第42話 話をしよう。あれは今から36万……いや、5年前だったか……

 第一層フロアボス――正式名称『アーミーヴァンパイアバット』。

 賢くない俺でも名前でピンとくるのだが、噛みついて血を吸うことで相手のステータスを下げるという特殊な攻撃をしてくる。

 その他に毒や遠距離攻撃の類がないのは大いに助かる……が、そもそも閉鎖的空間であるダンジョンにおいて、縦横無尽に空を飛ぶ魔物を相手取ること自体がレアケースであるため、戦いづらさはハンパじゃない。

 とはいえ、流石に単体でコブラソルジャーに匹敵するほどの脅威ではなく、一対一なら俺でもフツーに倒せる。

 ……まあ、問題は…………数だ。


 マユパパ曰く、その数は推定でななななな何と三百五十!

 しかも、苦労して全滅させたところで一週間足らずで元通りに復活するらしい。

 その辺のメカニズムは不明だそうで、非常に理不尽な話だが、でもまあゲームとかそんなもんかと思うと悔しいが納得してしまう。

 ちなみに、こんなに厄介な魔物が遮っている状況で、どうやって各フロア間で頻繁に情報の伝達を行っているかというと……実はムチャクチャ簡単な方法があって、レベル15程度のAGIがあれば、ヤツらに追いつかれる前にスルッと通り抜けられちゃうのだ。

 残念なことに、今回は俺と陽芽が未熟であるため無理なのだが……とりあえず一言ツッコミたい。

 なんじゃそりゃ。



「ぬおりゃああああああああああっっ!!」


 気合の入った野太い雄叫び。

 「うわぁー……ザ・凶器」としか言いようがない、分厚くて無骨な両刃の戦斧が、重々しい風切り音を伴って鋭く空を裂く。

 ほぼ同時に、上空からマユパパに強襲を仕掛けるべく降下してきた十匹のコウモリ……もといアーミーヴァンパイアバットは、耳をつんざく甲高い鳴き声とともに真っ二つに切断されて血しぶきを派手に撒き散らした。


「おっしゃあ! あと少しだ、気張れよてめえらあああっっ!!」

「「「おおおおおっ!!」」」


 忌まわしき記憶がうっすらと残る懐かしきボス部屋にたどり着いてから、およそ二十数分。

 ここまで全く危なげのない完璧な戦いぶりで、残すはわずか三十匹足らずまで容易に追い詰めた。

 戦術はいたってシンプル。

 「あんな雑魚の攻撃なんざカスリもしねえよ!」と自信満々に言い放ったマユパパが、単身で特攻して囮になりつつ好き勝手に暴れまくる。

 魔法使い三人は部屋に入ると格好の餌食になるので、通路からコウモリが群がる天井に向けてひたすら魔法をぶっ放す。

 当然ながら魔法で終始無双できるわけでもなく、少なからぬ数がぶちキレて向かってくるので、重装備の盾持ち戦士三人が入口を塞ぐようにガードする。

 俺と陽芽は…………待機。


 とまあ、こんな感じだ。

 実働人員は七名。

 ここを安心安全に突破する場合の目安は十五人程度とのことなので、一見して無謀だが……味方にすると頼もしすぎるマユパパが軽く十人分の仕事をこなしてくれているので、ご覧のチョロさである。


「フレイムバレット!」

「ウインドカッター!」

「くっ、五匹抜けてきたぞ! 気をつけろっ!」


 ……しっかし、こうして冷静に見ると……とんでもねえな。

 マユが一人で楽々クリアした時は「それはほら、マユだから」という妙に説得力溢れる理屈でアッサリ納得したが……。

 改めて偉大さを実感するな、こりゃ……。

 全く……俺のマユは最強だぜ。


「これで……ラストおおおおぉぉおぉおおおおおっっ!!」


 部屋中にビリビリ響き渡る大声とともに、互いにフォローし合いながら必死に盾を振りかざす戦士達を鋭い鉤爪で攻撃していたコウモリの胴が、見るも無残なまでに音高くちぎれ飛んだ。

 最終的に一人で半分以上を屠ったマユパパが、斧を振り切った姿勢のまま荒い呼吸を繰り返して大きく肩を上下させる。

 この人もバケモンだな、マジで……。

 今更ながら、俺が勝ったことがいかに奇跡的な快挙だったかを実感するなぁ。


「ふぅー…………おっしゃあ! よくやったてめえら! 戻ったら酒を浴びるほど飲みやがれ、礼代わりだっ!」

「「「うおおおおおおおおぉぉっ!!」」」


 思えば、これほどの大規模戦闘を目にするのは初めてだった俺――おそらくは陽芽も――は、各々が手にした武器を突き上げて声を張り上げる様子を、大作映画を観終わった直後のような気分で口を半開きにして呆然と眺めていた。


「おら、天地! と、天地妹! 何ぼけっとしてやがんだ。こんな割に合わねえクソだりぃ仕事をしてやったコイツらに何か言うことがあるんじゃねえか? ああん?」

「「あ…………ありがとう、ございました……」」


 ぎこちなく頭を下げ、シンクロしてゴニョゴニョとお礼を言う俺と陽芽。

 しんどい上に三文の得にもならないフロアボス退治に、俺の一身上の都合で付き合わせた申し訳なさで心の底から頭が上がらない。

 しかし、心優しい先輩方は気にする素振りもなく朗らかに笑ってサムズアップで応じてくれた。


「うっし、そんじゃお前ら、気ぃつけて戻れよ。……んで、マジでわりぃけど、しばらくの間頼んだぜ」

「はい、リーダーもお気をつけて。天地も陽芽ちゃんも、たまには戻って来いよ。それじゃ」




 助っ人六人はベースへと戻り、俺と陽芽とマユパパは、本当にショボくて「え? これ?」と目を疑った階段を下り、すぐ先の安全な部屋で休憩を取ることにした。


「どっこらしょっと……。か~っ、久々に運動するときちぃなあ、ちくしょう」

「お、お疲れ様です……」

「なーにかしこまってんだ天地。こいつぁ俺の都合でもあるし自業自得なんだからよ。あんま舎弟に対して気ぃ遣ってんじゃねえっつの、気持ちわりぃな」

「あ、ハイ…………」


 焚き火いらずの暖かいセーブクリスタルのそばで腰を下ろして向かい合う俺達。


「…………」

「…………」

「…………」


 ……………………。

 き、気まずい…………。

 昨日はあれだけ挑発を繰り返して煽ったわけだが、あれは作戦と割り切っていたからこそ成し得た行動だ。

 いざ、こうして膝を突き合わせると……やっぱこええよ、この人。

 でけえし。

 身長二メートル超えてるんじゃね?

 正直、苦手なタイプだ。

 ダンジョンに来る前に取り調べをした刑事さん……名前は知らねえけど、ああいう人が相手なら割と普通に話せるんだけどなぁ……。


 陽芽は……と思ってちらりと目を向けると、ぶすっとした表情で手持ち無沙汰に刀の手入れをしている。

 どうもマユパパをあまり快く思ってないようだ。

 そりゃ気持ちは分かるけど……いやはや、肝が据わってやがる。

 我が妹とは思えんぜ。


「あの……マユがいる場所ってどういう所なんですか? ファフニールの泉……でしたっけ?」

「ん? ああ……そうだな、今から行くんだ、説明しとかねーとな……」


 沈黙に耐えかねて質問すると、マユパパは顔をしかめて腕を組んで低く唸った。


「あ゛ー……つっても、俺も行ったことがねえから、よく知らねえんだが……一言で言うと、やべえとこだ。ありゃ四年前だったか……」


 マユパパによると、件の泉は二層の端っこに位置し、とある日に新聞にて危険区域とされてからはたったの一度しか足を踏み入れた者はいないという。

 後に、ご丁寧にも入口に立ち入り禁止の看板まで立てられたその部屋については、発見されてから四年が経った今でも不明なことが多い。

 分かっていることは、内部には目が痛くなる血のように真っ赤な泉が広がっており、その中央に体を半ばまで沈めて佇む一匹の竜――邪竜ファフニールがいるということ。

 体長三十メートルを優に越えると見られるその竜は、戦うまでもなく勝ち目がないと本能で気づかされる圧倒的な威圧感を放ち、フロアボスでもないことから攻略の必要はなしという結論に達した。


「ま、合理的に考えりゃ当然のこった。だがな、そんな損得や必要不必要なんかクソくらえっつう馬鹿野郎が思いのほか多くてな……」


 攻略が五層まで進み、質の高い安定した生活が送れるようになり、戦いの日々に慣れたことで多くの者が己の力に自信を抱き始め……。

 ついに昨年、各層の強者で構成された平均レベル25の総勢三十名による大パーティーがファフニール討伐に乗り出した。

 それは四層のフロアボス攻略時に勝るとも劣らない戦力であり、誰もが勝利を疑わなかった。

 しかし――――。


「結果は……全滅だ。入り口で目を輝かせて吉報の瞬間を待ち望んでた情報屋連中は、そりゃもう絶望しただろうぜ。ただ、この惨劇で戒め以外にちっとだが得られた情報もあった」


 それは、瀕死の重傷で部屋から脱出した、たった一人の精鋭メンバーが持ち出した泉の水。

 その後すぐに絶命した彼が残した唯一の戦利品を解析した結果、その水には極めて高い治癒効果があることが判明した。

 嘘か誠か、それを一口飲めば失った手足や臓器でさえも瞬時に治すことができるという。

 現存する回復魔法の使い手では誰にも到底不可能な、まさに夢のような回復アイテムである。


「とはいえ、そいつをちょいと手に入れる度に精鋭数十人があの世行きになったんじゃあ何の意味もねえ。野郎は普段おとなしいが泉の水に触れた途端に攻撃してくるっつー話だから、こっそりいただくってのも難しくてな……結局、討伐作戦は無駄死にで終わっちまったって話だ」

「ははあ……なるほど…………」


 凄まじい治癒効果を秘めた水……か。

 はて……何か引っかかる気がしないでもないような…………。


「つーわけで、だ。こっから先はマジでやべえぞ。ファフニールはもちろん、マユに味方することで二層の奴ら……いや、それだけじゃねえかもしれねえ。近いうちに全層の連中が敵になる可能性だってある」

「…………そう……ですね……」


 確かにそうだ。

 先日の記事を読んだ限りでは、まだ二層の人が独断で決めただけ……という感じだった。

 しかし、マユの普段の行いを顧みるに、最悪の場合これに続いて他の層でもマユを処刑すべしという流れになりかねない。

 いや、大いにあり得る。


「……これが最終勧告だ。いいのか、お目付役になって……いや、もはや死ぬも生きるも一蓮托生の運命共同体だな。つか、ぶっちゃけて死ぬ確率の方がずっとたけえ。そんな危ねえ綱渡りの人生になる覚悟が、天地……お前にあんのか?」

「お兄ちゃん…………」


 ビビッて逃げ出したくなるくらい鋭い眼光で俺の目を真っすぐ捉えるマユパパと、心配そうに見つめる陽芽。

 ふっ……怖い顔して何を言うかと思えば、このオッサンは……。

 覚悟があるかだって?

 そんなもん…………決まってんじゃねえか。


「愚問ですね……どこまでもマユについていきますよ。ダンジョンにいる魔物から人間まで全員が敵になっても関係ありません。こんなところで休んでないで今すぐ走って駆けつけたいくらいです。……まあ、陽芽まで巻き込んじゃうのが気がかりですけど……」

「天地……何でだ、何でお前はそこまで……」


 それはもちろん、マユを愛しているからです!

 僕に娘さんをください、お義父さん!

 ――と、包み隠さず本心を言うべきシチュエーションなのかどうなのか……。

 いや……何となく、それを言っていい空気じゃない気がするからやめておこう。

 めっちゃ怒られる、というかむしろ今ここで殺されそうだ。


「俺はマユに何度も命を救われました。だから俺は誓ったんです。残りの人生は全てマユに捧げると!」


 ……うん、これも間違ってはいない。

 我ながら寒いセリフだったからか、陽芽がかなり引いているような絶妙に複雑な表情をしているけど、オッケーオッケー。


「そうか……。じゃあ、お前はどうなんだ、天地妹。お前にはマユを助ける義理はねえだろ」


 瞬き一つせずに目を見開いたまま、マユパパは視線を陽芽に移して問いかけた。

 陽芽は刀をぎゅっと握り締めて、たどたどしくも迷いなく答える。


「私は、マユさんのことは、全然知らないし、正直、どうでもいい。お兄ちゃんを、守るために、ついていくだけ」

「……なるほど、な…………」


 俺達の言葉を噛み締めるように、そっと目を瞑ってうつむきながら小さく頷くマユパパ。

 しばしの静寂を経て……突然、マユパパは両手をドンと地面に突いて勢いよく頭を下げた。


「…………本当は親である俺が一番そばにいてやらねえといけねえんだが……すまねえ……! おそらく俺は、お前らを二層から逃がすだけで精一杯だ……。だから……マユを…………マユを頼む……ッ!!」

「こ、凩さん…………」


 オークとストリートファイトをして余裕で百連勝できるレベル38のベテラン強面ヤクザに、嘘偽りのない正真正銘の誠心誠意がこもったガチ全力一杯で超マジ真剣の嘆願をされ、俺と陽芽は顔を見合わせて戸惑いを顕にした。

 普段は一層のリーダーらしく毅然とした態度で振舞っている、あのマユパパが……。

 ……まあ、ちょいちょい親バカな面をポロっと出しちゃってるけど……それでも、こんなガキんちょ相手に頭を下げるなんて……。

 あまりにも意外すぎる行動に絶句する俺は、続く言葉でさらに驚愕した。


「命を張ってくれるお前らには聞いてもらいてえ……昔、マユに何があったかを。あいつは……可哀想なやつなんだ。今のあいつを見てると誤解しちまうのも仕方ねえが、本当は優しいやつなんだ……」


 マユの……過去……!

 これまでマユ本人はもちろん、サユやアユにも聞けなかった、あのマユの過去。

 俺は自由で奔放で狂気的で猟奇的でキチかわいい、今のマユが好きだ。

 地上にいた頃からマユがそういう人間だったとは思っていない。

 だが、今は今、昔は昔。

 別に昔のことなんか知らなくてもいいと思っていた。

 ……いや、本気でそう思っていたんじゃない。

 ただ、人付き合いが苦手な昔の悪癖で、踏み込んだことを聞けなかっただけだ。


 しかし、謎の魔物によって一層に飛ばされる前、俺は決心した。

 俺はマユのことを知らなさ過ぎる。

 もっとマユと腹を割って話をしたい。

 昔のことも含めて、もっとマユのことを知りたい……否、知らなければいけない――と。


 気づけば俺は、マユパパの一言一句に耳を傾けるべく、かつてない集中力で前のめりになって息を殺していた。


「あれは五年前…………俺とマユがダンジョンにぶち込まれる二ヶ月前のことだ――――――」

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