スノウドロップ

高城 真言

第0話 監獄の花

 冷たく、薄暗いコンクリートに囲まれたその部屋で、女は天高くに添えられた小さな窓を睨みつけていた。自らの腕を握り締める指の先は細く白く、燃えるような赤い長髪と共にその空間から浮き上がって見えていた。天窓を通して溢れる光は、夕闇に染まり、薄暗さを一層のこと重苦しく演出させる。

「まだだ」

 細く、荒く息を吐き出し、女は更に爪を食い込ませた。確認するように、幾度となく繰り返すその言葉は、彼女の眼光を鋭く尖らせる。ぐっと背中を逸らして、上に手を伸ばした。髪に添えられた三輪の白い花が揺れる。

 黒い制服に身を包んだ男により、この息苦しい空間に閉じ込められる直前、彼女はその髪に似た鮮血を全身に浴びていた。記憶の中で彼女に手を伸ばすロマンスグレーの男は、彼女の父親だ。父を見下ろす血まみれの彼女の瞳は、今より更に鋭く冷たい。彼女の右手に握られた四十口径の拳銃が、男に突き付けられる。この拳銃は男が作ったものだ。彼女は今までにこれを扱ったことなどない。剥き出しのトリガーに人差し指を添え、彼女の眼光は男を射止めて伏せられた。すう、と息を吸い込むと、吐き出す息と共に二発。アトリエのように工具が散乱する小さな部屋を、血飛沫が赤に染め上げた。

「お前は、絶対に」

 男の吐息が聞こえなくとも、彼女の瞳は彼から視線を外させない。震える声とは裏腹に、真っ直ぐ男を射止める銃口から、残りの三発が射出された。

 そのときのしびれを、彼女はもう覚えていない。あまりにあっけなかったのだ。身体に染み付いた鉄の匂いだけが、記憶を思い起こさせる。天窓を睨みつけたまま、口元に笑みを浮かべた。次第に笑い声が漏れ始める。

「まだ……まだ…… フリージア、お前のために……」

 首を鳴らしながら立ち上がると、手足に繋がれた鎖がジャラジャラと音を響かせた。煩わしい枷だ。

「早くここから出せ! 私には、まだ殺すべき奴がいる!」

 女は吠える。その声を押え付けるように、鉄板の扉がけたたましく叩かれ、手足の鎖が締まる。舌打ちを落とし、女は大きく手足を振るった。もう随分とこの冷たい空間に押し詰められている。

 彼女は、親殺しの罪でここにいる。父は拳銃の製造に当たる職人、ガンスミスであった。その父の拳銃で、その父の身体に風穴を空けた。黒服が駆け付けたとき、女は顔色を変えずに黒服の顔をじっくりと観察していた。探し物をするように。親殺しは驚異的な身体能力に目覚める。女も例外ではなかった。取り押さえるために、男が数人束になっても適わず、麻酔銃でようやく大人しくなったのだ。黒服と公安委員会は通じている。この牢獄は、公安のものだ。

「……?」

 女は手足に違和感を覚えた。鎖が緩んでいる。先程までキツく縛り上げていたのが嘘のようだ。女が自身の手を凝視していると、重い鉄の扉がギシギシと開かれた。女の部屋と大差ない薄暗い灯りが扉の先から漏れる。目を凝らすと、小さな影が見えた。

「誰だ」

 女が問う。影の主は口元を緩ませると、女の前に躍り出た。

「お姉さん、ここから出たいんでしょ?」

 女の頭一つ程小さい、子供だ。後ろに公安の男たちを連ねている。その様子に大仰に顔を顰めてから、女は少年に歩み寄った。大人たちが少年の前に慌て身を乗り出し女を近寄らせまいとするが、少年は笑みを浮かべてそれを制する。歩みを進め、女の間近に迫る。その小さな顔で女を見上げて、そのまま手を差し伸べると、口元の笑窪が一層深く刻まれた。

「カルミア=リリー。僕の仕事を手伝ってよ」

 これは数日前の話だった。

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