続 がんばれ!はるかわくん! -17-

――『佐東はもう来ないよ。』


「……店長…」

「ん?」

「どうして、あのひとの名前、知ってたんですか?…大窪の名前まで…」

「…んん?」


 店長は正面を向いて俺から顔を背けた。顔が少しひきつっていた。


「…アンドー、ぼくは、なんで彼らの名前、知ってるんだっけ…。」


 なんだか声がうわずっている。


「…知らないわよ。…さてはバカやったわねアンタ。」

「馬鹿。」

 なぜかキッチンからもヒミズさんの声がして、二人に罵倒されている店長。


「あ、そーだ!うわごとで言ったんだよね、ハルが。」

…うわごとで?

「…そうかな…俺は、あのひとの名前、ぜったい口にしないんだけ…まぐっ」 またケーキを入れられた。

「いーからいーから。食べて食べて。」

「うわーホントにおいしーいヒミズ!生地にカシューナッツの砕いたのが入ってるう!」

「ヘーゼルナッツ、だ。」


 ベランダからは、いつの間にか薄日がさしている。

(…まあ、いいや。)


 やっぱり店長は俺の「闇」を知っていて…全部知ったうえで助けてくれたんだ。


 それは店長の気まぐれだったのかもしれない。

 でも、俺は、助かって、ここにいる。

 それで充分だ。


 今、この瞬間を大事にしたい。

 店長がそばにいてくれている、この瞬間を。



 店長はヒミズさんが好き。

 ヒミズさんも店長が好き。

 俺も、店長が好き。

 それでいい。

 少なくともそこに、「闇」はない。



 ケーキを食べ終わって、3人を見送ったら、大窪に会いに行こう。会って、ひたすら謝ろう。

 店長が大丈夫だと言ってくれたので、それだけで、俺の心は少し軽くなっていた。


 キッチンからヒミズさんが紙コップをのせたトレイを持って出てきた。

 トレイは、…コンビニの弁当のふたの、洗ってあったやつ…。苦し紛れだろう。(すみませんヒミズさん…) うちはほんと、生活感が無さすぎだな…。(ちゃんとした食器、買おう。)


「紙コップなので熱いから、注意してください。」


 ひとつひとつ、床の、ケーキの周りに置かれる。

「うれし~い。ヒミズちゃんのいれた紅茶、おいしいのよね~。」


……。

―――!


「あっ!」


 俺が大声を上げたので、店長もアンドーさんもヒミズさんも固まった。

「…どうしたの、ハル。」

「このケーキ、店長のうちのあそこだ、」 ええと、そう!「…バスルーム!」


 俺は、店長の家にあったきれいなバスルームを思い出していた。

 壁のダークブラウンと、洗面台のクリームと、流し台のダークレッド。

 チョコと、生クリームと、イチゴだ。引越しの日にも食べた、ヒミズさんのケーキの色だ!


 引越しの日のケーキは、周りはチョコレートでコーティングされていた。

 でも、中にあったのは、チョコ色のスポンジと、そこにたっぷり挟まれた白いクリームと、赤い、ごろっとしたイチゴ。

 あのとき俺は、それを思い出したかったのだ!


 俺は発見できたことの喜びですっかり満足しきって3人を見たが、3人とも俺を見下ろしたままポカンとしている。


 しばらくして店長が口を開いた。

「春川さあ、」

「あ、はい。」


 神妙な声色に、思わず緊張して、店長の腕のなかだというのに背筋が伸びる。


「新しくするお店の壁に、絵を描いてよ。なんか、きれいなやつ。ギャラは弾むし、それに、今度は宿舎完備だよ。」


――……。


「ね、いいよねヒミズ。いい感性してるよ、ハルは。さっきヒミズも見たでしょ、ハルのスケッチブック。ほかのも良かったんだ。」


「…宿舎完備とは、どういうことですか。」

「うちのビルの上の、ぼくらの部屋の隣、空いてるじゃん。そこに」

「住まわすんですか?いつまで?絵が完成したら追い出すんですか?」

「…あ、いや、そこまでは考えてなかったけど…いいんじゃない。そのあとも住めば。楽しいし。」

「だから、ペットじゃないんですから、そんな曖昧な扱いは止めろと言ってるんです!だいたいあなたは春川のこと「わーかった、わかったって!

 じゃあね、ずっとうちで働いてもらえばいいよ。そんでうちにずーっといるの。ね、ハル?」


「春川が決めることです。誘導や強要は止めてください。」

「うれしいくせに~。」

「なにを…」

「だってそうなればヒミズ、きみも安心じゃん。わざわざハルにGPS 「そういえば春川の胸の、あのあとの件ですが、やっぱりあれは 「それは今いいんだよヒミズっ!」


…俺は、混乱していた。


 なに?

 絵の仕事がもらえるって…?


 しかも、店長たちと…また一緒にいられるのか?


…まさか…。


「ハル、どんな絵がいいと思う?壁は真っ白で、床はオークで暗めのグレーなんだけど。」


 混乱した頭の中で、でも、店長のその問いかけに対し、すでに、俺の心には描きたいものが決まってあった。


「―…店長の、実家の、中庭の白い木…」


 店長とヒミズさんが目を合わせる。

「うん!それいいねえ、ハル!」

 ヒミズさんが俺を見て微笑んだ。


 ふと店長が顔を上げて、まぶしそうな顔をした。


「…晴れたね。」


 店長の周りには、陽射しを受けた、キラキラとした空気が漂っていた。


(―…きれいだ。)


 今まで見たことがない光景が、目の前に広がっている。

 こんなきれいな世界に、俺なんかがいて、いいのか?


「…店長」


「なに?」

「これって、…やっぱり夢なんでしょうか。」


 店長は、けたけたっと笑いながら手を伸ばしてきて、俺の鼻をガクガク引っ張った。いでででで。

「咲伯!」



……夢じゃ、ない。






~おわり~



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