笛の音色

 茶色が見つけた笛を先に試したのは少年だ。小さな笛から出てくる音は思っていたのより遥かに大きなものだった。

「すごいな」

 地下の通路に響き渡る音に茶色が感心していた。

「すごくないよ、多分。やってみる?」

 笛には少年が布を裂いて作った紐が結ばれている。少年は自分の首から紐を外し、笛と一緒に手渡した。

 茶色は少年の真似をして紐を首にかけると迷わず小さな笛をくわえ息を吹き込んだ。最初はあまり大きな音ではなかった。慣れてくると少年と同じぐらいの音が、そのうち少年よりも大きな音が、二人の他には誰もいない通路に鳴り響いた。

 息を全て吐ききった茶色の顔は赤く染まっていた。息を吸い込もうと大きく開けた口から落ちてしまった笛は、結ばれた紐のおかげで胸に留まった。

「紐はいいな。すごくいい」

 嬉しそうに笛に触れる。

「笛は?」

「もちろん、いい」

「返すよ、笛」

「わかった」

 茶色はまたくわえ、大きな音、小さな音、様々な音を出した。

 少年にとって居住区で大きな音を出すことはためらいがあった。おじさんが居住区では大きな音を出すなと言っていたことを少年はずっと気にしていた。けれど、この前おじさんは地下で大きな声で歌っていた。地下なら大丈夫なのだろう。居住区はどこもかしこも丸天井からの音で騒がしい。この地下の通路は多分誰も知らない。ここから笛の音が漏れたところで、何の音なのか、どこから聞こえているのか、誰にも分かるはずはない。

 少年は自分をそう納得させていた。

「なあ、言ってた音楽っていうのは、こういうのなのか?」

 茶色はまだ愛おしそうに笛をいじっている。

「ああ、音楽は違う、みたい。よくわかんない」

「これも楽器なんだろ、これだけでも面白い」

「ああ。でも、楽器は他にも色んなのがあるんだ」

 そのひと言が茶色の好奇心を刺激してしまった。

「どんなのだよ」

 茶色は知りたくてたまらない風だ。

 少年は茶色を見た。地下の楽器庫のことを説明するわけにはいかない。それはダメだ。

「地下にあるんだ、色んな楽器が置いてある場所が」

 気持ちと裏腹に楽器庫のことを話し始めていた。

「行きたいな」

 迷いのない目だった。

「ダメだよ」

 少年は視線を避けるように顔を伏せた。

「なんで?」

「だって」

 おじさんとの秘密なのだ。図書館への通路は、おじさんとの絶対に守らなければいけない秘密なのだ。

「いつ行く」

 茶色が急かす。

「いや……」

 返事は弱々しかった。

「いつだよ」

「やっぱりダメだよ」

「なんで」

「なんでって……」

 おじさんとの秘密という以外に理由は無い、それはよく分かっていた。

 おじさんには言わなきゃいい。

 心の中からそんな声が湧き上がっていた。

 言わなければいいだけじゃないか。学校に寄り道してることもちゃんとは言っていない。配給所の行き帰りにどこに行ったとか、そういうことはいちいち話していない。茶色と会っていることも、文字を教えていることも、おじさんにはひとことも話していない。多分、こうして地下通路で二人で笛を吹いていることも、おじさんに話すことはない。

 秘密にしてしまえばいい。二人だけの秘密に。茶色がおじさんと会うことはないだろう。だから、楽器庫に連れて行っても自分がそれをおじさんに話さなければいい。

「いつだよ」

 茶色は焦れていた。

「わかった。行こう」

 少し上ずった声だった。

「本当か?」

 声が弾んでいた。

「本当」

 少年も喜びを噛み締めたような声になっていた。

 茶色と秘密を分かち合う度に胸の奥がくすぐったくなってしまう。今回の秘密は特別なものになりそうだった。

「よし、じゃ、すぐに」

「ダメだよ、それは」

「なんだよ、すぐにじゃないのか」

「準備ができたら」

「準備って?」

 茶色に聞かれて少年は声を出さずに笑った。

「色々」

 まだ言わない。秘密だ。

 ポケットの奥にある鍵を確かめた。

 あのマントをどうするか、うまい答が見つからなかった。

「どこで待ち合わせる?」

 茶色が聞いた。

「どこって学校じゃなくて?」

 少年には茶色の質問の意図がよく分からなかった。

「おまえが住んでる建物の入口でもいいぞ」

 茶色はまっすぐ少年を見つめていた。

「オレは知ってるんだ。ずっと前から、オレは」

 茶色の目が妖しく輝いた。

 少年は茶色の目から逃れるように顔を背けた。

 少しだけ、寒気を感じた。

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