第1話

「散っていいよ」

手にしていた銃に向かって口を開くと、それまで、ずっしりとあった重みはふわりと軽くなる。宙に浮き、音も立てず紙に戻ると、千切り絵のように細かくなっては、桜の花びらのように小さくひらひらと舞って消えていく。

視線を前にやった。三輪車くらいの黒いもやもやとした物体は体を折り曲げ、時折、こちらを見てはより一層体を縮こまらせた。

ジャージのポケットから絵巻を取り出して、空へ放り投げる。滑らかに絵巻は広がると、コイツと同じような絵がいくつもそこにあった。

いわゆる「魔」だ。

絵巻はそのまま宙を漂う。広がった絵巻が静かな海の波のように揺れた。

「早く入りな」

そう言うと、辺りは暗いというのに絵巻だけが淡く水色に光って、黒い物体、魔を吸いとっていく。

『あんな奴、消えればいいのに』

 完全に魔を吸い取ったその瞬間、そんな声が聞こえた。元々、魔は汚らわしい言葉や負の感情の言葉の集まり。だからなのか、封じ込めるときには必ずもととなる「声」が聞こえる。

やがて、絵巻の光は消え、自分で丸くなって私の手元に戻ってきた。

「美月様」

 擦れた声がかすかに耳に届く。振り向くとパジャマ姿のケンが走っていた。まだ、少し肌寒いくらいだというのに、うっすら額に汗をかいている。

「いつも、魔狩りは一人で行動しないでくださいと言っているではありませんか。美月様は藤堂家の次期御頭首。それでなくても、紙者使いの七大名家のひとつ、藤堂家なんですから」

 絵巻を広げてさっきの魔を確認している間、ケンは肩を上げて息をしながら、それでも、口早にそう言った。深く息をついたあと、ケンは横から絵巻を覗く。

「さすが、美月様、もう魔を倒されたんですね」

 隣に並ぶ魔に比べたらいささか小さい。昨日のは、大きさも魔の想いも強かった。

「うるさい」

 ケンの方を見もせずに絵巻を丸め、紐でとめてジャージのポケットへ戻す。

 空を見上げる。満月だった。気味の悪いこの山のうっそうと茂った木の先に、何も知らないように月だけがキレイなままだ。ケンも私と同じように月を眺めたところで、先に歩く。もう人気ひとけのないところは充分に巡回したから、次は住宅街を回って帰宅するだけだ。

「待ってください」

 山を下り始めた私のあとをケンが追ってくる。それでも気にせずに先に道路へ出て住宅街へ足を向けると、ケンは私の横へ並んだ。すっかり暗くなってもうほとんどの人が夢の中のはずの午前4時前。家の明かりなんてついてるところは見渡す限りはない。

「あともう少しですね」

 巡回は、基本的に午前2時から午前4時まで。この時間帯に一番魔が発生するからだ。

 左隣でケンが携帯電話を開く。最近、私のお母さんに買ってもらったらしい。待ち受け画面が何故か私の赤ちゃんのころの写真で、気持ちよさそうに眠いっていた。

「ちょっと、何勝手に人を待ち受けにしてんだよ」

 携帯電話を奪おうと手を伸ばすと、空の方へケンが手をやる。私より背が高いからどうしても届かない。ケンの手の先に目をやると、自分がそこにいて、何だか嫌になった。暗い夜には、携帯電話の明かりがよく目立つ。他に誰もいないのに、妙に自分が目立っているような気がした。

「駄目ですよ、美月様。これはわたくしのケータイですから勝手にいじらないでください」

 パジャマ姿で出てきるように寝起きのケンは、髪もそれこそ赤ちゃんのようにあちこちに跳ねた状態で、人差し指を口に添えてささやく。途中からは、ケンの顔つきが変わった。魔が現れたからだ。

「ここは私(わたくし)に任せてください」

 いい終わりもしない内に、家からのろのろと這いずるように出てきた魔にケンはむかう。チワワくらいの大きさの魔は、形もはっきりとしない楕円形だった。ジャージのポケットに手を突っ込んだ。白い紙を取り出してゆっくりと目をつむる。それまで聞こえていたケンの足音も、風の音も一瞬にして消えた。そして、頭に強くイメージを描く。鋭く刺さるように光る体。重みのある体。強く強く何度も頭に刻み込んでいく。

「美月様」

 目を開いたところで、ケンの声が届いた。あまりに強く描きすぎて手の紙にはしわがいくつもよっている。

「倒しましたよ」

 右足で魔を踏みつけながら、ケンこちらに視線を移す。魔はまだ生まれたばかりのようで柔らかいせいか、クッションでも踏んでいるようだ。

「出ておいで」

 紙を空へ放ってつぶやくと、紙は音を立てて自ら紙くずと化していく。やがて、泡のように大きくなっていくと、私の思い描いたものとなった。

 剣だ。

 この暗い中で、月の光に照らされた剣は、刺さるように光る。長くて細いが、重みのある剣。手に思わず力がこもった。

「わざわざ紙者なんて出さなくても魔絵巻を出せば……イタッ」

 しとやかに喋っていたケンが急に声を荒げて足を上げた。魔がケンの足を締め付けたらしい。ケンが足を振り回すが、魔はケンの足にまとわりついて離れようとしない。まるで自分のおもちゃを離そうとしない幼い子供のようだ。

「だから、他人なんて信じられないんだ」

 剣をゆるりと魔に向けた。

「美月様?」

 足を宙にあげたまま、凍りつくケンをよそに私は魔に向かって一刺しした。

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