第33話 ヒトリノ夜(もうちっとだけ続くんじゃ)
「ボシュルルルルルゥゥゥゥッッ!」
明確な威嚇の意思が、鼻の曲がりそうな臭気とともに、離れた俺まで届く。
全長四メートルを越えるクモ、正式名称タイラントタランチュラ。
防刃性、耐火性のある剛毛に覆われており、生半可な攻撃ではワサワサと蠢くキモい足の一本すら切断できず、大抵の虫に効果抜群な炎魔法もイマイチ効き目が薄い。
本体の動きは鈍いが、口から高速で射出される強力な粘着力を持つ糸にほんのちょっぴりでも触れようものなら、あっという間に引き寄せられて為す術なくモシャモシャと捕食されてしまう。
二層に出現する魔物の中でも一二を争う強敵……かつ圧倒的な威圧感で、俺が単独でレベル上げに勤しんでいる時に遭遇した際は「あひィィィィィイ!」と甲高い声を上げて、愛着すら湧いている鉈を思わず投げ捨てて全力で部屋に逃げ帰ってしまったほどだ。
すやすやと眠るマユのおかげで消し飛ぶ恐怖心……俺はその時「なるほど、マユは天使ではなく楽園そのものだったんだ」と悟りを開いたものである。
そして今、俺は余裕すら感じさせる風体でタイラントタランチュラを前に佇む。
正確には、いつも通りマユが虐殺している模様を遠くから眺めていた。
まず、マユの『威圧』スキルでタランチュラのステータスは開幕早々に減少。
それでも怯むことなく次々と繰り出される糸を、マユは『動体視力上昇』スキルにより難なく見切り、持ち前のレベルと『身体能力上昇』、『反射速度上昇』、『スキル効果上昇』、『狂気』によってブーストされたSTR、AGIを遺憾無く発揮してブツブツと叩き斬る。
「にゃっはははははぁぁぁぁあぁあぁぁあっ!」
次に、『武器生成』で生み出した麺切包丁をトマホークのごとく投擲。
拍子抜けするほど簡単に足をバッサバッサと切断して、わずか十数秒でタランチュラをだるま状態にしてしまう。
無防備に歩み寄るマユに対して、最後の抵抗で噛み付こうと試みるタランチュラだったが、『自動反撃』による華麗なムーンサルトキックが顎に的中して、無様にひっくり返る。
勝負アリ……!
惚れ惚れとする、実に鮮やかな流れだった。
しかし、ここからがマユの本当のお楽しみタイムのはじまりはじまり。
「イイぃぃぃっつもフシギぃぃなイトわぁあぁぁどぉぉこにあっるのっかぁぁナぁああぁ♪」
懸命にもがくタランチュラの腹に飛び乗ったマユは、『硬化』させた素手で毛むくじゃらの皮膚をべりべりと剥がす。
「キシュルルルルルルルルッッッ!!
青紫色の鮮血が蒸気を伴って勢いよく吹き出し、マユの全身にまとわりつく。
タイラントタランチュラには、牙だけでなく血液にも強力な毒がある。
少量が付着しただけでも徐々に毒素が体内に浸透し、十分後には平衡感覚が狂い出して強烈な痺れに襲われるというトンデモないヤバさだが、マユは『毒耐性』によって元気ハツラツ、むしろ興奮が高まってパワーアップ。
ぐっちゃぐっちゃぐっちゃぐっちゃとタランチュラの腹部を散々弄り回すマユ。
「なああぁあぁぁいなぁぁ……なあぁあぁぁいなぁぁぁ……オカシぃぃいナぁぁぁあなぁぁあぁ」
どうやら、口から出していた糸が腹の中にあるものだと思っているようだ。
ふふっ、可愛いなぁマユは……でも、そのくらいでやめたげて。
「はぁぁあぁああぁあああぁぁ……」
やがて、生前の面影が失われた哀れな残骸の山頂で、ゆらりと立ち上がるマユ。
『体力吸収』、『魔力吸収』の効果で疲労もMPも完全回復したのか、その顔には狂おしいほどの悦びが満ちている。
血色の良い艶やかなピンクの頬と、毒々しい青紫の返り血が描く美しいコントラストに、俺の心は否応なしに惹きつけられた。
「とぉぉぉおってもたぁぁのしィィいいいネぇネぇえぇえええぇってぇぇえぇんちゃぁああんっ♡」
ぶっちゃけ、楽しくはない。
楽しいわけがない。
やりすぎだ。
度し難い……度し難いよ、マユ。
しかし、マユに心奪われた俺の目は、口は、たしかに楽しそうに笑っていた。
何かもう、どうでもいいや。
思うことは、ただ一つ。
守りたい、この笑顔。
一日の狩りを終え、進化した俺の料理に舌鼓を打ち、マユはすぐ眠りに就いた。
俺はというと、引き続きレベリングに邁進中だ。
ちなみに、今日はサユが非番だったためソロである。
それどころか、大変運の悪いことに引き続きアユが目覚めてしまったばっかりに、迂闊にも飲ませてしまった酒――もとい自信作のミルクの件でしこたま怒られ、殴られた。
慌てて、俺は逃げるように……というかハッキリと逃げ出して、アユの活動時間たっぷりを魔物退治に費やそうと心に決めた。
キモいながらも二層随一の安牌、安心安全のヴェノムキャタピラーを鉈のサビにしながら、ふと俺は物思いに耽る。
考えているのは、もちろん愛しのマユのことだ。
今の今まで、浅はかにも俺はマユの強さを「レベルスゲー、マジヤベー、パネェー」としか思っていなかった。
しかし、マユのスキルの全貌を知った今、その感想はあまりにも幼稚だったと言わざるを得ない。
先のタイラントタランチュラの一戦だけに限っても、あれだけのスキルを駆使していたのだ。
仮に、こうして日々頑張っている俺がレベルの上でマユに追いついたとしても、料理スキルに全振りされてしまっている予感しかしない俺が、戦闘面で肩を並べることは不可能だろう。
まあ、それ自体に不服はない。
俺は最強チート主人公なんかじゃなく、単なるマユにゾッコンのパートナーにしてファンクラブ会長だ。
マユのアシストをして、マユにとってかけがえのない存在にさえなれれば、それで充分すぎる。
HAHAHA、料理スキル上等じゃねえかコノヤロー。
問題は、そんなマユにラブな俺が、あまりにも無知だったということだ。
例えば、『自動反撃』のスキル。
無意識に迎撃するなんて超絶便利だと思っていたが……もしかしたら、想像以上に面倒臭いスキルなんじゃなかろうか。
おそらくだが、このスキル……魔物の攻撃にだけ反応するのではない。
敵だろうが味方だろうが関係なく、近づいてきた敵意に無条件で反応する。
つまり、アユが言ったように『攻撃したくないのに勝手に攻撃してしまう状態』というわけだ。
思えば、「魔物の群れに囲まれていたので助けようと近づいたら、目にも止まらぬ見事な膝蹴りでアバラを三本折られた」、「狭い通路ですれ違う際に、突然スーパーヘビー級の高速アッパーで顎を粉々に砕かれた」という先輩囚人方の体験談も、これに起因しているのだろう。
俺自身にも心当たりがある。
雨柳さんとローニンさんに出会う前……ヴェノムキャタピラーとの戦いで、加勢しようと突っ込んだら華麗なジャンピングバックスピンキックを決められた。
ひょっとしたら、ゴキブリを退治しようとして喉元に噛みつかれたのも、そうかもしれない。
これらの事例から察するに、『自動反撃』は敵意とも言えない警戒心程度の感情にすら反応し、なおかつマユ以外に向けられた場合であっても、効果範囲内に入ってしまうことで勝手に発動してしまうと考えられる。
もう一つ怪しいスキルが『威圧』だ。
目を合わせた相手のステータスを下げる。
「そんなのアリかよ!」とツッコミたくなる反則っぷりだが……これも多分、対象は敵味方を問わない残念スキルだ。
一緒にいるだけで迷惑をかけてしまう、というアユの言葉は嘘でも誇張でも加害妄想でもなかった。
まるで、近づくことも一緒にいることも許されない、そんな運命を背負わされているみたいだ。
……あれ?
ってことは、知らず知らずの内に俺は常時弱体化させられていたってわけか。
ナンテコッタイ。
何はともあれ、俺は今日に至るまで誤解していた。
マユは理不尽に残虐的で、純粋に猟奇的で、理由もなくイカれていて、憧れるくらい孤高で、呆れるほど奔放で、単純にキチかわいい。
そんな女の子だと、俺は思っていた。
しかし、こうして推察してみると……スキルのせいで誰とも一緒にいられない、孤独を強いられる哀しい女の子という一面が浮かび上がってくる。
どちらが本当のマユなのか……今の俺には判断がつかない。
そもそも、マユはスキルを覚える前、ダンジョンに放り込まれた初日から一人で行動していたとお義父さん……じゃなかった、剛健さんは言っていた。
そもそも、マユが孤独の寂しさを隠して虚勢を張っているようには見えない。
そもそも、マユはどんな罪を犯してダンジョンに送られたのか。
そもそも、マユはいつからこんなクレイジーでキチかわいいのか。
生まれつきの性格?
ダンジョンに来てから変わった?
病気?
………………ええい、考えても埒が明かない!
決めた!
何となく、一歩踏み込んだプライベートな事情は聞きづらいとためらっていたが……マユと腹を割って話をしよう。
マユに昔、何があったのか。
今、何を思っているのか。
これから、どうしたいのか。
そして……そして……あわよくば、俺の気持ちをマユに伝えて………。
よし! そうと決まれば善は急げ。
うだうだ考えてる間に結構な時間が経っているし、そろそろ戻るか……。
「――――ロロロロォォ…………………」
「……ん?」
意を決して、モヤっとした心境を吹き飛ばすように力強く踵を返した瞬間。
不意に、未だかつて聞いたことのない音が聞こえ、後方の薄暗がりに向けてジッと目を凝らす。
「ゥロロロロロロロォォォ……」
何だ……?
低音のトロンボーンみたいな……。
いや、これは……。
「鳴き声……魔物…………か?」
ズルッズルッと硬い地面を擦る音と共にゆっくりと姿が明らかになるのを見て、ようやく俺は正体に気づいた。
徐々に鮮明な輪郭を帯びていく、その姿は……二層に来てから何度も目にした巨大カマキリ、スペリオルマンティスだ。
……何だよ、ビビらせやがって……。
油断はできないが、俺一人でも問題なく倒せる。
そう思って緊張を解いた俺は、カマキリの後ろから現れたものを見てギョッと目を見張った。
「な……んだ、コイツ…………」
カマキリの背中を突き破って、何かが生えている。
というか……でかい!
二メートル近いカマキリよりも一回りでかい、ハエトリグサを思わせる暗い紫褐色の植物が、傘のように頭上で揺れている。
その重量を感じさせる頼りない足取りで、ふらつきながら地面を擦って近づくカマキリ。
よく見ると様子がおかしい。
……いや、すでにおかしいのは分かっているのだが、輪をかけておかしい。
カマキリは不自然な方向に傾けた頭を小刻みに震わせながら、普段なら常に臨戦態勢で構えている鎌状の手をだらりと下げている。
背中から生えた植物に、生気を吸われているような……操られているような……そんな感じだ。
「ウロロロロロロロロロロロロロォォオォッ」
長細い茎の先端にぶら下がる二枚貝のような葉がパカッと開き、粘液が垂れる牙状になった葉の先端から不快な低音が響く。
「……変な鳴き声は、この植物か。見たことねーぞ……つーか」
俺は攻略本に記載してある魔物を隅々までチェックした。
しかし、こんな奴の情報はどこにも書いていなかった。
得体の知れない恐怖を感じながら、俺は素早くステータスを見る。
「パラサイト……ヘルズスネア……。やっぱ知らねーな……」
どうする……逃げるか?
部屋までは近いし、正体の分からない魔物を相手にするのは危険だ。
無理に戦う必要は全くない……が……。
「……動きはトロいし、カマキリは死んだも同然みたいな状態だし……わけ分かんねーが余裕で倒せそうだな。よし……!」
相変わらず鈍い動きで這い寄るカマキリと植物を前に、冷静さを取り戻した俺は鉈を力強く握って突進した。
まずは、ひょろひょろの茎を斬り落とす――――!
「ウロロロロロロロロロロロロロロロロロロッッ!!」
「――――なッ!?」
板についてきた鋭い振りで茎を切断する、その直前。
突然、目にも止まらぬ速さで葉が動き、口のように開いた葉がさらに大きく、天井まで届きそうなほど縦に割れ――そして――――。
ばくっっ!!
驚愕に硬直する俺は、息が詰まる異臭を放つ暗黒に頭から飲み込まれた。
視界は閉ざされ、体がふっと宙に浮く感覚に襲われる。
「くっ……そ、飲まれた……! こんの……出せ、この野郎っ!!」
滅茶苦茶に鉈を振り回すが、なぜか空を切るばかり。
じたばたと手を、足を動かすが、なぜか空を切るばかり。
冷たい感触も、悪臭も、いつの間にかなくなり……無重力空間に放り出されたような、不思議な浮遊感だけが残った。
「どうなって…………ッうわああああああああああっっ!!?」
忙しなく鼓動する心臓の音に焦る気持ちを募らせていると……またも不意に、上から押しつぶされるように重力が戻り――落下した。
…………落下? どこに? 何で?
俺、食われてた……よな?
さっきの妙な感覚は、一体……。
「んごっふ!!」
俺は絶叫の途中で硬い何かに体を強打すると、勢いそのままにコロコロコロコロとどこかへ転がっていった。
何回転したのか皆目見当もつかないが、ようやく動きが止まり、地面にうつ伏せで倒れているという現状を把握してホッと胸をなで下ろす。
とにかく、理解不能な窮地からは脱した……。
止まり方が、壁に後頭部を強打するという悲劇であったこともギリギリ許せるくらい安心した。
…………ん?
何か……こんなこと、前にもあったような…………。
気のせいか…………?
「いてててて……何だったんだ、ったく……」
いや、待て! 魔物は――――!?
「…………あれ? いない…………?」
すぐさま立ち上がり、鉈を構え直して辺りを見回すが……パラサイトヘルズスネアもスペリオルマンティスも、どこにもいない。
狭い通路には、パチパチと静かに爆ぜる篝火の他に、何もない。
「…………え? ええ? っていうか……は?」
なおも注意を払い続ける俺は、ある違和感に気づいた。
……いや、そんな馬鹿な。
そんなわけない……落ち着け。
あり得ない……きっと気のせいだ。
常識的に考えろ……馬鹿馬鹿しい。
でも…………だけど…………しかし…………。
「……………………ここは……どこだ…………?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます