てんちょうたちの ひみつ -1-

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 春 川


《 DATE 2月13日 午後4時42分》


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 空腹感で目が覚める。


 久しぶりだ、こんなのは。


 朝方はいつも悪い夢を見る。

 そのせいで朝といえば、たいがい眠気とだるさと、それから吐き気。


 でも今朝は気分がいい。夢を見た感覚すらない。

 少しずつ足を伸ばしながら、そういえば珍しくベッドで寝ていることに気づく。

(…ベッドで寝るのは、あまり好きじゃないのにな…。)

 そうっと寝返りをうちながら、無意識に上を見上げたところで、見たことのない天井だと気づき、すいこみかけていた息が一瞬止まる。


 ずいぶん高いところに細長いオレンジ色の光が灯っていて、対岸の壁にシマシマの模様を作っている。

(ブラインドだ。)

 遅れて気がつく。天窓だろうか。

 今は朝?夕方?


(…いてて。)


 腰に鈍痛を感じ、同時に思い出す。

 そうか。ここ、店長の家だ。


 そして、あれやこれやを思い出し、とたんに自分の耳や顔が熱くなる。


 確か、ずいぶん変なことを言った気がする。


 ずいぶん変なこともした気がする。


(うわ。どうしよう。)

 今度は血の気がざっと引く。

 頭を1回強く振って、「なかったこと」にして「切り替え」る。とにかく別のことを考えないと。


……そ、(それにしても。)

 店長の家はずいぶん広いな。(うん。)


 ちょっと照明が薄暗いが、ここから見る限りでは1LDKだ。

 リビングには小さめな台所がついているけど、広さが充分だから気にならない。


(…ベッドを占領してしまって、悪かったな。)

 店長は今、買い物にでも出てるんだろうか。


 ベッドから静かに出ようとしたら、慌てた。裸だった。

(そ、そうか。それは、そうか…。)


 とりあえず体に掛けられていた白い羽毛布団で体をくるんでみた。

 体のあちこちに店長から付けられたらしい「あと」が残っていて、見たとたんに昨夜(「昨夜」なのか?)の記憶が頭を覆ってこようとするので、慌ててまた頭を振った。


(―― ああ。お腹空いたな…。)


 ベッドのすぐ横のチェストのうえに、マグカップが置かれているのが目に留まる。

 頭を伸ばしてのぞくと、なかに白いものが見えた。


(牛乳だ。) 店長が温めてくれたやつだ。(まだ飲めるかな?)


 マグカップに近づこうとして、腰をかばおうと無意識に弾みをつけ、軽く跳ねるようにベッドを移動したのでベッドがかすかにきしんだ音を立てた。

 眉間にしわが寄ってしまう。

 だから嫌なんだベッドは。スプリングの音は昔から嫌いだ。


(…… トラウマだらけだな、俺は。)


 ふわふわと軽やかな布団を持ったまま、音を立てないよう、ベッドからそろそろ降りた。


(おお!)

 床があたたかい。

(これが床暖房ってやつか。)

 店長、いいとこに住んでるな。


 もう一度カップのなかを確認する。

 持ち上げておそるおそる口をつけると、冷たさよりもその甘さに驚く。

 そういえば昨日も甘いと思ったのだった。甘党の店長らしい。


 ふきこぼれた牛乳を、店長の愛らしい不器用さを思って、あのとき少し笑ったことを思い出す。

「ふ」

 思わず笑みがこぼれたあと、また昨日の自分の情けない行動を思い出しそうになり、慌ててカップを戻す。

 頭を振りながら、その場にズルズルとうずくまった。


(…あったかいな、羽毛布団と床暖房。)


 ベッドを背にすると、店長の家はやっぱり広い。

 低い位置から見ているので、よけいに広く感じられるのかもしれない。天井が高いせいもある。


 中央にあるソファにはやけに見覚えがある、と思ったら、店に置いてあったやつだ。

 途端に今度はヒミズさんを思い出した。


 刺すように冷たい空気と、やたらサラサラしたゴム手袋がまとわりつく感覚までがよみがえってきて、身がすくむ。


 突然、「ゴウッ」と妙な音が聞こえた。


 瞬間的に全身が緊張する。

…何の音で、どこから?

 次に、男の人の咳払いが聞こえた。

 店長、の声じゃ、…ない。


 一瞬のうちにとてつもない不安感に襲われる。

 様々な考えが頭の中を駆け巡る。

 考えてみればなぜか昨日は目がよく見えなかった。

 もしかすると、(あれが本当に店長だったかどうかも怪しかったんじゃないか?) とか、もしあれが (…あのひとだったら…)


―― そんなはずない。

 いや、でも、実は店長とあのひとはどこかで繋がっていて、この部屋には、あのひとがすでにいるのかもしれない…


(とりあえず、隠れよう!)

 どこかに!


 一気に立ち上がろうとして、よろける。

 足に力が入らない。

 焦燥感ばかりが布団のうえを上滑りして、背後のベッドに背中を突かれる。

 手足が震え始めて思うように動かなくなっている。


―― さっきの咳はどこからだった? どこから現れる?


 よく見ると部屋の壁にはドアがいくつかあるし、やたら薄暗いのでよけいに恐怖心がつのってくる。

 鼓動の音が邪魔だし、呼吸も苦しくなってきた。


――そうだ…、とりあえず、ベッドの下に…―


「うわあっ!」


 突然大きな男が左の壁にあったドアから出て来たので、思わず悲鳴を上げてしまった。


「えっ、なに!?」


 男のひとは驚いたように一瞬あたりを見回してから俺に気づいた。

…あのひとじゃない。

 店長でもなかった。

 たしか、…アンドーさん?


「あら目が覚めてたのね。」

 アンドーさんはこっちを向いて微笑んだ。「どうしたの、悲鳴なんかあげて。」


 いや、だって…まさか、アンドーさんがいるなんて…

 驚きすぎてとっさに声が出ない。


「ひっ」 (えっ。)


 驚いた拍子にしゃっくりが始まってしまった。

「うくっ」

 慌てて咳き込んでみたが、今度は変なげっぷみたいなしゃっくりが飛び出した。


 部屋がバッと明るくなる。

 照明がオレンジから白に変わった。


 アンドーさんはそのままの表情で、どんどんこっちに近づいて来た。

(えっ。えっ?)

 かがんで手を伸ばしてくる。

「あわわ」

 布団を握る手に力がはいる。


「なによ。何もしやしないわよ。デートの前だけど、みたげるからじっとしなさい。」

「いいい、いやいいです、え、デート?いや、あ、ちょっとすみません俺いまハダカなんで(ひゃっく!)」


「…そこまで必死に拒まなくても」

 アンドーさんはきれいな顔をくしゃっと崩して笑った。

「知ってるわよそんなこと。さっき中和剤うったときに見たもの。」

 中和剤…?


 アンドーさんはポケットから小さな懐中電灯みたいなのを取り出して、俺の目を押さえて片方ずつ照らした。

「目が見えなくなるなんて驚いちゃったけど、もう大丈夫みたいね。」

「…あの」

 確認したいことが山ほどある気がするが、なにがなんだか、頭が混乱している。


 中和剤って、なんの話?

 おまけに店長の家に、どうして店のお客さんが、ゲイバーのママがいるんだ?


「ここ、って、店長の家ですよね…どうしてアンドーさんが…」

「そこなの?」

 懐中電灯を胸ポケットにしまいながらで言われた。

 一番に聞くことじゃなかったみたいだ。でも、とりあえず


「アンドーさんの家だとしたら、すみません。あの、ベッドを占領しちゃって…」

「ぼさぼさね。」 (っ!)


 アンドーさんは答えず、手を伸ばしてきて俺の髪を撫でつけるように何度か触った。

 俺の緊張が伝わったのか、「ふふふ」 と笑って、手を引いてくれた。


 アンドーさんはあぐらをかいて俺の前に座りなおし、こっちを見る。

 透明な目にじっと見られている。

 アンドーさんはゲイだけど、女装もしないし、そうしていると普通の男のひとみたいだ(ちなみに俺は、アンドーさんに言わせると、ゲイの人がどんななのかを理解できてないらしい)。

 でも、物腰や口調は柔らかいので、アンドーさんのことは苦手ではない。


 苦手ではないけど、それでも、欠点だらけのうえに自意識過剰でもある俺は、ひとに触られるのも苦手だけど、見つめられるのもどうも苦手で、目が泳いでしまう。

 落ち着かないし、どうしていいかわからなくなる。


「アタシの家なはずないでしょ。ここは咲伯さいきの家。」


(サイキ。)

 店長の名前だ。


 アンドーさんは、片膝を立ててそこに両手をついてアゴを乗せた。

 そういう動作にまでいちいち品を感じる。きれいな女性っぽい。

 折り曲げているのに足がずいぶん長くて、うらやましい。

 肌もきれいで、女の人っぽいけど、体型は完全に男の人だ。スタイルは抜群で、以前、自分でも「好きだもの、このカタチ」と言っていた。年齢は、店長と同じくらいだと思うけど…いまのところは不詳。こういうひとに年齢なんか聞くと、やっぱり失礼にあたる気がした。


「この部屋はゲストルームだから、今はアンタの好きに使っていいのよ。…と、いうか、そうね…」


 ゲストルーム?…って、ああ。「客室」のことか…

(えっ)

 ここって、ひと部屋!?

 アンドーさんは俺を見たまま、なんだかひとりニヤニヤしている。


「咲伯はアンタを気に入ってたから、ここに住まわすつもりかもね。かわいいのをほっとかないもん。」

「な」 またしゃっくりに阻まれてしまう。


 何を言ってるんだ?


「咲伯はそこそこいい人間なんだけど、なんでも自分の思い通りになるって思いこんでるフシがあるのよねー。…でも実際そうなっちゃうから怖いんだけど、あのふたり。」

 怖い、…「2人」?


「アンタは咲伯たちのこと、何も知らないままここに連れてこられたのね。そりゃ動転するわよねえ。」

「店長…たち、って…。」

「咲伯とヒミズのこと。……どう、アンタ知りたい?」


 ヒミズ、と言われてドキッとする。


 俺にとってもヒミズさんは怖い。

 怖いうえに、素性もよくわからない。

 というか、わからなくてもいい。(なんだか、知らないほうがいい、怖い秘密がたくさんありそうなのだ…)


 店長のことは、

…そうか。

 確かに、俺は店長のこともよく知らない。


 包みこんでくれるような優しい笑顔と、バランスのとれたきれいな身体つきで、俺のなかの店長は十分に「完成」してしまっていたし、もともと短期のアルバイトだったこともあって、店長のそれ以上を知る必要もなかったから。


……俺の知らない店長って?


 やけに広くてきれいな部屋を、思わず一瞬見回す。


「不思議に思うでしょ?ただの修理屋が、こんな豪邸に住んでるなんて。」


 なんだか思考をアンドーさんに見透かされてしまっている。

 アンドーさんはアゴを膝に乗せたまま少し首をかしげてずっとこっちを見ていて、まるで、反応を面白がられているみたいだ。

 さらに居心地が悪くなり、巻きつけた布団を小さく握りしめて軽く顔をうずめる。俺はもう耐えられず、完全に落ち着きを無くしているに違いなかった。


「店長たちの……何を…ですか?」


 アンドーさんは、ただの店のお客さんだと思っていたけど、確かに店長とは昔からの知り合いっぽく、店でも親しげにしていた。

 今現在だって、店長の家に上がりこんでるくらいだし。(部屋にやたら「馴染んでる感」もあるし。)


…おまけに、俺が「店の謎の存在」と思い込んでいたヒミズさんのことも、すでに知っていたなんて。


 アンドーさんが何も言わなくなったので、上目遣いでアンドーさんを見る。

 アンドーさんはきれいな形の唇を、イタズラっぽく歪めていた。俺が見ると、アンドーさんはやっと口を開いた。


「聞いたことない?咲伯グループ財団。財閥よ、財閥。咲伯はセレブレティな大富豪の御曹司ってわけ」 わかる?


「…ふっ…っくっ」


 まただ。驚いた瞬間に気がゆるんだというか、バカ丸出しという感じの大きなしゃっくりが出た。


「うぅ」

「止まらないわね、かわい」


 俺の苛立ちをよそに、アンドーさんはなんだか楽しそうだ。

 アンドーさんがそう言うのは、たぶん俺の顔がすぐ赤くなったからだろう。思わず顔を下に向けた。

 いやになる。どうしてこんなに自分を操るのが下手なんだ俺は。昔からこうだ。

 不器用というか、感情を相手にすぐ悟られてしまう。


(だから、そんなにこっち見ないでくださいよっ。)

 頭をブルッと振って、しゃっくりが出ないよう何度か咳き込んでみて、考えた。


――… 「ザイバツ」?

 戦前や昭和のころの話じゃあるまいし…。


「今、本部は咲伯の父親ごと海外に行ってるけどね。」


 頭の整理が追いつかない。

 でも、確かに、そうだ。

 店長の、他のひとにはない自信にあふれた余裕とか、品のいいふとした仕草とかは、育ちの良さから来ているのかも。

 そう設定づけると、なんだか一気に合点がいく。…ということは、


「えっ。じゃあヒミズさんも」


 思わずつぶやいてしまった。

 さっきアンドーさんは「2人」と言った。ということは、店長の下で働いているのは、ヒミズさんの仮の姿で…



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