津田ンカーメンの日常(短編集)

ヤミヲミルメ

ファラオに柑橘の果汁をささげよ!

この回のお題

【タイムパラドックス】【共同体≒世界<私の大切なモノ】【死を記憶せよ】【制服の第二ボタン】

旧タイトル

『りめんばー・ツタンカーメン』




 蝉の声の響く放課後。

 受験勉強のためのエアコンを求めて軽部の部屋にやってきたはずの津田は、学生カバンから図書室のマークのついた本を取り出し、数ページめくって「前に読んだやつだ」とうめいた。

「また古代エジプトの研究本?」

「エゴサ」

 軽部はうんざりな顔をした。

「それ、まだ言ってんの?」

「うん。おれの前世はツタンカーメン」


「それさあ、縁起が悪いからもうやめない? オレ達そろそろツタンカーメンが死んだ時の年齢じゃん?」

「じゃあおまえが思い出すのもそろそろかもな」

 津田は軽部の手から教科書をスッと取り上げて、代わりに図書室の本を押しつけた。


「オレもこれ、前に読まされてるぞ。古代エジプトの宗教だと、死後の世界は永遠の楽園なんだから、生まれ変わりなんてないだろ?」

「生まれてすぐに死んだ子供は同じ親のところに転生する。大人が転生するのは『アンプとバタの二人兄弟物語』みたいな特殊なケースだけだけど。

 おれの場合はな、おまえと身分差ナシでつきあってみたくて、トート神に頼んで、おれとおまえと、おれの王妃とおまえのカミさんとで、特別に転生させてもらったんだ。だからおれ達、こっちで死んでも極楽浄土とかじゃなくって、またアアルの野に戻るんだぜ」

「また自分は王様でオレはシモジモのモノでみたいな話をするー。オレの前世を勝手に決めるなよー。あと、オレの姉貴を王妃の生まれ変わりだとか言って口説くなよなー。それからオレの前世のカミさんってのをさっさと連れてこーい」


 姉が持ってきてくれたオレンジジュースをすすりつつ、図書室の本の表紙を眺める。

 ツタンカーメンのミイラにかぶせられていた、有名な黄金のマスクの写真。

 軽部も幼い頃は津田と同様、古代の世界に興味津々だった。

 もっとも軽部が恐竜や原始人も同じくらいに好きだったのに対し、津田は古代エジプト、それもツタンカーメンが生きていた新王国時代に特化していたが。


「オレ、この人の話、嫌い」

 軽部がぼそりとつぶやいた。

「ええ!? 何で!?」

「だって悲しいじゃん。やっぱ……死なないでほしかったな……」

 ツタンカーメンの死因については諸説あるが、立ち乗り馬車チャリオットから落下しての足の怪我からの感染症というのが有力である。


「……人は誰でもいつか死ぬだろ」

「ツタンカーメンは早すぎるよ。可哀想だよ」

「まあ、生きている人間の感覚だとそうだけどな……でも、若くして死んだからこそ、この研究本みたいにロマンチックに語られてるんだぜ。もっと年を取ってから死んでたら、ここまで有名にはならなかったぞ」

「有名になんかならなくていいじゃん! 生きてる方が大事じゃん!」

「古代エジプト人にとっては重要なことなんだよ。死者は人々の記憶の中で生き続ける。魂は、人の記憶から消えた時、存在そのものを失う。だから古代エジプト人は巨大なピラミッドを建て、遺体をミイラにして、死を未来に記憶させたんだ。

 ピラミッドは王の墓ってだけじゃない。建設にかかわった人々や、その子孫や先祖の魂が、ピラミッドに集い、ピラミッドとともに生きるんだ。

 クフとかカフラーとかメンカウラーとか、名前が伝わっているのはファラオばかりでも、おれ達未来人がピラミッドを想う時には、その石を運んだ名もなき人々にも想いをはせる。その想いによって、墓の主たるファラオだけでなく、名もなき人民にも永遠の命が与えられる。ピラミッドってのはそのためのものなんだ」

「いや、ツタンカーメンはピラミッド建ててないじゃん。王家の谷って、岩に掘った洞窟が並んでるとこじゃん」

「巨大ピラミッドは建設費が半端ないからな。おれが言いたいのは、それだけ深刻に“忘れられるのを恐れてた”ってことだよ。命がけのピラミッド建設に進んで参加するぐらいに。

 だから仮にタイムマシンか何かでツタンカーメンを助けてしまった場合、ツタンカーメンとともに記憶されてきた同じ時代の魂達が……

 って、コラ、軽部! 人が話してんのにあくびすんな!」


 それが軽部が聞いた最後の言葉だった。

 昨夜は夜遅くまで真面目に勉強をしていたのだ。

 軽部の意識は闇に落ち、気がついた時には古代の景色の中に居た。




(オレはどこに居るんだ?)

 照りつける太陽。

 日干しレンガの家並み。

 津田に見せられた本の中の景色。

 それはわかる。

 だけど……


(オレはどこに居るんだ?)

 目の前に神殿があるかと思えば、瞬きをした直後には果物屋に変わる。

 路地を歩いているかと思えば、空から屋根を見下ろしている。

 大通りは祭りの最中のようだ。


 露店の中、パレードの中、観衆の中と、軽部はパッ、パッ、とワープをくり返す。

 二頭の白馬に引かれた一台のチャリオットが軽部の目の前を猛スピードで走り抜け、祭りの主役の勇ましい姿に歓声が上がる。

 しかし……

 チャリオットの手綱が切れ、ファラオが台座から振り落とされた。


 助けたい。

 そう思った。

 津田が言っていた小難しい話なんかどうでもいい。

 目の前で生きている人を死なせたくない。


 次の瞬間、軽部はファラオの真下にワープしていた。

「キュウ~っ!!」

 ファラオが落下したのは軽部の上。

 軽部の体がちょうどいい具合にクッションになった。


 家臣が駆け寄る。

 助け起こされたファラオは無傷なようだ。

 軽部には古代の言葉はわからないが、ファラオがツタンカーメンと呼ばれているのだけはわかった。

 ツタンカーメンがカルブに微笑みかけた。

 赤銅色の肌。

 虫除けのアイシャドー。

 だけど……

「津田?」

 うり二つだった。




 目が覚めると、部屋には軽部の他には誰も居なかった。

「津……田……?」

 カバンも、図書室の本もない。

 帰ってしまったのか?

 いや、それにしては何かがおかしい。

 机には、からになったコップが一つだけ。

 姉の杏は確かに二人分のオレンジジュースを持ってきてくれたのに。

 まるで最初から自分一人しか居なかったみたいだ。


 ドクン。


 心臓が跳ねた。

(まさか本当にタイムスリップしていたなんてわけないよな……?)

 本棚の片隅からは、津田にもらったというか押しつけられたアヌビス神のフィギュアも消えていた。


 ドクン。


 胸を押さえようとして、親指の爪が制服の第二ボタンに当たってコツンと小さな音を立てた。


 ドクン。ドクン。ドクン。


 まだ遠い卒業式で第二ボタンが求められるのは、数あるボタンの中で、もっとも心臓に近いから。

 古代でも現代でも心臓は重要で、古代エジプトでは魂は心臓に宿り、ものを考えるのは脳みそではなく心臓の役目だとされていた。

 そんな話まで覚えるぐらい、軽部は津田の趣味につき合わされてきた。


 そういえば、今までに津田に見せられてきた古代エジプトの研究本の半数近くは、表紙がツタンカーメンの黄金のマスクだった。

 あまりに若く、ファラオとして功績を残す前に死んだがために、ファラオにしては小ぢんまりした墓のありかは記録として残されず、結果的に盗掘をまぬがれた王墓。

 もしもツタンカーメンが他のファラオのように活躍していれば、その墓は他のファラオのもののように泥棒によって荒らされて、あのマスクが二十世紀になって発見されることは……その存在の記憶が現代によみがえることはなかったはずだ。


(オレがツタンカーメンを助けたせいで、タイムパラドックスが起きてツタンカーメンが有名にならなくて……古代のロマンがよみがえらなくて、津田がエジプトに興味を持たなくなったのか……?)

 スマホを手に取る。

 津田の名前が出てこない。



(何で……?)

 エジプトマニアじゃなくたって、ツタンカーメンの生まれ変わりだなんて馬鹿なことを言ってなくたって、津田は津田のはずだ。

(……確か津田は両親そろってエジプト好きで、出会ったのは図書館で同じ研究本を二人同時に取ろうとして手がぶつかったからだとか言ってたよな)

 その研究本がツタンカーメンのものなら、その本は存在しなかったことになり、両親は出会わず、津田はこの世に生まれてこない。


(嫌だ)

 津田が存在しない世界なんて嫌だ。

 さっき見た、古代の人々を思い出す。

 ファラオが無事で、本当に嬉しそうだった。

 安堵に満ちた観衆の中には、軽部にそっくりな……前世の軽部の姿もあった。

 ある本によれば、ツタンカーメン王の死で、エジプトは大変な混乱に陥ったらしい。

 だけど、あの人達全員を、前世の自分を……それにあの場に居合わせなかった何倍もの人間を泣かせてでも……

(もう一度オレを古代エジプトへ……! さっきのオレを止めさせてくれ……!)


 さっきは眠ったらタイムスリップをした。

 軽部はベッドに腰をかけた。

 そして……

 手の甲を口に当てて、ブーッとおならのような音を立てた。

「てめー! 軽部! このやろー!」

 ベッドの下から津田が飛び出した。

 蒸し暑いのに我慢して隠れていたからか、制服の白いシャツを第二ボタンまで開けている。

 軽部は腹を抱えて笑い転げた。




 軽部の夢の内容を津田が知っていた理由について、津田はトート神から習った魔法の力であの夢を見せただなんて言っていたが、そんなわけはない。

 どうせ寝言を聞いたのだろう。

 津田のいたずらに軽部が気づいたのは、津田がベッド下に隠れた分、もともとそこにあった良からぬ書籍が押し出されて床に散らばっていたからである。

 それらの書籍をベッド下に隠し直している最中に、杏ねえさんが入ってきて、二人は厳しく叱られたのでした。

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