第93話 いつだって、いつまでだって、なかよしなんだ

「――――……ん……う~~ん……」


 どれくらい時間が経ったか分からないが、再び目を開けた時、眼前に見えたのは……苔むした石造りの天井。

 そして、仰向けに寝転がる自分の背から伝わる感触も、同じく石。

 と、いうことは……戻ってきたのだ、元の世界に。

 ふひぃ~と長々と息をつき安堵した後、徐々に込み上がってくるのは胸を満たす充実感。

 うん……言いたいことは言い切った……一片の悔いなし!

 チラッと左に目を向けると、そこには三人で寄り添って眠るアユとサユと、過去のマユ。

 逆サイドには、俺の右手を固く握り締めて丸くなる、もう一人のマユ。

 おやおや。

 おやおやおやおやおやおやおやおやおや。

 なんと……なんと素晴らしい……。

 右を見ても左を見てもマユ……ここは極楽浄土か?

 今までのダンジョン生活で……というか、地上も含めた十六年の人生において、これほど美しい光景を拝んだことがあっただろうか? いや、ない!(即答)


「……にゃっはははぁあぁあぁぁぁ……」


 俺が一人で愉悦に浸って身震いしていると、懐かしい……実に懐かしい声が聞こえてきた。

 正確には、いつもと同じ声ではあるけど全く異なるトーンで独特なイントネーションでかつ心を震わせる麗しき天使の声。

 気付けば、マユはパッチリと大きな瞳を開けて上目遣いに俺を見ながら、にた~っとこれまた懐かしい脱力全開のゆるゆるで癒される笑みを浮かべていた。

 あぁ……これこれ! これだよ!

 サユにアユに過去マユに精神世界マユと、同じ顔で多種多様な表情をこれまで見てきたけど、俺が一番好きなのはやっぱりこれだよ!

 いいね! 最高だ!


「マユ……久しぶり――ぃいいいぃいっ!?」


 話したいことは無限にあったが、何から話したものかと迷ってとりあえず口にした無難な挨拶は、あえなく中断させられる。

 なぜなら、マユが俺の右手を凄まじい握力で骨ごと粉々に握り潰し、腕を上下にぶんぶんと振って筋肉を引きちぎり肩と肘を脱臼させたから――というのは少々誇張した表現だが、気持ち的にはそれくらいの、ミノタウロスもかくやという剛力と荒々しさだった。

 ふっ、さすがマユ……その言動は、いつも俺の想像を軽く超えてくる。

 と感心しつつ、心なしか嬉しさや安心も滲ませるマユの普段以上に緩んだ表情を見て、そういえばと一つの疑問が頭に浮かぶ。

 今ここにいるマユに、さっきまでの……精神世界での記憶はあるのか?

 別人格ってわけじゃないんだから覚えていてしかるべきかもしれないが、以前ファフニール料理を食べた時は完全に無意識で記憶は飛んでたっぽかったし……。


「にゃははハハハあぁぁあっ♪ てぇんちゃぁんてぇええぇぇんちゃあぁああああぁんっ♪」


 ……いや、大丈夫だ。

 この幸せそうな顔を見るに、俺の気持ちは間違いなく届き、マユの不安や心配やその他諸々のもやもやが綺麗さっぱり消え去ったのは明らかだ。

 つまり、ドラゴン集団の襲撃から始まり、青天目ルカとの死闘、精神世界でのゾンビパニックと続いた今回の高難度イベントもようやく全て丸く収まり大団円、晴れてハッピーエンドと相成ったわけだ。

 せっかく治った右腕が再び使い物にならなくなる危機が地味に到来しているが、そんなこと全く全然これっぽっちも気にならないぜ。


「……ぅにゅ……ふぁあ~~~っ……うーん、よく寝た~!」


 HPを減らしながらもマユと喜びを分かち合っていた俺の耳に、見ずとも分かるサユの明るく呑気な声が届く。

 振り向くと、アユと過去マユも起き上がり、長い長い夢を見ていたように重そうな目を擦りながら放心していた。

 しかし、そんな夢と現実がごっちゃになった曖昧な空気も、自分の周りにいる自分と瓜二つの姉妹を目の当たりにするまでで……。


「ああーっ! マユねぇ! アユ! てんちにぃ! すごいすごーい、ホントにみんな一緒に戻ってこれたぁ~!」

「はは……無茶苦茶だね……もしかしたら、ただの夢なんじゃないかって……何度も思ったけど……」


 こんな、死闘を繰り広げて間もない、ナイフが散乱した薄暗くて殺風景な謎の洞窟に帰還できたことを本気で喜ぶ瞬間が来るとは、世の中分からないもんだな。

 まあ、アユの言う通り精神世界での出来事は夢だった……というか俺に至っては死後の妄想世界だった、なんて可能性は十分あったわけで、心の片隅でそんな疑念がわずかながらあったことは否めない。

 俺だって元気が残っていれば、今すぐ後方屈身三回宙返りでも派手に披露したい気分だ。


「……ん?」


 ふと視線を感じて笑い合うサユとアユから目を離すと、一人おどおどとした挙動で俺とマユを見るマユ――ええい、ややこしいな――過去マユがいた。

 そういえば、今さらだが俺はこの過去マユのことを伝聞でしか知らない。

 気まずいとまでは言わないが……正直、どうコミュニケーションをとればいいのやら……。

 普通におとなしい女の子っぽいし、気難しいアユ相手でさえ初期好感度マイナスの状態からそれなりの信頼関係を築けたのだから、仲良くなれる自信がないわけではないが……。


「……あの……てんち、さん……さっきは、ごめんなさい……。マユ、なんにも覚えてなくて……」


 ぐぉっ……やはりマユの姿で他人行儀な態度をされると心にくる……。

 元から人見知りしそうなタイプだし、ガチで初対面だから仕方ないと言えば仕方ないが……。


「あ、あぁ、気にしないでくれ。こっちこそ、さっきは突然飛び出しちゃってすまん」

「いえ……サユから聞きました、これまでのこと……。マユと一緒にいてくれて、本当にありがとうございます」


 そう言って深々と頭を下げる過去マユの後ろで、サユがニッと歯を見せて笑いながら、自慢げに立てた親指をぐっと突き出す。

 どうやら、あの後サユも気づいて色々と説明してくれたようだ。


「……それと……」


 過去マユの視線が俺から隣のマユに移る。

 びくりと肩を震わせたマユは反射的に俺の後ろに隠れると、緊張しているのか警戒しているのか「う゛ぅ゛うぅぅぅ」と猫のような唸り声を上げた。


「……ごめん……マユのせいで……マユがちゃんとしてなかったせいで、一人ぼっちにして……ぜんぶ押し付けて……本当に、ごめんね……」

「……むぅ゛ぅうぅう……」


 目尻に涙を浮かべながら苦しそうに顔を歪めて謝る過去マユの様子を、俺の背中からマユがちらちらと覗き見る。


「ずっと……ずっと、マユの代わりに頑張ってくれて……こんなにひどい、マユなんかを守ってくれて……ありがとう」

「…………うに゛ゅぅぅぅうぅうぅ……」


 素直に、真摯に、切実に心の内を伝える過去マユ。

 もじもじと体をよじりながら、血が吹き出んばかりに俺の上腕に爪を食い込ませて、頭から煙が出そうなくらい悩み葛藤するマユ。

 二人の間で板挟みになって、直立不動で沈黙する以外の行動が実質不可能な第三者の俺。


「……今さら、こんなこと言っても……困る、よね…………ごめん……」

「…………ぅぅ……うにゃぁああああぁあぁああっ!」

「――ぅおえっ!?」


 突如、俺の体は宙を舞った。

 事実を正確に解説すると、マユが俺の腕にしがみついたまま高速で疾走したために、引きずられるを通り越してアイキャンフライした。


「――へっ?」

「――ひゃっ!?」


 肩の関節が悲鳴を上げる中、マユという台風はサユとアユをも巻き込んで勢力を拡大した。

 マユは、俺とサユとアユの三人を腕に抱いたまま、死闘を終えて間もない殺伐とした空間をしばらくぐるぐる回り、そして……呆気に取られて立ち尽くす無防備な過去マユの胸に、頭から突っ込んだ。


「――きゃあっ!?」


 五人が、折り重なるように倒れた。

 死傷者が出る人身事故かと思われたが、どんなドライブテクニックを駆使したのか驚くほど衝撃は少ない。

 騒動を引き起こした張本人であるマユは、過去マユの胸に突っ伏したままぴくりとも動かなくなり、団子状態になった一同が呆然として顔を見合わせる。


「……」

「…………」

「…………ぷっ! アッハハハハハハッ!」


 楽しそうな笑い声で沈黙を破ったサユが、両腕を広げて全員を包み込む。


「うん……うんっ! これからは一緒なんだよね、あたし達……。夢みたいだよね。うれしいねっ!」

「ふふっ、そうだね……まさか、こんな日が来るなんて……。しかも、素敵なお姉ちゃんが一人増えるなんて、思いもしなかった」


 サユの笑顔が伝播して、アユが、俺が、過去マユが、みんなが声を上げて笑った。

 抱き合って、笑い合って、それで全て分かり合えて、それで全て十分な気がした。


「そういえば……マユのこと、これからなんて呼べばいいんだ? 二人ともマユだとややこしいだろ」


 ひとしきり笑った後、俺はふと思ったことを口にした。

 俺としては、マユはマユが一番しっくりくるし、今になって違う呼び方をするのは非常に複雑というか抵抗があるのだが……過去マユ、いや本来のマユを改名させてしまったら輪をかけてややこしいので、こればっかりは仕方ない。


「そーいえばそうだね~。う~~ん……あっ、そうだ! あたしが決めたげよっか、新しい名前! どう? どう?」


 サユが問いかけると、なおも過去マユにくっついて顔を伏せたまま、マユが答える。


「……てぇぇえええんちゃぁんがあぁぁあぁぁぁキめるのぉおぉぉおぉおおっ」

「は? え? お、俺が?」

「……うん、マユもそれがいいと思うなあ」

「むぅ……天地さんのセンスが不安ですが……お姉ちゃんが希望しているなら仕方ありません。……変な名前にしたら怒りますからね」

「えぇぇ……」


 なんてこった……まさか、そんな流れになろうとは。

 いかに天才的なネーミングセンスがあろうが、好きな女の子の名前を決めた経験などない俺には荷が重すぎる――って、普通に考えてそんな経験があるやつがいるわけないが――とにかく、この場でパッと思いつかないことは明らかだ。

 そもそも、マユほど偉大な人間の命名なんて、キリストのそれに匹敵する神事に他ならない。

 せめて十年は猶予期間を設けてほしいところだが……とはいえ、そんなに待ってくれとも言えない。


「ん~~……ん゛ん゛~~~~~~……」


 ぐぐぐっ……考えろ……考えるんだ、俺……。

 マユ……サユ……アユ……。

 この三人の名前を参考に……世界一のかわいさをさらに引き立て……親しみと愛着が持てて……姉妹感を出しつつ……後世まで語り継ぐに相応しい名前……。

 ………………。


「……………………ミユ……」


 脳細胞をフル稼働して必死に導き出した二文字をぼそっと呟く。

 すると……


「…………み……ゆ……?」


 ころりと顔を転がして俺に目を向けたマユが、上機嫌な酔っぱらいと見紛う陶酔した表情で頬を緩ませた。


「みぃぃいぃゆぅうぅぅぅみぃいいぃぃぃいゆうぅぅうぅうううっ♪ にゃはハハはぁああぁぁああっ♡」


 マユ……いや、ミユは歌うように自分の新たな名前を何度も口ずさむ。

 どうやら、大いに気に入ってくれたようだ。

 あまりに満足そうなミユの様子に「やはり……天才か」と自惚れて気を良くした俺だったが、ちらりと他の反応を伺うと……サユとアユが、絶妙に人を不快にする半笑いで俺を見下していた。


「やっぱりね~……なんとなくだけど、てんちにぃはそう言うだろうなーって思ってたんだよ、あたし」

「私も。似た者同士というか、きも……根本的に思考回路が似通っていることが証明されたね」

「……は?」


 なんのこっちゃと思う俺に、ほんわかした悪意ゼロの笑みでマユが補足する。


「あはは……よくパパが言ってたんです。四人目が生まれたらミユにするつもりだった、って……。懐かしいなぁ……」

「………………なん…………だと…………」


 バールのような物で頭をカチ割られたような衝撃を受け、俺は愕然とした。

 あの筋肉バカのオッサンと脳の構造が同じ……。

 長い人類史上において、これほどの絶望を味わった人間が果たして他にいるだろうか。


「四人目、か……よく考えたら、私達の方がお姉ちゃんになるんじゃない? 精神年齢っていうか、生まれたのは五年前なんだから」

「そっかぁー! じゃあじゃあ、ミユねぇじゃなくて~……ミユ! だねっ!」

「ミユ……うれしいなぁ、新しい妹ができて」

「にゃっはハハぁあぁぁぁ♪ ミユわねえぇぇえぇえミユわねぇええぇぇえぇよぉぉおぉんばああぁぁぁあんめぇえぇぇええぇえっ♪」


 俺のショックをよそに、きゃっきゃと盛り上がる四人。

 まあ……いいか。

 やっぱ考え直すとは言えない空気だし、癪だがオッサンにしては神ネーミングだ、うん。

 それより、ミユが打ち解けられて良かった。

 こうして並んでいると、まるで昔から仲睦まじい本当の姉妹のようだ。

 顔も体も同じなんだから当たり前なのかもしれないが、なんというか、こう……目頭がじわっとくるな。

 って、なんか娘に初めて友達ができた親みたいな妙な感傷に浸ってんな、俺……。


「さてっ! とりあえずー……改めてよろしくねっ! マユねぇ、アユ、ミユ、てんちにぃ!」

「うん……もうみんなに迷惑かけないように、マユも頑張るから。よろしくね」

「そんなに張り切らなくても大丈夫だよ、マユお姉ちゃん。私達が一緒なら、もう何も心配ないから」

「よぉぉおぉおろシクねぇえええぇえぇぇえっ♪ にゃっっハハはハはあぁあぁあああっ♡」


 これはまた、随分と賑やかになりそうだ。

 陽芽達とはぐれてから一か月……かなりしんどい日々が続いたけど、今後はマジで天国だな。

 身を寄せ合ってほほ笑む、同一人物のようで微妙に違う四人の天使を今一度じっくり観賞しながら、俺は激動の一日を締めくくった。


「こんな奇跡が起こるんだから、やっぱりダンジョン生活も悪くないな……。みんな、今日はお疲れ様! これからもよろしく!」

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