ソフィの家
久徒をん
第1話
「さあ着いたぞ」
ブラットは車から出ると黒い鉄の門扉を開けた。
「うわあ、大きい家だね」
「そうだろう、車を置いて来るから先に玄関の前で待っていなさい」
ブラットは息子のカイルと妻のメリッサを降ろし、再び車に乗り庭に入って行った。
「さっ、カイルこっちよ」
メリッサは8歳のカイルの手を引いて家へ向かった。
門から少し入ったところに水が止まった小さな噴水があった。家は中流層より若干上のクラスの人間が住みそうな上品で古びた2階建てだ。二人が玄関の前で待っているとブラットが歩いて来た。
「さて、中に入るか。3日前に掃除を頼んだから綺麗な筈だ」
ブラットがドアの鍵口に鍵を差し込むとロックが外れる音がした。
ドアを開けると明るい廊下の奥にリビングが少し見えた。
「うわあ、すごい」
カイルは喜んで中へ入った。
「どうだ、すごいだろう」
ブラットの声を無視してカイルははしゃいでいた。
「早いものね。お母さんが亡くなってもう1年経つなんて」
「そうだな」
メリッサの言葉にブラットは見回しながら呟いた。
ここにはブラットの母親が一人で住んでいた。父親は5年前に亡くなった。
ブラットの家族はこの家から1時間程先の街のマンションに住んでいたが、母親の死を機に引っ越す計画を立て、ようやくこの日を迎えた。
リビングには古い置物や時計が並び、母親が生前に住んでいたままの状態だった。ブラットが度々清掃業者に掃除を頼んでいたおかげで家の中はとても綺麗だ。
「ねえ、僕の部屋は?」
「ああ2階の階段のそばの部屋だ。一人で行けるな」
ブラットがカイルに優しく言うとカイルは「うん」と言いながら2階へ上がって行った。
「さて、寝室の方はどうかな」
「シャワーを見て来るわ」
三人はバラバラに家の中を見回った。
メリッサはこの家に引っ越す事を迷っていた。
ブラットとの結婚が決まってこの家を訪ねた時、ブラットの母のミーガンと父のアレックスが笑顔で迎えてくれた。
四人で楽しく食事をした後、ミーガンは寝室へメリッサを連れて行き、指輪を渡した。
「すごいわ、本当にいいの?」
模様が刻まれた銀色の指輪を手に取ってメリッサは喜んだ。
「ああ、いいよ。これはね、家に代々伝わる指輪で祝福が込められているんだよ」
「祝福?」
「ええ、悪い事が起きない様に祈りが込められた指輪だからメリッサにきっといい事があるわよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
メリッサは指輪をとても気に入ってその場ではめた。
それからメリッサ達はリビングに戻って軽く談笑した。
「メリッサ、先にシャワーを浴びたら?」
ブラットが思い出した様に言った。
「ええ、そうするわ」
メリッサは立ち上がりバスルームへ入った。
バスルームのスイッチを入れて洗面台の鏡を何気に見ると、鏡に映った自分の後ろの壁に小さな木目の額縁に囲まれた花の絵が飾ってあった。メリッサは振り返って花の絵を見てまた鏡に目を向けると黒いフードをかぶった男が背後に立っていた。
「…!」
メリッサは声にならない悲鳴を上げてとっさに振り返ったが誰もいなかった。そして鏡を見ると
『ここは私の家だ』と赤い刺々しい文字が書かれていた。
「きゃあ!」
メリッサは悲鳴を上げた。
悲鳴に駆け付けたブラットはドアを激しく開いた。
「どうしたんだ!」
「鏡に文字が!」
「文字?」
「そうよ、それに男の人が!」
メリッサは怯えながらブラットに訴えた。
「どこにもないぞ」
「でも、そこに…鏡に書いてあったの!『ここは私の家だ』って」
メリッサを見るブラットの表情が優しくなった。
「メリッサ、君は少し疲れているんだ。大丈夫だ、少し休もう」
うずくまっているメリッサをブラットは抱き締めた。
「そうね。ごめんなさい、今日はもう寝るわ。」
メリッサはブラッドの腕をほどいて立ち上がり、急ぎ足でバスルームを出た。
メリッサはそれ以来この家を訪れなかった。1年前のミーガンの葬儀は墓地で参列しただけで後は全てブラットに任せた。
恐る恐るメリッサはバスルームのスイッチを入れた。洗面台、鏡、花の絵…あの時のままだった。奥の浴槽も特に変わった様子はなかった。
メリッサは脱衣所に戻って鏡を見た。
『呪ってやる』
赤い文字が刺々しく書かれていた。
「…!」
メリッサは驚いたが、目を閉じてひと息ついて気分を落ち着かせた。再び目を開けると文字はなかった。
「疲れているのよ…」
メリッサは銀色の指輪を触りながら自分に言い聞かせてバスルームを出た。
その晩は引っ越しの疲れのせいか、食事の後、カイルはすぐに子供部屋で眠った。
メリッサとブラットは寝室のベッドで横になっていた。
「どうだ、少しは落ち着いたか」
ブラットがメリッサの髪を撫でながら訊くと
「ええ、少しはね」
ブラットの手を優しく握りながら答えた。
「ありがとう。引っ越すのに賛成してくれて」
「いいのよ。私は大丈夫だから」
メリッサの脳裏に鏡に書かれた『呪ってやる』の文字が浮かんだ。メリッサはブラットにゆっくり抱きついた。
「大丈夫だ。何も起きない。狭いマンションから解放されてこうして広い家に住めるんだ。これから三人で楽しく暮らそう」
ブラットが耳元で呟くとメリッサは「そうね」と答えて目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます