第27話 心が叫びたがってるんだ

 待て待て、一旦落ち着こう。

 えーっと……。

 察するに……今、ゴミを見るような目で俺を睨む少女は、マユのようでサユのようでもあるが、実はマユとサユの妹のアユであり、マユの別人格であるサユと同じ存在、すなわちマユがサユでアユもマユでサユもアユもどっちもマユでサユでアユで……。

 うん、わけがわからないよ。


「あ、あのー……ちょっと聞いていいか、アユ――――」


 とにかく話を聞こう。

 そう思って、混乱したまま掠れた声で名を呼んだところで……少女は眉をギューンと釣り上げ、ギリギリと音がしそうなくらい歯を食い縛る。

 ……え? 何?

 もしかして、呼び捨てじゃダメですか?


「…………えー……あー……あ、アユ…………ちゃん?」

「チッ!! 何が『ちゃん』ですか。やめてください、気持ち悪いっ!」

「も、申し訳ございませんでした……」


 盛大に舌打ちをされて、本気で怒られて、思わず敬語で謝ってしまった。

 年下の女の子に。


「で、では、アユ……さんは、マユのスキルによる別人格ということでよろしいのでしょうか? サユと同じように……」


 なにゆえ、こんなに緊張して丁寧な口調で話さねばならないのか。

 年下の女の子に。


「……チッ!!」

「…………あ、あれ? あの、ど、どうされましたか? な、何かお気に障ることでも言いましたでしょうか?」


 平身低頭して恐る恐る慎重に言葉を選ぶ俺に対し、秒単位で不機嫌度が上昇していくアユ。

 一体、何がそんなに気に入らないのか、さっぱり見当がつかない。

 というか、初対面じゃないですか。


「……あなたの質問に答えるつもりは毛頭ありません。単刀直入に言います。今すぐ私の前から消え失せて、二度と視界に入らないでください」

「ごっ……はぁぁぁああッッ!!」


 マユの顔、マユの声で放たれるエッジの効いた罵詈雑言に、打たれ弱いハートが容赦なく切り刻まれる。

 だ、大丈夫……彼女はマユではないんだよ、日比野天地。

 だから大丈夫、ああ大丈夫だとも……。

 そう必死に言い聞かせても、一週間は鬱状態になりそうだ。


「チッ! 早くしてください。十秒数える間に部屋から出ていかないと、体中に穴が開きますよ。いーち……にーい……さーん……」

「ひ、ひィィィィィィィィィィッ!」


 右手を突きつけて今にも魔法をぶっ放しそうなアユに背を向け、俺は我ながら情けない悲鳴を上げながら草木をかき分けて惨めに逃走した。

 愛しのマユの妹に対し、あまりにも不敬な愚行であることは重々承知している。

 しかし……彼女が人類最強の究極無敵の絶対無敗の猟奇的キチかわ系ヒロインであることも、俺は誰よりも深く理解している。

 加えて、目は口ほどにモノを言っている。

 これはガチの警告だと。


「ふんっ! やっといなくなってくれましたか。……これでようやく安心ですね、マユおねえちゃん、サユおねえちゃん」


 部屋を出てすぐに足を止め、生い茂る植物に身を隠して隙間からアユの様子をそ~っと伺う。

 どうやら追撃して俺を亡き者にするつもりはないらしく、アユは剣呑な目つきを解除してくつろいでいる。

 マユのトレードマークでありチャーミングポイントであるサイドテールに束ねた髪留めを外し、艶やかな緋色の髪をなびかせる仕草に魅入られながら、俺は今後の方針を練ることにした。


 まず、謎の敵対心を静めて欲しいところだが……あれじゃあ、ヘタに接触を図るのは逆効果だ。

 ……それにしても、髪をほどいたバージョンもイイなあ。

 たまにマユもああしてくれないかな……ちょっと後で提案してみよう。


 とはいえ、このまま離れてジッとしていたところで事態が好転するわけがない。

 ……それにしても、立ち上がり、歩き、泉の水を汲み、飲む……そんな何気ない行動にすら、マユやサユにはない女の子らしさ、可憐さが垣間見られる。

 さっきの態度からは微塵も感じられなかったが、意外と姉妹の中で一番女子力が高いんじゃないだろうか。

 口はすっげー悪いけど。


 とにかく、俺を親の敵のように毛嫌いする理由が知りたい。

 サユと入れ替わってくれれば気軽に事情も聞けるのに……。

 っていうかサユのヤツ、妹がいるなら言えよ、大事なことだろ。

 ……それにしても、怒ってる顔を初めて見た気がする。

 くそっ、俺にローニンさんのような便利スキルがあれば、激写してマユコレクションアルバムを作れるのに……。

 もしバレたら、ファンクラブ設立を告げた時を彷彿とさせるリアクションをされそうだけど。


 何はともあれ、俺が今なすべきことは…………。


「アユが寝るまで待つしかない……か。今のところ、アユが部屋から出ていく様子もないしな……」


 半分くらい全く関係のないことを考えていたが、そうと決まれば後はひたすら待つだけだ。

 行動可能時間がサユと同じであれば約二時間。

 かなり辛いが、仕方がない。

 ……それにしても、今の俺、完全にストーカーじゃね?




「ふぅ~~……ようやく寝たか……」


 およそ三十分後。

 お行儀の良い姿勢で横たわったままアユが動かなくなったことを確認して、大きく息をつく。

 幸いにも、ストーキング現場を誰かに目撃されて通報にいたることはなかった。

 まあ、犯罪者の巣窟であるダンジョンで警察的な自治組織が存在するのかは知らないけど……少なくとも、どっかの親バカのオッサンに知られたら百億パーセント殺されてしまう。

 なるべく音を立てないようゆっくりアユに近づき、ビビリながら顔を覗き込む。


「すぅー……すぅー…………」

「……よし!」


 ったく、手間取らせやがって。

 あの程度の脅しで俺が屈するとでも思ったら大間違いだ。

 「ハッ! 震えながら隠れてただけのチキン野郎がよく言うぜ!」と嘲るなら好きにするがいい。

 誰が何と言おうと、俺の根気の勝利だ。


「……何が『よし!』ですか」

「ひゃァァアァッ!?」


 勝利の余韻に浸って中腰のまま軽くガッツポーズを決めていると、不意にアユの目がパチッと開かれ、怖気が走るくらいドスの効いた重低音が発せられた。


「言いましたよね? 二度と視界に入らないでくださいって。ねえ? 私、言いましたよね? つまり、覚悟の上ってことですよね? ねえ?」

「お……お、おお、お……お許しをーーっ!」


 続く俺の無意識な行動は、適切だったかどうかは別として自己評価百点満点の迅速さだった。

 眉間に深い皺を刻み、強く握った拳を小刻みに震わせるアユ。

 とてもじゃないが顔を直視できず咄嗟に目を逸らした俺は、雷光のごとくキレッキレな身のこなしで瞬時にひれ伏して頭を地に擦りつけた。

 そう、いわゆる土下座である。

 

「俺はただ、あの、その、えーっと……と、とにかく落ち着いて話を聞いてくれ! というか聞かせてくれ! 俺の何が悪かった!? 言ってくれれば改善する。すぐに! 今から! 一瞬で!」

「っ~~~~~~~~……はあぁぁあぁぁぁぁ…………」


 深い葛藤を感じさせる長い沈黙の後、アユは怒りと諦めと呆れをブレンドした大きなため息を吐き捨てた。

 攻撃は飛んでこない。

 がむしゃらに誠意を尽くした成果……と胸を張るには、代償として犠牲になったプライドが甚大すぎる気がするが、そこは考えないようにしよう。


「……正直、殺してしまいたいところですが……いいでしょう。いきなり暴力に訴えるのは私の本意ではありませんしね」

「は……ははーっ! ありがたき幸せ!!」


 理不尽な仕打ちが回避されただけだと言うのに、この喜びはどうだ。

 さあ、どんな不満でもぶちまけるがいい。

 俺に非があったとは思えないが、マユの妹のためなら全力で悔い改めるぞ。


「はっきり言います。そうしないと永遠に付きまといそうですしね、あなたは。いいですか……好きだなんだと冗談半分でマユおねえちゃんをからかうのはやめてください!」

「んなっ!??」

「ただくっついてくるだけなら人畜無害だと見逃してきましたが……こんなに悪質で最低な嫌がらせをするクズの中のクズだとは思いませんでした! ほんっとうに不愉快です!」

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっっっと待った! 冗談半分? からかう? 嫌がらせ? おいおいおい、とんでもない誤解をしてるんじゃないか!?」


 何を言ってるんだ、こいつは。

 勘違いも甚だしい。

 しかし、なるほど……これで得心がいった。

 どうやらアユは、俺の愛を疑っているようだ。

 全く、俺に対する侮辱に等しいが、そういうことなら問題は解決した。

 なぜなら俺は本気なのだから!


「あのな……お前は重大な思い違いをしている。しかも三つもだ」

「……何ですか?」

「まず一つ、冗談半分じゃない。俺は超真剣だ。二つ、からかってない。俺は超誠実だ。三つ、嫌がらせじゃない。俺は超愛してる」


 ゆっくりと、可能な限り真面目な顔で、俺は真実を教えてやった。

 にもかかわらず、アユの表情は晴れないどころか台風が再来した。


「嘘です! たしかにマユおねえちゃんはすっごく可愛くて素敵ですけど……その魅力は私とサユおねえちゃんにしか気づけません。ましてや、あなたなんかには到底理解できないです!」


 カッチーーーーン。


「い、言わせておけば、この……この……! マユの妹だからって、許されねえことがあるんだぜ? 大体、サユみたいに俺の行動を見てたんだろ? 何で分っかんねーかなぁ~、俺の本気が」

「本気? あの軽々しい言動と気持ち悪いファンクラブ会員証がですか? とても正気とは思えませんでしたが? 怒りを堪えるのに苦労しましたよ」

「へ、へぇ~~、そんな風に思っちゃったんだ? まあ、お子様には大人の恋愛ってのは難しかったかな~。あと数年くらいお勉強してから意見してもらいたいもんだねぇ」

「大人の恋愛? 『えいごでいうとあいらーびゅー(真顔)』ってやつがですか?」

「ぐああああああああっ! それは忘れろおおおおおおおおッッ!!」

「ふんっ! やっぱりアレがあなたの本性なのですね。本当に最悪でした、あの時は。目が完全に死んでましたし、全然ろれつの回らない状態で気色悪い告白を……あぁ、今思い出しただけで鳥肌が立ってきました」

「ア゛ーーーーーーッ(汚い高音)! うるせーうるせええええっっ!!」


 キレた。

 表面上は丁寧語で話す初対面の幼い女の子を相手に、髪を掻きむしりながら我を忘れてカッコ悪く喚き散らす男の姿が、そこにはあった。

 もしも囚人パーティがたまたま通りがかったら、どう見ても俺が悪者のように映ってしまうだろう。

 しかし、どうか許して欲しい。

 俺は今、日比野天地史上最大の汚点であるトラウマを掘り返され、えげつない言葉の暴力を受けているのだから。

 とは言うものの、そのトラウマも事実として俺が自分で取った行動なのだから身から出た錆、自業自得であるからして、単なる逆ギレなのかもしれないが……。


「……まあ、あなたがあの時あんなザマになってしまったのは、サユおねえちゃんが迂闊だったせいでもありますし……お詫びとして、あと少し……ほんのちょっとだけチャンスをあげましょう」

「…………あ?」


 まだ興奮冷めやらぬ中、荒い息を整えていると、アユは「やれやれ仕方がない、私は大人で器が大きいから汚名返上の機会を与えてあげなくもないですよ?」と思っているような顔で言った。

 くそぅ! くそぅ!


「今すぐ消えてくださいというのは考え直しましょう。あなたの今後の態度次第では、マユおねえちゃんと一緒にいることを前向きに検討してあげてもいいです」

「…………つまり?」

「身の潔白は行動で示してください、ということです」

「…………なるほど」


 言い方はものすごく引っかかるが、そういうことなら是非もない。

 元々、己の行動に恥ずべき点は一切ないし、今は誤解しているがアユもいずれ俺の愛が本物だと理解してくれるだろう。


 ――いや、待てよ……。

 いっそ、今すぐにでも証明してやればいいのではなかろうか。

 そう、行動で示すのだ。

 よし……!


「認めるのもシャクですが、あなたがいるとマユおねえちゃんも楽しそうですし……マユおねえちゃんを傷つけるような行いさえしなければ――――きゃあああっ!?」


 ブツブツと呟き続けるアユが、突然甲高い悲鳴を上げた。

 なぜか?

 俺が強く抱きしめたからだ。

 なぜか?

 俺の気持ちを手っ取り早く伝えるためだ。

 そして、俺はアユが何か言おうとするよりも早く、高々と叫んだ。



「好きだーーーーーーーーーーっ!!」



 ふっ、決まった……。

 これほど具体的かつ簡潔に好意を伝える方法が他にあるだろうか?

 いや、ない。


「……………………」

「……………………」


 ……ちらっ。

 しばしの沈黙を経て、反応を見るべく片目を開けて様子を伺う俺の目に映ったのは、赤面して固まるアユだった。

 手応えアリ……と思ったのも束の間。

 俺は凍りついた。

 赤くなった顔が意味するのは決して好ましい感情ではなく、空前絶後の超大激怒だということをアユの鋭い眼光から悟ったからである。


「…………え、えーっと……こ、こんな感じで、どうです?」

「…………色々言いたいことがあります。どういう思考を経てそんな奇行に走ったのですか、とか。その行為がなぜ私に向けられたのですか、とか。それを万が一マユおねえちゃんにしたら絶対に許しません、とか。まだまだ山ほどありますが……とりあえず離れてください、今すぐに」

「は……はいっ!」


 オルトロスに睨まれた時以上の寒気に襲われた俺は、即座にアユから離れて直立不動の体勢に移行した。

 冷や汗で背中をびっしょり濡らしてチラリとアユを見ると、敵意しか感じられない恐ろしい表情を浮かべて、固く拳を握り締めていた。

 ……うん、嫌な予感しかしない。


「さて……考えてみたら言葉はいらないですね。私は今から最も合理的で効率的でスッキリする手段であなたに罰を下したいと思いますが……何か言い残すことはありますか?」


 あっるぇ~~……。


「あ、あー……そのー……は、話し合いませんか……?」


 もしかして……。


「あはは、最後まで救えない人ですね。それじゃ…………」


 またオレ何かやっちゃいました?


「死んでくださいっっっ!!」

「ぐっはぁぁぁっ!!」


 素晴らしい速度で閃く拳が、俺の意識を刈り取るまでのわずかな時間。

 ようやく己の過ちに気づいた俺は、なぜこんなことをしてしまったのかと深く深く後悔するのであった――――。

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