てんちょうたちの ひみつ -2-

「ヒミズはいい人間よ。変人の多い咲伯家に、親子二代で仕えてる有能な執事ってとこかしら。アタシ大好き。」


(……なにそれ?)


 頭を整理しようとしてアンドーさんに遮られる。


「ヒミズはね、小さい頃から自分の父親が咲伯家に仕えてるのを見て育ってるから、咲伯の下で働くのが当然だと思ってるの。

 頭はキレるしルックスはいいしで、咲伯なんかの下にいなけりゃなんでも自分の思い通りにできるっていうのに、そんなこと考えたこともないって感じなの。ほんとにもったいないわよ。」


(………。)


 アンドーさんを見ると、アンドーさんは何かを思い浮かべているかのようにちょっと上を見ていて、眉間にシワを寄せ、本当に「もったいない」という表情を作っていた。感情表現が豊かで外国人っぽい。


 でも、なんだか…


 ウソっぽくないか?その話。


「あの2人はすごいわよ。学生時代に遊びでやった株や不動産の投資でめちゃくちゃ儲けて、父親の融資もなしに今もやりたい放題やってて、すごいをとおり越してもう怖いのよ。」


 アンドーさんの「情報」は止まらなくなって、まるで堰を切ったようにべらべらと口を動かしている。


「…あの。」

「なに?」

「俺のこと、からかってます?」


 アンドーさんは答えず、代わりにまたにっこりと笑った。

 アンドーさんの表情はコロコロと本当に器用に変わる。しかもそのいちいちが、やたらと魅力的。


「ちなみにアタシは何者だと思う?」

「…ゲイバーのママ。」

 アンドーさんはちょっと困ったように顔を引く。

「…アンタそれを本気で信じてたの。」 …はあまあ。


 アンドーさんはため息をひとつついて、もったいつけるように膝から顔をはずし、軽い咳払いをした。


「資格バカのヒミズが持っていない、数少ない国家資格のうちの1つ、私は、医師免許を持ってます。こー見えても、この家のお抱え医師なのです。」


……言葉が出ない。

 決定的だ。

 俺は、またからかわれている。


 アンドーさんからは、店でもよくからかわれていた。

 俺はなんでもすぐに信じてしまうたちでおもしろがられていたけど、今回ばかりはでたらめが過ぎている。話の中身が現実からごっそり遠くへ行ってしまってるじゃないか。


(―…いや、そういえば店長が、あとで医者に見せるとか言っていたけど…)

 いやいやいや。(まさかまさかまさか。)


 俺は今たぶん、あきれほうけた顔でアンドーさんを見ている。…もう何も考えまい。


「…それ、そんなにたくさんのキスマーク、ヒミズがつけたの?」 えっ。

 急に話が俺に向いたのでドキッとする。

 アンドーさんがニヤニヤして指差す場所を、つい布団をめくって確認してしまった。


「いやこれは、」 慌てて上を見上げるとアンドーさんがぐんと近づいていた。

「かわい♪」


 突然アンドーさんが俺の胸に顔をうずめてくる。

「うわっ、ちょっ…」

 湿った温かいものが胸を触ってきて、アンドーさんの舌だと気づく。


 全身が泡立つ。

 慌てて布団をかぶせようとしたが、手を払われたうえ肩を押される。ベッドとアンドーさんに挟まれてしまう。


「…やめてください!」


 体をねじろうとして、横に倒れてしまった。アンドーさんが体の上に乗ってくる。


「くっ…」

「あのクールなヒミズがねえ~」

「っあ!」


 アンドーさんの吐息が胸の突起をくすぐる。

 アンドーさんのその舌は、俺のあとを探しながらなぞっているのらしい。

 胸の上を何度もついばまれる。


「ッ!」


 舌と唇にさわられるたびに声を出してしまいそうになるのを必死で抑える。

 緊張と恐怖で体が硬直しはじめるのがわかった。

 アンドーさんは俺の腕を押さえて、おもしろがるようにさらに舌を動かしてくる。


「は」


 アンドーさんは店長と同じくらい体が大きいうえ、オカマだけどやっぱり本物の男だから、力もすごく強い。

 俺は体が小さいうえ、抵抗する力もすでにうまく入らない。

(…いやだ…!)


―― いやだったら、ちゃんと抵抗しろよ。


 昨日の、店長の声。


 でもだめなんだ。

 こういう状況になると、とにかく怖くて、体が動かなくなってしまう。頭のなかが真っ白になってくる。


「ヒミズはどうだった?興奮してた?起きてたんでしょ?」


 アンドーさんは俺の状態に気づいてないのか、それともわざとなのか、ますます楽しそうに話しかけてくる。


「うらやましいほどキレイな肌ねえ。ヒミズの気持ちもわかるわあ。ねえ早く白状しなさいよ。ヒミズなんでしょ?」

「…っ…」


 ちがいます!答えたいけど、今声を出すと変な声になってしまうに違いない。それでなくても必死に抑えてるのに。

 アンドーさんはクスクス笑い出した。


「敏感なコねえ。…アタシでさえうずいてきちゃう。ねえ早く言わないと…」

「!」


 アンドーさんの舌がだんだん下に向かっていく。


「やっ…! …アンドーさんちがいます店長です上半身のは!」


 いったん声が出てしまったので、そのあとは一気に答えたかったことを口に出せた。

「上半身?」

 アンドーさんの動きが止まる。


「アンタ3Pしたの!?」


 アンドーさんはがばりと起きた。

 サンピーってなんだ?

「てか咲伯、アイツがなんで出てくるのよ、ヒミズのための作戦じゃなかった!?」 信じらんない!

 アンドーさんはここにいない店長に向かって怒りはじめた。


 アンドーさんの力がゆるんだので、必死に腕をばたつかせて、仰向けのまま一気にベッドの下に潜り込む。「アラちょっと。」


 アンドーさんの下敷きになっていた足を引き抜くときに、ベッドの木枠でしたたかスネを打ってしまったが、とにかくアンドーさんから逃げ出したいので気にしていられない。


 裸のまま奥まで体を移動させる。

 アンドーさんが覗き込んできた。顔にはもう微笑みが戻っている。


「ごめんごめん。もうしないから、出てきなさいよ。」こんな狭いとこ、よく入ったわね。


 笑いながらアンドーさんは仰向けに寝そべった。こっちに来るんじゃないかと身構えるが、そんな気はないみたいで、寝たままこっちを見て笑った。


「コネコが隠れてるみたい!どんだけかわいいのよアンタは!」


 手を伸ばしてきたので、捕まえられるかと思ったが、アンドーさんは指を曲げて「ちっちっ」と、ネコを呼ぶような仕草をして、上を向いて今度は声をあげて笑った。


 こんな状況なのに、アンドーさんの魅力的な横顔に見とれてしまう俺は、本当に頭がおかしい。

 バレないように、慌てて怒ったふうにしてアンドーさんを睨みつける。


「ホコリまみれになっちゃうわよ?」

 アンドーさんはまた笑う。俺の「睨み」は、アンドーさんには全然かない。


「……誰にやられたの。」


 笑うのをやめて、アンドーさんは少し優しい顔になった。

 まだ言うのか。顔をそむける。


「…だから、店長ですって。…もう、いいじゃないですか。」

「違うわよ。その腰の火傷。スタンガンの痕?」


 思わずアンドーさんを見る。


「古い傷だけど、かなりヒドいことされたわね。…もう大丈夫なの?」


「…はい。もう、なんともないし…。」 どきどきしながら答える。

「そうじゃなくて、大丈夫なの?その相手とは。」


 胸が締め付けられる。

 アンドーさんにもバレた。俺の汚れまくった過去が。


「まだえてないんなら、ヒミズに相談なさい。あいつなら力になってくれるわよ。」


…ここにきて、またヒミズさん。


「……アンドーさんも…店長みたいなことを言うんですね…。…そんなに“ヒミズさん”なんですか。」

「ん?」


 いやになる。どうして気づかないんだ二人とも。


「…残念だけどヒミズさんは、俺のこと嫌ってますよ。」

「…嫌ってる?どして?」

「そんなこと、知りませんよ。…それに、ヒミズさんは、怖いひとです。」

 俺にとって。


 あの目つきは、あのひとを彷彿とさせる。

 おまけに車のなかでの、あの行為。

 俺のことなんかおかまいなしに、乱暴で荒々しくて、本当にあのひとみたいだった。


 俺のことが好きなわけない。

 好きだったら、あんなふうにはしない。おもしろがられただけだ。


「……ヒミズはいいヤツよ。咲伯より、ずっと。」

 黙っていると、アンドーさんは続けた。

「アンタは咲伯が好きなのね。」


 止まったと思っていたしゃっくりがまた吹き出した。

 アンドーさんを見て、それから慌てて目をそらす、心の動きが読まれそうで。


「好き、とかじゃ、尊敬は、してます、けど。」

めておきなさい。あいつはダメよ。簡単にアンタを捨ててしまうわ。」


 アンドーさんは急に険しい口調になった。

 いきなりのアンドーさんの言葉。最初は意味が頭に入ってこなかった。


「咲伯はいずれいなくなる。日本を離れるの。

 父親からのオファーを断りまくってるけど、時間の問題よ。じきにグループの代表に迎えられる。」


…そう、なのか…?


 さっきまで現実味のない冗談だとばかり思っていたのに、アンドーさんの口調があまりにシリアスなので、アンドーさんの話の意味はゆっくり、でもさっきより確実に、俺の中に浸透してきた。


 店長が俺を捨てる…。

 いや。捨てるもなにも。


「ヒミズなら、アンタを捨てるようなことはしない。…ヒミズも、アンタが一緒なら咲伯から…

 実はね、アンタならヒミズを救えるんじゃないかって。…そう思っているのよアタシは。」

「アンドーさん、俺なんかただのバイトなんで…。関係ないです。店長がどこでなにをするひとでも。おまけにもう、契約も切れてますから。」


 そうだ。

 本当なら、もう俺は引越作業が終わった時点で「ヨウナシ」なんだ。

 妙なことになって、今はこんなところにいるけど、もともとは店長やヒミズさんとは、すでに他人なんだから。


 関係ない。


 ところが、突然、ノドがヒリついて涙が出そうになった。

 泣きそうになっている自分に動揺する。


 店長は、どこか遠くに行く。


 でも、会えなくなるのは最初から当然のことだとわかっていたじゃないか。

 あのとき店長の車に乗って、それで最後だと覚悟していたはずなのだ。なのに。

…ばかみたいに俺は、今、こんなにも簡単にかき乱されている。

 アンドーさんにさとられたくないから、ゆっくりと顔の向きを変えた。


「……ねえ春川ちゃん、」

(ぐぅぅ)

 お腹が間抜けな音を出した。その拍子にしゃっくりまで飛び出す。(うそだろ…。)


 アンドーさんがびっくりしてから笑い出す。

 張り詰めていた空気が一気に崩れた。…俺の体は、空気を読まない…。


「お腹空いてるわよね。当然ね。ヒミズに夕ご飯をはこばせるわ。アタシもデートに遅れちゃう。」

 アンドーさんは笑いながらベッドの向こうで立ち上がった。


「今夜はロシア人の彼とデートなの♪ ヒミズには内緒にしといてね。アタシがトイレで大をしてたコト。」

 さっき聞いた「ゴオッ」という音を思い出した。トイレだったのか、あそこ。え?ロシア人の彼?ってか、


 ヒミズさんが来るの? ここに!? なんで!?


 ベッドから出られないじゃないか!待ってアンドーさん!

 声にするまえに、でもアンドーさんはすでにスタスタとベッドから離れて行ってしまう。


 どこかのドアが、開いて閉まった。


 ベッドの下で、裸のままで取り残され、固まっている俺。

 静かになった部屋に、また間の抜けたしゃっくりが響く。



…もう、本当にやだ…この体…






(安堂 DATE 2月13日 午後5時25分 へつづく)

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