第87話 星に願いを
「……ん……う~ん……」
なんだ、この感覚……。
なんか、こう……具体的に言うと、無くなったはずの手足がなぜかあるような、そんな……。
いや、うん、あるわ。
だって感覚あるし、動くし。
……どういうことだ?
っていうか、俺……たしか心臓を刺されたような……。
「――うぉっ!?」
考えがまとまらないまま目を開けると、眼前には鮮やかに輝く満天の星空がいっぱいに広がっていた。
「ふっ……ふつくしい……! もしや、ここは……天国? やっぱり俺、死んだ……?」
起き上がり、飛び跳ね、胸に傷一つないことと五体満足であることを確認した俺は、現状を把握すべく辺りを見回――
「!?! マ……マユっっ!?」
すぐそばで、ナイフが刺さった背中を血で真っ赤に染めたマユが倒れていることに、俺は遅まきながら気づいた。
天国じゃねえっ!
混乱していた脳が一気に覚醒し、なぜか治っている心臓が驚きで爆散した。
自分の身に何が起こったかなんてどうでもいい!
とにかく今はマユの治療をしないと……!
「大丈夫か!? マユ! くっそ、出血が……。ナイフ……これ、下手に抜いたら逆にやべえ、よな……そうだ! 回復魔法を使えば……!」
――いや……ちょっと待て。
バッグをひっくり返し、ボトボトと落ちる魔法料理の中からヒーリングが使えるようになる水色の団子を探すため忙しなく動かしている手を、ピタリと止める。
俺のヒーリング程度で、これほどの傷と出血をなんとかできるか……?
微妙な気がする。
というか、無理な気がする。
とはいえ、他に有効そうな魔法のストックもない。
アユのエクストラヒーリングなら速攻で完治するだろうが……当の本人が意識不明の重体だ。
回復の丸薬を飲ませることさえ難しい。
どっかに何か強力な回復手段は……あるわけねえよな、そんな都合よく……
「あっ! そうだ……宝箱! こんなところにあるんだから、もしかしたらもしかするかも……!」
俺は部屋の奥に意味深に置いてあった、いかにも重要アイテムが入ってますよと言わんばかりの宝箱を思い出し、急いで走った。
あんなチート級のモンスターが守っていた隠しダンジョン風な場所の宝箱なんだから、きっと賢者の石とかエリクシルとか世界樹のなんちゃらとかフェニックスのなんちゃらみたいな、そんなファンタジーっぽい蘇生薬ないし超回復薬が入ってる可能性だってあるはずだ。
否、むしろ入ってないとおかしい。
これ見よがしに鎮座していたはずの宝箱が、なぜか壁際にひしゃげて転がっているが……んなこたぁどうでもいい。
きっと、激闘の最中にぶっ飛ばされたんだろう。
そんな記憶は全くないけど。
「…………あ、あれ?」
期待と不安を抱きながら開け放った宝箱の中は……見事に空っぽだった。
起死回生の超絶レアアイテムどころか、上っ面を取り繕うような定型文の賞賛だけがつらつらと書かれた安っぽい賞状すらない。
――ざっっけんな!!
と心の中で高らかと叫ぶが、今はぶちギレてる時間も惜しい。
さすがに、最初から中に何もなかったってことはない……と信じたいから、きっとマユが先にゲットしたのだろう。
つまり、そのアイテムによって俺が生き返ったと……そういうことか?
だとしたら、こんな最果ての秘境の超絶鬼畜ボスを倒した報酬としては割に合わないどころの話じゃない。
いや、普段なら十分すごい秘宝だと泣いて喜ぶところだが、収支が差し引きマイナスの現状では、せめて同じ物を五個はくれよと言いたい。
「ああ、くそっ! 他に何か……何か可能性はないか……っ」
往生際悪く周辺を見渡すが、マユとルカが生成しまくった包丁とナイフ以外に物自体がそもそも……
「…………ん?」
よくよく見ると、ルカの死体がどこにもない。
てっきり、マユが倒してくれたんだと思っていたが……。
その代わりとばかりに、高レベルのキモ怖モンスター、ナイトメアがバラバラになって散乱している。
やっぱり、あのモンスターがルカに変化していた……のだろうか。
で、ルカが死んで元の姿に戻ったってとこか……。
ったく、忌々しい野郎だ。
時間さえあれば地獄の業火で燃やし尽くしてやるってのに……。
いや、ちょっと待った……たしかこいつ……。
「一か八か……試してみる価値はある……か」
俺は久々に両手で愛用の鉈を握り、ナイトメアの頭蓋骨目掛けて思い切り叩きつけた。
呆気なく砕けた骨の上に鉈の刀身を横にして置き、踏んづけて飛び跳ねてぐりぐりして、念入りに粉微塵にする。
決して、やけになって殺意の波動に目覚めたわけでもなければ、邪気眼によって封印していた魔王が解き放たれたわけでもない。
どうしても必要な工程なのだ。
「ふう……こんなもんかな。手持ちになんか使えそうなもんは……ええい、考えてる暇もねえ! これとこれだっ!」
ぶちまけたバッグの中身から良さげな食材を適当に掴み取る。
ヤシの実に似た果実に、タロイモっぽい芋に、クルミの面影が感じられる木の実。
どれも樹海で自生していた、保存性に優れた自然の幸だ。
「よし、これを……こうして……」
まずは、ダンジョンヤシの実の上部を切り、中の白い果肉を削ぎ落とす。
次に、お手製のおろし金で果肉とダンジョンタロイモをすりおろす。
そして、木の実と粉々にしたナイトメアの骨、すりおろした果肉、芋、砂糖を混ぜ合わせる。
後は、少しずつ水を加えながらひたすらこねる。
すると、完全に即興で考えたにしては上々の、見た目は(遠くから見たら)うどんとかクッキーとかに見えなくもない、とても魔物の骨入りとは思えない満足のいく生地が出来上がった。
「急げ急げ……! あ゛~くっそめんどくせえな、俺のスキル……」
小さな団子状に成型した生地を、空洞になっているダンジョンヤシの実の中に放り込みながら毒づく。
俺が見出したわずかな光明……それは『魔法の料理・改』でナイトメアの魔法をコピーすること。
アユの『
回復魔法なんて使う感じじゃないので意外過ぎて印象に残っていたが、今思えば『
が、今はそんなことどうでもいい。
こんな高レベルモンスターが使う聞いたこともない魔法……いかにも強力そうじゃないか。
……ただ、問題がある。
俺のスキルは調理時間や仕上がりによって効果に差が出てしまう。
なので、いい加減な料理を作ろうものならクソみたいな効果しか期待できないし、粉々にしただけの骨を我慢して食べても料理と見なされず不発に終わる。
さらに、使い勝手の悪い仕様で『コピーするスキルは選べない』ときたもんだ。
もちろん、この一刻を争う事態にリテイクなんてできるわけがないから、必然的に一発勝負だ。
「しゃおらっ! ファイアーーーーッ!!」
焦りを吹き飛ばす意味を込めて無駄にテンションを上げて叫び、ダンジョンヤシの実に火を放つ。
勢いよく燃え盛るファイアーボール状態を経て黒焦げになった実の中から、ようやく完成した料理――名付けて『たっぷりナッツが薫るもちもち芋団子~食べてくれなきゃ今夜はナイトメア~』を取り出す。
ナイトメア成分は控えめだし、なかなかに香ばしいそそる匂いだが……今大事なのは味よりも結果だ。
確率は二分の一……ん? そもそも明らかにボスっぽい感じのモンスターでも俺のスキルは有効なのか……?
やべえ、そこまで考えてなかった。
もし失敗したら……ええいっ、この期に及んで悩んでも仕方ねえ!
俺は団子を口に入れ、ひたすら祈りながら咀嚼し、飲み込み、マユの手をそっと握り、唱えた。
「…………
回復魔法特有の白い光がマユを包み、一瞬で全回復――という期待は……裏切られた。
マユの身体に変化はない。
流れ出る血は止まる気配もなく、広がった血溜まりが俺の浪費した貴重な時間を無慈悲に突き付けている。
頭から氷水を大量にぶっかけられたみたいにドザーッと血の気が引いていく。
「……だめ……か……」
くそっ……何やってんだ、俺は……。
こんなことなら、助かるかどうか分からなくても普通に手当てしていれば……。
自らの愚かな行いを悔いている最中……俺は異変に気付いた。
俺の周りに、うっすらと赤く明滅する蛍のような小さく儚げな謎の発光体が二十……いや、三十近く穏やかに浮遊している。
不可思議な現象に唖然としていると、その発光体は枯れ葉のごとくゆらゆらと静かに舞いながらマユの背中の痛々しい傷口に吸い込まれていく。
すると、深々と突き刺さっていたナイフが自然と緩やかに抜け落ちた。
さらに一つ、二つ、三つと、発光体が傷口に触れて雪のように溶けて消えていくたびに、マユの傷はだんだんと塞がっていき……あっという間に元通りの白く綺麗な肌へと戻っていった。
目をぱちくりさせて至近距離で凝視するが、わずかな傷跡すら残っていない。
苦しそうな険しい表情も和らぎ、青白かった顔にも赤みが差してきた。
「……治った……のか……? はぁあぁぁぁ……よかった……よかったぁ……」
安心して全身から力が根こそぎ抜け落ちた俺は、大の字になって盛大に倒れ込んだ。
いやー……今回ばかりは本当にもうやべえと思った。
間違いなく日比野天地史上最大の事件だった。
でも……生きてる。
俺もマユも生きてる。
正確には一回死んだけど。
こんな心臓に悪いイベントは二度とごめんだが……結果だけ見れば、久しぶりにマユが現れてくれたし、俺に至っては失った腕まで治ったし……まあ、少なくとも最悪の事態は免れたと言えるだろう。
後は、目を覚ましたマユと一緒に美しすぎる星空をロマンチックな雰囲気で観賞できれば、数年後にはいい思い出として笑って語れるようになるかもしれん。
「それにしても……この星空はなんなんだ? わけ分からん……って、んん……?」
ふと、目の前に広がる星々に違和感を覚えた。
よく見ると、カラフルでずっと見ていられる十色以上のラインナップの中で、ひと際きらめく白い星が妙に規則的な配列をしている。
寝転んで長い間ボーッと眺めて、ようやく気がついた。
あれは……文字? 英語?
めっちゃ分かりにくいけど……えーっと……。
『When you wish upon a star』
「……あなたが星に願う時……?」
なるほど、つまり……どゆこと?
まったくもって意味不明だが……とりあえず星に願えってこと?
この年になってそんな子供じみたことをしたくはないが……しかし、こんな意味深なメッセージを見つけちゃったからには、実行せざるを得ない。
まさか『なんでも願いが叶う』なんてことはなかろうが、もしかしたらおまけの褒美の一つや二つあるかもしれん。
ん~……願い……願いかぁ~……。
ちょっと前までだったら「マユの怪我を治して欲しい!」と額を地面に擦りつけて祈っただろうが、その問題は無事に解決したばかりだ。
じゃあ、他には?
そりゃ、もちろんマユに好かれたいとか好意を持って欲しいとか両想いになりたいとか付き合いたいとか恋人になりたいとか結婚したいとか、そんな感じだろ。
欲を言えば、さっさと陽芽達と合流したいってのも追加したいところだが、どうやら近くまで来てるみたいだし、あえて一つに絞るとしたらやっぱりマユの好感度一択かな。
で? 願うってどうすんの?
声にしろってこと?
なんかハズいけど……まあ、世界の中心で叫べってわけじゃないし、とりあえず小声で呟いてみるか。
「…………っ……あ~……っと……」
何気なく口にしようとした、のだが……寸前で思いとどまる。
別に迷う必要はない。
まさか願ったら叶わなくなる呪いにかかるってことはないだろうし、何も起こらない可能性だってある。
軽いノリでサクッと言えばいい。
だが、俺は今の今までマユとの生活を通じて募っていった一つの願いを思い出した。
それは現実的に不可能なことだし、まだ「トラックに轢かれて異世界に転生して女神にチート能力もらって女の子にモテまくってチーレム無双したい!」と願った方が幾分かは望みがあるかもしれない。
……いや、それはないか。
とにかく、単なる妄想、単なる現実逃避だ。
けど……。
それでも俺は、ずっと「こうなればいいなあ」と願ってやまなかった思いを、ぽつりとこぼした。
「……マユの……マユの中の人格みんな……みんなと一緒に、ずっと楽しく暮らせたら……いいなあ……」
誰に言ったわけでもない心からの声が、広々とした部屋の中央で誰にも聞かれず掻き消えた、その時……
奇跡が起こった――――
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