続 がんばれ!はるかわくん! -6-

 料理はすべてヒミズさんの手作りなんだろうか。

(エプロンしてるもんなあ。)

 そしてやっぱり何もかもおいしい。

 黄色いスープはかぼちゃだった。グラタンじゃなくて卵のオムレツみたいなのに、色とりどりの野菜や豆がたくさん入っている。

 こんな料理が出るんなら、カフェになってからもすぐに流行るだろう。


 店長はヒミズさんに向かって「なんかいつもよりおいしい気がするなあ」 とか、「愛情を感じるなあ」 とかくだらないことを言って、向かいに座るヒミズさんの気を引こうとしている。


 いつもこうなんだろうか。

 ていうか、いつもヒミズさんに作ってもらってるんだろうか。

 つまり、店長とヒミズさんは、やっぱり一緒に住んで…


「ハルは出て行くって。」


 店長は急に真面目な声色になってヒミズさんに言った。

 いきなり自分の話題になってドキッとする。


「でしょうね。」


(「でしょうね」!?)

…さすが、「(ヒミズ)」さん。


「あとで家まで送るよ。」


 店長は俺に言った。ああ、これで本当の本当に、最後だ。


「…駅まででいいですよ。こっから一番近い駅で。」


 別れると決めたら、すぐにでも離れたほうがいい。

 あわてておいしい朝食をほおばる。


「ナビがあるから大丈夫だよ。な、ヒミズ!」


 ヒミズさんが一瞬店長を見、また中庭を見てうざったそうに小さくうなずくのが視界の端に映った(直視はすべきじゃないだろう)。


 と、ヒミズさんはいきなり立ちあがって、俺の席の後ろ側に向かって去って行った。

 俺の前を横切る瞬間、中庭とヒミズさんの対比がすごくきれいだと思った。部屋に帰ったら、あとで絵に描いてみたい。


 ヒミズさんが向かった先にはキッチンがあるらしい。カチャカチャとヒミズさんが動く気配がする。

 ヒミズさんはすぐ帰ってきて、俺の目の前にカップケーキを置いた。

 スポンジのうえに生クリームがのっただけのシンプルな小さめのケーキだ。

(…デザート?)

 テーブルには、イチゴもあるけど。

 潔癖症のヒミズさんの手には、いつものゴム手袋。緊張して少し視線をずらす。


「今朝焼いたので。食べられるなら。」

 ヒミズさんはぼそっとつぶやいた。


「おとといからケーキ攻めだねヒミズ。ぼくのは?」

「ありません。」「おほほい?」


 ヒミズさんと声がかぶってしまった。しかも口にケーキを入れたまましゃべってしまった。


「ハル、おとといもヒミズが焼いたチョコレートケーキ食べたでしょ。引っ越しのとき。」


―あっ!


「あれヒミズさんのだったんですか俺お客さんが持ってきたやつかと思った!」(だって教えてくれなかったし!)「そういえばムチャクチャうまかったんですよアレ!」


…場が静かになる。


 あ。ヤバい、ハシャぎ過ぎた。

…ヒミズさんはうるさいのが嫌いなのだ。

 しっとりしたケーキがとろけるほどおいしくて、つい気がゆるんでしまった。


 ゆっくり左側を見ると、店長が目を丸くしてヒミズさんを見上げている。

…で、恐る恐る右側のヒミズさんを見上げると、うわ。


 怒りのせいで顔が真っ赤になっている。


「…あの、すみません。おいしかったです、アレ…。…あ、このケーキも…」


 出来るだけ静かに言ってみた。


「…おとといのはお別れの、今日のそれはお詫びのケーキです。」


 ヒミズさんが低い声で言う。「…はいすいません。」

 お詫び、つまり俺は被害者なのに、謝ってしまった。ヒミズさんが怖すぎる。


 場が持たない。店長を見る。

 店長はなぜか今度は満面の笑み。


「ハル、やっぱりここにいなよ。」


…冗談でしょ。

 大きな甘いイチゴを口に詰めて、急いで「ごちそうさまでした」 をした。

「荷物取ってきます。」


 そう。別れると決めたら、すぐにでも離れたほうがいい。




 廊下を左に曲がるとドアが2つあった。

 しまった。

 店長についてノコノコと歩いていたから、自分がいた部屋がどっちだったかわからない。


 試しに手前のドアを開けてみる。

 鍵はかかってなかったが、ハズレだった。ギターケースとか古めかしいタンスとか、なんだかごちゃっといろいろ入っている。物置のようだ。

 なぜか中央に毛布と枕がある。誰かここで寝るひとがいるんだろうか。


…それにしても。


 ため息が出る。それにしても、この物置みたいな部屋だけで、俺のアパートの1DK以上の広さがあるだろう。

 いやいや。そんなこと考えたら大窪に申し訳ない。

 大窪に頼らずに、次に自分で探す部屋は、もっと狭いかもしれないんだから。


 ようやく「正解」のほうのドアを開けて、薄暗い廊下から白いゲストルームに入る。

 と、なるほど、と思った。

 確かに床はビターチョコみたいな色で、毛足の長い絨毯は抹茶色だ。


―― かわいかったよ。


 「かわいい」というのは俺を最もヘコます言葉だけど、店長に言われるのは、嫌じゃなかったな…


…いや。

 頭を振る。


 俺はすでに気持ちのうえでも「別れ」の準備を始めている。

 店長も、この部屋も、俺のなかにはすでに「無かったこと」にする準備。

 そうして頭を切り替えて、俺は先へと進むのだ。


 身支度をすませて、脱いだパジャマをたたたんでから、昨日ヒミズさんが置いていった木箱のなかにしまう。

 木箱のなかにはすでにシーツを入れている。思い出したくないあれやこれやで、汚してしまっただろうから。

 最後に、バスルームに忘れ物をしてないか、一応確認に行く。


(なんかを思い出すんだよな。)


 なんだろう、このバスルームの配色。洗面台のクリーム色と流しの丸いダークレッド。

(センスいいよな。店長。)

 もしかするとこの家は、廊下や共有部分こそコンクリート打ちっぱなしで無機質な感じだけど、各部屋には店長のなんらかの遊び心が隠されているのかも。(いや、店長の「お父さん」の遊び心なのかもだけど。)


…ああ


…本当に、俺にとって、完璧なひとだったな、店長は。


「…好きだったなあ…。」


…なに、つぶやいてるんだ、俺は。


…―さて!

 服も着替えたし荷物も持ったし整理整頓もすませたし、涙もふいたし頭も振ったし顔まで叩いたということで気合い充分だっ!


 バスルームから出た俺は、もう部屋を振り返らなかった。




 食堂(?)に戻るとヒミズさんはいなかった。


 店長の車のヒーターがついに動かなくなったらしく、ヒミズさんの車を使うことにした、と、ソファに腰掛けて音楽かなにかを聴いてたらしい店長が、イヤホンらしきやつを耳から外しながら言う。

(さすが。ひとり一台、車があるんですな。)


「よく考えたら引越しの荷物を運ぶために後部座席を取り外したのがそのままだしねー。こっちにはアノコしか持ってきてないし。」


 『アノコ』…店長が自分のジープのことをそう呼んだので少しおかしくなる。


 『こっちには』…って。

 店長は、まるで、ほかに車を保管している別の場所があるみたいに言った。ショックは少し遅れてからくる。

 つまり、ここは、店長の仮の住処(すみか)。

 『こっち』というのは、この実家のこと?それとも、…この国のこと?


 また頭を振ってしまう。

(いいだろ別に、店長の本当の居場所のことなんか。)


「それに、ヒミズの車のほうがナビが最新だし、ちょっと狭いかもだけど乗り心地はいいと思う。 ヒミズはもう車に行ってるから。」


 店長は立ち上がって俺のほうに向かいながら続けた。

 次に、店長は、俺の顔色を伺うように申し訳なさそうな声を出した。


「ごめんね?もう変なことしないから。」 「え」


…ああ、そうか。

 車に乗せられることを、俺が警戒してると思ってるんだ。


「たぶんね?」

「…え?」 (…たぶん?)

「あはは、冗談だよ。そんなかわいい顔されると、ついいじめたくなるんだ、ぼくは。」


 店長はいたずらっぽく笑った。

(か、かわいい顔?) って、どんな顔してたんだ俺は…。

 それにしても、反省してるのか、楽しんでるのか、よくわかんないな、このひとは…。



 食堂の横の廊下を真っ直ぐ進むものと思って、庭に見とれながらまた店長の後ろをノコノコしていたら、店長はいきなり右側に曲がって、しかもそっちは下り階段だったので、一瞬で店長を見失った。

「れっ!?」

「こっち。」

 右手を引っ張られ、とたんに右下に向かって体がバランスを崩す。


「ふあ~トォ!」

 店長がおもしろい声を上げて抱きとめてくれた。

「びびったあー…。今の、ヒミズには内緒ね。キミにケガさせそうになったとか知れたら、もう口聞いてもらえないかもだから。」


 瞬間的に、今しかない、と思った。


 やっぱり、ここに、いたいです。

 言うとしたら、今しか。


 衝動的に口に出そうになって、あわてて口をつぐんだ。

(ばかか!何考えてるんだ今さら!)


 頭を何度か振ると、店長は「ありがと」 と言った。

 ヒミズさんに内緒にすることを、俺が了承したのだと思ったらしい。


「あーゲストルームのシャンプーの匂いがするー。」


 店長がなかなか離してくれないので、失礼にならない程度に軽く押して離れた。

 これ以上余計な何かを考えないように。


 狭くて暗い階段を下りるとすぐに黒いドアがあり、そこを開けるのかと思いきや、店長は右に折れ曲がってその先の廊下をさらに進む。

 階段はまだ下の階へと続いていた(何階まであるんだ?)。


 ようやく店長は廊下の行き止まりの右手のドアを開けた。

 冬の空気の匂いが流れこむ。ガレージだった。高級そうな車が2台。スポーツタイプの高級セダン風のやつ。どちらも、色は黒。

 そのうちの1台の運転席にヒミズさんが乗っていて、こっちを見ている。


 黒一色だけど、もしかしてコレ、両方ヒミズさんのなんじゃ…。おそるおそる探ってみる。


「店長の車がないですけど…」

「ぼくのはもう1コ下のガレージ。」


 やっぱり!ああもう俺の生活とは完っ全に次元が違う。


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