今宵の月は ネコの爪痕

近藤 セイジ

第1話 

 ぶんぶんとハエがうるさい。音のする方へ右上段回し蹴りを食らわせた。パシュ、っという軽い音と共に耳障りな音が消える。イエス、オレ。回し蹴りはハエにジャストミートして、ハエは川沿いの草むらへ消えていった。

 十月だというのに、この暑さはたまったもんじゃない。オレは学生服を脱いで肩にかけた。

「たった十六年生きたぐらいでこんな気持ちを味わされるなんて、人生というのは思ったよりも辛いかもしれない」

 キハチは水面を見つめて、真面目な顔をして言った。相変わらず、キザなセリフをはくヤツだ。

 一昨日、同じクラスの柳田絵美が死んだ。自宅の団地から、飛び降り自殺だった。警察の現場検証では遺書は見つからなかった。

 今はその葬式の帰り。よっぽど遺体の損傷が激しかったのか、棺桶の蓋が開くことはなかった。顔も見られないまま焼香をして、うつむく絵美のおばさんに会釈をして帰ってきた。あの箱の中に絵美がいたかと思うと、不思議な気がした。先週の金曜日までは、普通に学校に来ていたのに。

「なんで絵美は自殺なんかしたんだろね」

「わからないね。アイドル活動で行き詰まったとか。なんかあったんだろうね」

 キハチは近くにあった石を拾うと、アンダースローで川に投げつけた。石は一回も水を切ることなく水の中へ沈んでいった。キハチは少し恥ずかしそうに、ずれたメガネを直した。

 絵美は高校へ入学すると街でスカウトされて、Sweet Potato 365(以下、スイポテ)というアイドルグループに加入した。オレはキハチと、絵美の親友のみさに誘われてスイポテの初ライブを観に行った。みさはキハチの幼馴染でもある。

 フロアの半分ぐらいしか埋まっていないライブハウス。ステージの上では八人の女子がジャガイモをあしらった衣装を着て、飛び跳ねていた。


  おもちゃ箱から、ポテトが出たよ。

  フ、フ、フ、フライドポテト~

  そしてワレワレ、スイート・ポテト、サン、ロク、ゴー


 わけのわからない歌。キワドイ衣装にパンチラ。低い声の掛け声と、激しい踊りで盛り上がるおじさん達。あれが大きなお友達ってやつか? ちがうか?

 とにかく、あまりのことに度胆を抜かれた。世の中には観ていいものと、観てはいけないものがある。

 それから何度かライブに誘われたけど、それ以来行かなかった。キハチとみさは何度か行っていたみたいだけど。

「でも、悔しいよ」

 キハチはうつむいたまま言った。オレは近くにあった石を拾って川に投げて言った。

「まぁ、でも、しゃあないでしょ」

「え、仕方ないってなんだよ」

「なに、キレてるの? お前」

 キハチはオレを睨みつけた。

「別に。怒ってないよ」

「もしかしてお前、何とか出来たとか思ってるのか」

 少しの沈黙が流れた。

「たとえ何にも出来なかったとしても、そんな言い方ないでしょ」

 キハチは低くつぶやいた。少なくともオレは、間違ったことは一つも言ってない。

「……もういいよ。僕、コンビニ寄っていくから」

 キハチはため息をつくと、踵を返して来た道を戻って行った。なんだよ。お前ばっかりが悲しがってるみたいじゃねえか。オレだってそれなりに悲しいんだよ、クソが。


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