第32話 お酒は二十歳になってから

「ホン…………ットにバカですね、あなたは」

「ぅぐっ……」


 マユとの気まぐれフリーハントを終え、安全な部屋で安らかなスリーピングタイムを迎えた矢先。

 目覚めたアユの開口一番がこれである。

 あんまりだとは思わないだろうか。

 しかし、残念ながら反論の余地がない。


「高笑いしながら飛び跳ねていたら木の枝に頭をぶつけて、着地に失敗した挙句に足首をひねった、なんて……間が抜けているという次元を超えてますね」

「ぐぐぐぐぐ……!」


 どうしてこうなった……。

 昨日、レベルが上がった時は「これでアユも俺を見直すに違いない!」とウキウキしていたというのに、なぜ呆れられて心底バカにされているのか。


「はぁぁ……大体、今日一日ずっと顔を引きつらせて変な歩き方をして……あれでバレないとでも思ってたんですか?」

「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……!!」


 思っていた。

 努めて平静を装っていたつもりだった。

 だって、マユに心配をかけたくないじゃないか。

 たかが捻挫ごときで……しかも、あんなカッコ悪い怪我の仕方をした俺が、どうしてマユに弱音を吐くことなどできようか。

 努力の甲斐あって、何度か首をかしげられたがマユには悟られなかったはずだ。

 なので、結果として怪我が悪化して腫れが酷くなった今も、俺は強がったことを少しも後悔していない。

 それどころか、アユにも「忠道、大儀である」とねぎらいの言葉をかけられるだろうと期待すらしていたほどだ。

 ところが、実際はご覧の通りの有様だよ。


「……まあ、その気概は評価しますけどね……。だから、今回だけは特別に治してあげます。ほら、足を出してください」

「ぐぐぐ……って、ん? 治すって……どうやって?」

「いいから、早くしてください」

「は、はい……」


 言われるがままに痛む足を差し出すと、アユは手を近づけて呟く。


「ヒーリング」


 以前にも経験した回復魔法の白い光に包まれた患部は、見る見る間に腫れが引いていき、じんわりとした心地よい温かさだけが後に残った。

 たったの数秒で「怪我? は? 何のこと?」と言わんばかりに元通りだ。

 マユの「痛いの痛いの飛んでけー♡」に匹敵する治癒力と言っていい。

 そんな人生最高の機会は残念ながらまだないけど。


「す……っげえ! アユって回復魔法まで使えるのかよ! やべーな、補助のエキスパートじゃねえか!」

「大げさです……っていうか、うるさいです。静かにしてください」


 驚き、賞賛を送る俺の言葉に、ぶすっとしながら解いた髪をくるくる指に巻きつけるアユ。

 うむ……根拠のない勘だが、これ以上褒めても何も出ないどころか殴られそうだからやめとこう。

 それにしても、この三姉妹の素晴らしい役割分担はどうだ。

 長女マユは物理攻撃担当にして近接戦の鬼でありマイスイートハニー。

 次女サユは魔法攻撃担当にして遠距離戦のスペシャリスト兼ムードメーカー。

 三女アユは補助魔法担当にして回復から洗濯、裁縫までこなす生活の要。


 人格が違うとはいえ一人の人間なのに、なぜスキルまで別々なのかは分からないが、もはやチートとしか思えない。

 もしも、この三姉妹がパーティーを組むことができれば、ダンジョン制覇など楽勝なんじゃなかろうか。

 ……あれ? その場合、俺のポジションはどうなるんだ?

 …………料理係……かな……。


「いやー、助かったよアユ。マジでどうしようかと……。お礼と言ってはなんだけど、これ飲む? 今日作った自信作」


 感謝しながら俺が差し出したのは、まんまココナッツみたいなダンジョンココヤシの果実にハチミツを加えて、二層に生えているリカーヒヨスという爽やかな甘みのある薬草を漬け込んだ飲み物だ。

 名づけて『ハチミツココナッツミルクリカーヒヨス風味』。

 マユに甘味を提供することに余念のない俺が、攻略本を頼りに苦心の末に作り出した一品で、まだ飲んではいないが絶対うまいと断言できる。


「……あなたにしては気が利くじゃないですか。別に飲みたいわけではないですが、そういうことでしたら、まあ、そうですね……いただきましょうか」


 一見するとツンツンとした態度だが……ごくりと喉を鳴らして、乳白色の液体が入ったひょうたんに釘付けになる様子からは「飲みたい!」という隠しきれない欲求がにじみ出ている。

 言葉とは裏腹に、アユは受け取るや否や半分近くを一気に飲み干した。

 その顔からは、常時刻まれた険しい眉間のシワが消え去り、かすかな笑みさえ浮かび上がった。

 

 ふっ……してやったり!

 唐突だが、やはり俺の本業は戦闘ではなく料理なのだと確信した。


「な、何ですか、そのしたり顔は。不愉快ですっ!」

「いや~、べっつに~~? で、どう? うまいか?」


 ニヤニヤする俺に気づいてムッとするアユ。

 ここで調子に乗って「どやっ、天才だろ俺!」とでも言おうものなら、限界まで絞りに絞った雑巾のごとく思いきり顔をしかめられること必至なのでやめておく。


「ふ、ふんっ、悪くはないですね……。そんなことより! 最近は無駄に頑張ってるみたいじゃないですか。ろくに寝ずに一人でもコソコソと魔物を倒したりして」

「ふっふっふ、まあな。まずはレベルアップしてお前に認められること。そして、いずれはマユを射止めて妹公認の仲になるのが俺の目標だからな」


 キリッ!

 胸を張り、夢を語る少年のように目を輝かせて宣言する俺の言葉を聞いて……アユは感銘を受けるどころか、明らかに引いていた。


「ちっ!!」


 しまいには、得意技の舌打ちを盛大にかまして、汚物を見る目で俺を見下す。


「あなたがどれだけ強くなろうが、私はぜっ…………っっったいに認めませんけどね。ああやだ、気持ち悪い……。ほんと変わりましたよね、あなた。限りなく悪い方向に……」

「ふっ、恋は人を変えるってこった……。さらに! お前に言われてから、俺はちゃんとマユのことを知る努力もした。もはや凩マユ検定試験でもあろうものなら満点合格できると豪語するレベルだ!」

「……たしかに知らなすぎるとは言いましたが……今のあなたが言うと完全に変質者ですね……。それで? 具体的には?」

「ズバリ……マユのスキルを全て! 網羅した!」


 俺は攻略本に挟んでいた一枚の紙を広げて、アユに得意げに見せつけた。


「これは…………」



真空斬り……あらゆる物を切り裂く斬撃を飛ばす。最大射程は二十五メートル程度(推定)。威力、距離に比例してMPを消費。

硬化……瞬間的に体を硬化させる。硬化時間、部位に応じてMPを消費。

武器生成……想像した武器を瞬時に生成できる。武器のサイズに応じてMPを消費。

毒耐性……毒によるダメージを受けない。

電撃耐性……電撃によるダメージを受けない。

音波耐性……音波によるダメージを受けない。

病気耐性……病気にならない。

弱体化無効……魔法、スキルによる弱体化を無効。

自動反撃……攻撃に対して自動的に反撃を行う。

体力上昇……体力が上昇する。

反射速度上昇……反射速度が上昇する。

動体視力上昇……動体視力が上昇する。

身体能力上昇……身体能力が上昇する。

スキル効果上昇……スキルの効果が上昇する。

狂気……感情の高ぶりに応じてSTR、AGIが上昇する。

威圧……目を合わせた相手のSTR、AGIを一時的に低下させる。

暗視……暗い場所でも見通せるようになる。

察知……生物の気配、敵意が察せられるようになる。

痛覚鈍麻……痛みに対する感覚が鈍くなる。

体力吸収……生物を殺すごとに疲労が回復する。

魔力吸収……生物を殺すごとにMPが回復する。



「なるほど……スキルを全部、日本語に訳したのですか。ご丁寧に説明まで書いて、随分とマメなことを……。それにしても、よく調べましたね」

「すげえだろ。ま、これが愛の力ってやつかな」


 ……と、自慢しているものの……実は、先日ソロで狩りをしている時に雨柳さんとローニンさんにバッタリ会って、こっそり教えてもらったのは内緒だ。

 出会って早々、挨拶もなしに「俺にできることなら何でもする! 何でも教える! 調味料だって全部くれてやってもいい! だから頼む、マユの個人情報を全部くれ!!」と叫んで頭を下げた時の「こいつ、いよいよヤベーな……」と言いたげな二人の冷めた目は、今でも鮮明に思い出せる。

 それにしても、流石は情報収集班……そしてマユファンクラブ副会長だ。

 まさか、ここまで詳細な情報を、しかも二つ返事であっさり提供してくれるとは思わなかった。

 ついでにマユのスリーサイズまで聞いたら腹パンされたけど。


「強化系のパッシブスキルが多いな。代わりに攻撃スキルは真空斬りしかなくて、魔法も一切なし。ファイターってかバーサーカーって感じか……いやー、マユにぴったりだな!」


 これも教えてもらった……というか、よくあるゲームと同様なのだが、スキルにはアクティブスキルとパッシブスキルの二種類があるらしい。

 アクティブスキルとは、俺の『調味料』のように、MPを消費して自分の意思で発動するスキルのことだ。

 対して、パッシブスキルは『身体能力上昇』のように、自動的に常時発動しているスキルのことで、MPを消費することはない。


「どうだよアユ、わずか二週間足らずでこの進化! マジリスペクトじゃね? そろそろお兄ちゃんって呼んでくれてもいいぞ? むしろ呼んでくれ!」

「うざっ! しんでもごめんデスぅ。だいたい、このくらいはトーゼンのじょのくちデスぅぅ。あなたはまだぜーんぜんわかってまセン~」

「おいおーい、ちょっとは俺の努力を認めてくれてもいいじゃねーか」

「ふんっ! だいたい、これだってほんとーにじぶんでしらべたのかどーか……おーかた、じょーほーやのアマヤギさんにでもきーたんじゃないデスかぁぁ?」

「ギクッ! いい、い、いや~、まあちょっとだけヒントをもらったというか何というか……。っていうか…………」


 ……ん?

 あれ?

 何か……何かおかしいような……。


「え、えーっと……どうかしたか? アユ?」

「はぁあぁぁあ? べつにろーもしませんけろぉぉおぉぉぉ?」

「…………」


 いやいや、どう見ても変だ。

 いつの間にか、顔は赤いし、ろれつは回ってないし、目は座ってるし。

 まるで、酒を飲んで酔っ払ってるような……。


「いいれすか? たいせつなのわぁ、ろんなスキルがあるかじゃあないんれすよぉぉ。スキルのせいれマユおねーちゃんがくるしーのがぁぁわかるかってゆーのがぁーしってほしいんらったんれすよぉぉ」

「…………」


 やばい、何か語りだした。

 いつも毅然としたアユの変わり果てた姿のせいで、申し訳ないけど内容が全く頭に入ってこない。

 そもそも、何言ってるのか分からない。

 マジで一体どうしたんだコイツ……。


 ――――あ。

 もしかして……もしかすると……俺特製のミルクのせい?

 『魔法の料理』のせい?

 つまり……つまり…………俺のせい?


「あー……アユ、落ち着いて聞いてくれ。多分だけど、お前は今ちょーっと体調が悪いっていうか、そのミルクが――」

「らまってきいてくらさい! ここからがらいじなんれすから!」

「は、はい……すみません」


 怒られた。

 これはもう、どうしようもない。

 仕方ない……気が済むまで話を聞くしかないか……。


 それにしても、まさかこんなことになるとは……。

 イメージ的には、傷とか毒とかを治す効果になると思っていたのに……酔っ払うって予想外すぎるだろ。

 今後は料理の効果をしっかり確認しないと、落ち着いて食事もできやしない。

 くそっ……意外と不便なスキルじゃねえか……。


「マユおねえちゃんのスキルわぁぁ……ひとりになるんれすぅ……られもちかくにいられなくなるんれすよぉ……そんなのってひろいれすよねぇぇ……」

「あー……はいはい」


 マユのスキルは一人になる?

 誰も近くにいられなくなる?

 そうかそうか、なるほどイミフ。


「こーげきしたくないのにぃ、かってにこーげきしちゃうしぃぃ……いっしょにいるらけれめーわくかけちゃうしぃぃ……。マユおねえちゃんわぁ……マユおねえちゃんわぁぁ、なぁんにもわるくないのにぃぃぃ……」

「あー……はいはい」


 攻撃したくないのに、勝手に攻撃してしまう?

 一緒にいるだけで迷惑をかける?

 マユは何も悪くない?

 そうかそうか、なるほどイミ――――ん?


「らから……らからぁぁ……かわいそうらからぁ……あなたわぁぁ、ちゃぁんと……わかって……ほし……くて…………」

「………………」


 寝た……。

 うつらうつらと重そうに体を揺らしていたアユは、手にしたひょうたんと一緒にこてんと地面に転がり、眠りについた。

 火照った寝顔、安らかな寝息。

 いつもの俺なら、それらを存分に堪能しながら幸福を噛み締めて共に夢の世界へと旅立ったであろう。

 しかし、今は違う。

 アユの言葉が、これまでの出来事が、頭の中を駆け巡っていた。


「そうか……そういうことか…………!」

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