第73話 この嘘がばれないうちに

 まさか、一瞬の内にここまで事態が最悪の方向へ傾くとは思いもしなかった。

 マユさんが魔物に突撃してから、天地君がそれを止めようとし、二人が飲み込まれて、そして…………天地君の左腕だけが無情にも残されるまで、僕には何もできなかった。


「い……い……いやぁああああぁぁあああああっ!!」


 陽芽さんの悲痛に満ちた叫び声で僕はようやく我に返り、次にとるべき最善の行動を思案する。


「花凜っ!」

「ああ! 分かってるっつーー……のっ!!」


 すでに僕の考えを察していた花凜が、火球を放つ攻撃魔法『ファイアブレット』でパラサイトヘルズスネアの茎を正確に射抜く。

 寄生先とを繋ぐ唯一の支柱を失った食虫――いや食人植物は、「ウ゛ロロロロロロォオォォ」と地鳴りに似た重低音の鳴き声を響かせながら地面へと落下した。

 まずは動きを止めて、天地君とマユさんを助け出す。

 天地君の話によると、この魔物は飲み込んだ人間を別空間に強制転移させるそうだが、飲み込んでから転移するまでには若干の時間的猶予があるはずだ。

 この状態ならば先ほどの速度で動くことは不可能だと思われるが、念のため光の矢を撃ち出す魔法、『セイントアロー』を貫通させて地面に縛りつける。

 今のところ不気味なくらい無抵抗であっさりと攻撃が命中し、わずかに身をよじるだけで警戒すべき動きも全くない。

 どうやら、距離を詰めなければさほど脅威ではないという推測は間違っていないようだ。

 本来なら、この調子で安全圏から確実にダメージを重ねるのがベストな攻略法なのだが……今回ばかりは危険を冒す必要がある。


「こんのクソ野郎……きったねえ口を開けやがれええええええっ!!」


 間髪入れずに踏み込んだ花凜が、ぴったりと頑なに閉じたノコギリ状の口を、力任せに素手でこじ開ける。


「……ッ! ちっくしょうが……!!」


 そこに、二人の姿はなかった。

 花凜は悪態をつきながら、苛立ちを発散するように固く握りしめた棍棒を何度もパラサイトヘルズスネアに叩きつける。

 間に合わなかったか……。

 まさか、こんな形で仲間が分断されるなんて今日まで想定もしていなかった。

 ダンジョンに来てから約二年、花凜と同行してから一年、強制転移などという規格外の能力を有した魔物に遭遇したことはないし、噂でも聞いたことすらない。

 しかし、現実に起こってしまった以上は、今の状況を受け入れて前に進むしかない。


「……大丈夫。マユさんなら、たとえ初見の魔物に大群で襲われても後れを取ることはないでしょう。天地君が一緒なら無茶もしないでしょうし、どこへ飛ばされていても順応して冷静に対処できるはずです」


 これは本当だ。

 マユさんの戦闘能力は、こちらのダンジョンで最強だった花凜を上回るほどだし、仮に今より二、三階層下に転移したとしても、余程のことがない限り問題ないだろう。

 天地君はレベルこそ低いものの、環境適応力が高くて、物怖じしない度胸と判断力があるし、何よりマユさんのことをよく把握している。

 ……二人が一緒であれば、心配はいらない。


「いや……でもよ……」


 生い茂る草花の中で小さな血だまりを作る天地君の左腕にちらりと視線を送りながら、花凜が声を落として言い淀む。


「……天地君は、万が一に備えて薬草や回復用の料理を常備していると言っていました。すぐに処置をすれば命に別状はありません」


 これは……嘘だ。

 長期保存に適した回復料理は試作中で、魔法料理のストックは戦闘用の物しかなくなったことを、僕は数日前に天地君から聞いている。

 薬草にしても、樹海には自生していなかったし、そもそも切断した腕の止血を完全にできるだけの効果がある物など存在しない。

 それに、前腕部の切断となると出血性ショックや細菌感染の恐れもあるし、仮に止血帯法で適切に応急処置を行ったところで気休めにしかならないだろう。

 つまり、客観的に予想すると天地君に腕の出血を止める手立てはなく、確実に出血多量で……。


「そっか……そっかそっか。うん、お前がそう言うんなら大丈夫だな。……あー、つーわけだから、まあ、その……あんま思い詰めんじゃねえぞ、陽芽」

「………………」


 気まずそうに髪を掻き上げながら花凜が遠慮がちに投げかけた言葉は、残念ながら陽芽さんには届いていないようだ。

 崩れ落ちて、うなだれて、茫然自失の状態で静かに涙を流し続ける陽芽さんの様子に、僕と花凜は互いに顔を見合わせる。

 これまで一緒にいることが当然だった親しい人から急に引き離されたのだから、こうなるのも仕方がない。

 しかも、兄である天地君は腕まで失くしたのだから、なおさらだろう。

 普段は心の機微に疎い花凜も、さすがにかける言葉が見つからないようだ。


「お兄ちゃん……マユ、お姉ちゃん……うっ……ううぅ…………」

「……陽芽さん……辛い気持ちはよく分かります。ですが……今は悲しんでいる場合じゃありません。天地君もマユさんも、きっと今ごろ僕達を必死に探しているはずです。一分でも一秒でも早く、二人と合流する方法を模索するべきです」

「お、おいっ、湊……!」


 酷なことを言っているのは自覚している。

 苦しいだろう。

 寂しいだろう。

 不安だろう。

 でも……まだ希望がある内は……あると思えている内は、ほんのわずかでも可能性に縋ることができる。

 がむしゃらに、無我夢中になって二人を探している内は、その悲しみを紛らわせることができる。

 それが、たとえ気休めに過ぎない僕の嘘だとしても……。


「…………ごめん……なさい……。そう、ですよね……早く、しないと……お兄ちゃんも、マユお姉ちゃんも、だらしないから……私が、いなきゃ……」

「……おう! あいつら、ほっとくと水浴びもしねえで食っちゃ寝の生活するに決まってるからなぁ。さっさと見つけてやんねえと、ぶくぶく太ってめちゃくちゃ臭くなりそうだ」

「ふふ……それは、大変ですね」


 おそらく、天地君は助からない。

 マユさんも、いくら強いとはいえ見知らぬ場所で一人になってしまったら、たった一つの小さなミスも命取りになってしまう。

 ……もしも……。

 もう少し早く行動に移り、転移の前に救出し、ヒーリングを使うことができていれば……。

 そんな後悔が頭の中に延々と渦巻き、胸が痛くなる。

 だけど、この心情を悟られるわけにはいかない。

 僕の嘘に、気づかれてはいけない。

 どのみち、二人を見つけるまでの間ではあるけれど……。

 下手に希望を持たせることの方が、もしかしたら残酷なのかもしれないけれど……。

 ただの、僕のエゴに過ぎないのかもしれないけれど……。

 それでも、悲しみは少しでも先送りにさせてあげたい。


「よっし! んじゃーどうするよ、湊。あいつらが上に飛ばされたのか下に飛ばされたのかも分かんねえんだろ? アタシらは進めゃーいいのか? それとも、戻りゃーいいのか?」

「あ、たしかに……。せめて、何層にいるのか、分からないと……」


 花凜の明るさに元気づけられたのか、それとも元々の強さなのか、まだ表情に少し陰りは残っているものの、陽芽さんは気丈に振る舞っている。

 まだ中学生の少女が見せる健気な様子に心を痛めながら、僕は努めて平静を装って答える。


「天地君達がどう動くかにもよりますが、効率的なのは――――」

「グルルルルオオオォォオオオオオッ!!」


 ビリビリと大地を激震させる、突然の咆哮。

 鼓膜の奥まで響く大音量の発生源に振り返ると、そこには八つの頭と十六の眼光をこちらに向ける巨大な木竜が低く唸って威嚇していた。


「うげっ!? 何だよあいつ、さっきまでと全然ちげーじゃねえかよっ!」

「……どうやら、寄生していた魔物を除去したせいで復活してしまったようですね」

「で、でも、あれ……地面に、根を張ってるし、動けないんじゃ……」


 木竜は、圧倒的な存在感に気圧される僕達に作戦を立てる暇を与える気はないらしく、揃って口を大きく開くと、喉奥に深紅の光を揺らめかせた。


「……ッ! アタシの後ろから離れるなっ!!」


 切迫した花凜の叫びとほぼ同時に、木竜は視界を真っ赤に染める炎を一斉に噴射した。


「っく……!!」


 避けることも不可能な猛スピードで迫るブレスを、花凜は咄嗟に『ファイアウォール』の魔法による炎の壁で防ごうとした。

 これまで培った花凜の経験と戦闘センスがなければ成し得ない超反応。

 しかし、範囲を狭めて厚くしたファイアウォールでもブレスを完全に遮るには至らず、一部の炎が花凜を包み込んだ。


「花凜っ!!」

「八重樫さんっ!!」


 駆け寄ろうとする僕と陽芽さんを、花凜は手で制止する。


「っ……大丈夫だ! アタシに炎は効かねえ! いいからじっとしてろっ!」


 たしかに、花凜には『炎耐性』スキルがあり、大抵の火属性魔法では軽い火傷を負うことすらない。

 木竜のブレスは、相殺分を差し引けば十分に耐えうる火勢ではある……が、それはあくまで物理的なダメージを受けないだけであり、このまま炎に包まれれば呼吸困難になり得る。

 何もできないもどかしさにぐっと耐えて固唾を飲んで見守ると、徐々に炎は勢いを弱め、二十秒近くも吹き荒れてブレスはようやく終息した。

 花凜から後ろを残して無残に焼け焦げた草花。

 穏やかで優しい光を放っていた蛍草の代わりに、そこかしこで瞬く残火が辺りを薄く照らす。


「無事ですか、花凜っ!」

「く……くくく……あっっははははははははは!!」


 外傷は見られなかったが一応ヒーリングをかけて顔を覗き込むと、花凜はにやりと歯を見せて口角を上げながら、鋭く好戦的な瞳をぎらつかせていた。


「いいねぇ! おもしれえなぁ、おもしれえぇぇじゃねえかっ! あっはははははははっ! 最っ高に燃えてきたぜえええええっ!!」

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