る死への恐怖はちゃんとある。それが普通なんだよ、死ぬのが怖いのは当たり前だ。命がけの戦いを何度経験したって怖いのは変わらないはず! 恐怖を覚えるとこまでいって、ようやく逃げ出すか逃げないかを決めるのが普通だろうが!」

 普川の放つ声なぜか震えている。優美へ向けていた指を次は僕へ向け、さらに続けた。

「なのにお前は……お前はなんなんだ! その女よりもお前の方が死の近くにいるのにどうして恐怖すら感じない! なんでお前には逃げるという選択肢自体が存在しない! ……お前の言う主人公ってのは一体なんなんだよ!!」

「主人公っていうのは」

 折れた腕も血が止まらない頬も無視して僕はその質問に答える。例え答える必要のない敵だとしても、その質問だけは僕は答えなければいけない。

「強くて優しくてかっこよくて、誰かが困ってれば助けてあげて、悪いやつはぶっとばして、どんな困難も乗り越えて、例え自分を犠牲にしてでも大切な人を守りきって……そして最後は絶対ハッピーエンドを掴みとるような存在のことだ」

 理想の主人公像を事細かに説明する。淀みなくすらすらと出てくる言葉に相手はなにも言えずにしばらく動きすらしなかった。

 頬から流れる血の量が少し減った頃、ようやく普川はまた話し始めた。

「……お前の言う『主人公』ってのがどんなのかは大体わかった。……でもそれじゃ今のお前の説明にならない。お前の憧れる主人公が強い心を持ってたとしても恐怖を感じない訳じゃないだろ!」

「お僕は主人公に憧れてるんじゃない、僕が主人公だ。だから死なないし、恐怖もない」

「……は?」

 気の抜けた声を出す普川へ、僕は立ち上がりながらさらに続ける。

「よく考えろよ。主人公が負けたら誰がみんなを守る? 誰が敵を倒す? 誰がハッピーエンドへ導く? 誰でもない、それは主人公にしかできないんだ。だから主人公は死なない、僕も死なない」

「お、お前は……」

 少し血を流しすぎたかもしれない。頬だけじゃなく、学校で撃たれたときの傷もまた開いて血が流れている。意識が少し朦朧として、考えがまとまらないまま口から漏れだしてしまう。

 まあいいか、どうせ当たり前のことを言っているだけなのだから。

 僕は一歩を踏み出す。普川は逆に一歩下がった。

「僕は負けないし逃げないし死なない、お前を倒してみんなで学校に帰る。それ以外この物語の終わり方はあり得ないそのハッピーエンド以外があっちゃいけない」

 さらに一歩。ゆっくりと相手へ近づいていく。

「僕は死なないお前を倒す倒さなきゃいけないそうしなきゃハッピーエンドじゃなくなる死なない死なない死ねない勝つ勝たなきゃいけない勝つしかあり得ないそれしか許されてない」

「……っ!」

 普川の手に先程よりも大きく高密度の気弾が作られている。後ろで優美がなにかを言っているが聞き取ることができない。

 それでも僕は一歩進む。

「僕のせいで誰かが泣くのは嫌だ僕のせいで誰かが傷つくのは嫌だ僕のせいで誰かが死ぬのは嫌だ誰かに何かがあればそれは全部僕のせいだだから全部守る全部倒す僕にはそれしか許されてない。だから──」

「来る……な……」

 さらに一歩、相手に近づく。

「──だから絶対お前を倒す」

「来るなあああああ!!!!」

 気弾がこちらへ飛んでくる。避けねばと思うものの僕の体はどうやらまたガス欠を起こしていたらしい。まともに言うことを聞いてくれない。

 あれを食らえばさすがに死ぬだろうか。いや大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫。

 絶対死なない、だって僕は主人公なんだから。

「避けて! 龍ちゃん!!」

 ……っ!

 その一言で一気に正気が戻る。声の主を確認するよりも早く、横から体を押されてしまう。誰が押したかなんて考えるまでもない。僕のことを押したのは優美だった。

 優美に押された体は脚に力が入らないせいで簡単に横に飛ばされる。僕のいた場所には、つまり今まさに人を殺せる気弾の軌道にいるのは……優美だ。

 その光景だけがやけにゆっくりと見える。

 優美の手から押された僕の体が離れていく。気弾はゆっくりと優美に近づいていく。

 目の前で幼馴染みが死へと近づいている。本人は満足そうに微笑んでいた。

 ………………嫌だ。

 僕のせいで誰かが死ぬのは嫌だ。お前が死ぬのは絶対に嫌だ。

 命を削る思いで気を絞り出す。動いた後のことなんて考えない。優美を助けることだけ考える。

 右足が地面に触れる。地面を弾く。一気に体勢を戻す。動く左腕を優美に伸ばす。

 間に合わない間に合わせる間に合え!!

 迫る気弾など眼中にさえ入れずただただ優美に手を伸ばす。

 やがて僕の指先が優美に届き──


***


 左腕が地面に転がっている。比喩でもなんでもなく腕のみが、である。

 繋がっているはずの胴体はなく、腕のみがだくだくと赤黒い血を流し続けている。

 その腕の持ち主は。

「龍ちゃん……嘘、だよね……?」

 座り込んで嘆く少女に目立つ傷はない。だが、彼女の涙の落ちた先には……明らかに死んでいると分かる少年の姿があった。

 腕の持ち主だった少年……龍人には腕だけではなく、腕のついていたはずの肩すら存在していない。

 それだけではない、心臓があったであろう位置から肩までの部分……つまり胴体を四分割した際に左上となる部分がまるごと失われている。

 彼を助けようと死ぬ覚悟すら決めていた優美はいまだ現実を受け入れられない。生気を失った龍人の瞳を見ても彼の死を信じようとしない。

 泣いて泣いてそれでもなお泣き止むことない優美とは対照的に、この惨状を作り出した張本人の普川は安堵していた。

「はは、は……」

 殺しても死なないんじゃないか。そんな恐怖すら植え付けられていたが、殺して死なない人間など存在しない。心臓を吹き飛ばされた龍人を見て、普川はそんな当たり前のことを再認識した。

 普川のターゲットは優美へと移行する。だが……彼は優美を殺すのを止めた。

 泣き叫ぶ彼女に同情したわけではない。ここから一刻も早く離れたい、それだけの理由である。

 自分が殺した少年とおそらく最後に殺す少女に背を向け、仲間のもとへ飛ぶ準備をする。ガス欠になった龍人とは違い彼はまだ戦えるだけの力を残している。

 だから何の問題もない。紫の人鎧を使うやつを倒し、全員で神之を殺してから異能対策部隊がここに来る前に逃げれば自分達の勝利だ。

 ……そのはずだった。

 背後から聞こえた誰かの足音が彼の恐怖を再び駆り立てる。

 常識的に考えればそれは優美の足音だろう。大切な人を殺された恨みを自分にぶつけようとしていると考えるのが妥当だ。

 あるいは他の仲間の戦いが終わってこちらの駆けつけてくれたのかもしれない。それか逆に誰かが負けてしまって相手の増援が来たのかもしれない。

 どちらにしろ焦ることはない。例え後ろに立っているのが誰だろうと、もうあいつは殺してある。相手次第で対策を考えればいいだけだ。

 ゆっくりと後ろを向く。体が拒否するかのように途中で一度止まってしまう。激しく脈打つ心臓が痛い。それでも……確認しないわけにはいかない。

 普川は心の中で何度も呟いた。

 この世に死なない人間は存在しない、人間はみな殺せば死ぬ、死んだ人間は生き返らない、もしそれでも生きているようならそいつは人間ではない。

 恐怖心を振り払い、現実を確認するために無理矢理体を後ろへ向かせる。

 そこで彼が見たのは。

「……よくも殺してくれたな」

 主人公のような、化け物だった。

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