はるかわくんの やみ -3-

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 咲 伯


《 DATE 2月13日 午前8時23分》


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 春川はるかわ冷水ひみずのバレンタイン・プレゼントにしようと思い立ったのは、春川を採用して少ししてからだ。


 冷水はぼくのものだけど、冷水にだってそういうひとがいてもいい。

 そんな軽い気持ちだった。



 「冷水に内緒で」ということに、ぼくはいつも変に高揚する。

 今回も子どものようにうきうきとして、計画を立てているあいだはそれだけで楽しかった。


 結局、計画自体は失敗に終わった。

 春川が目を覚ましてしまったからだ。

 冷水にもこれでもかというほど怒られた。(冷水は怒ると本当に怖いが、その顔が嫌いじゃないぼくはつい見とれてしまったりして、もう手のほどこしようがない。)


 だが、この「冷水のための計画」は、変な方向に派生した。


 冷水に隠れて春川にキスをし、指を舐めさせたりしているあいだに、ぼくは春川のことをなんとなく気に入ってしまい、彼をうちに連れ帰ってしまったのだ。


 もともとの計画では、冷水の「お楽しみ」がすんだらちょっと安堂あんどうに診せ、そのあとで意識の無い春川を家まで送り届け、寝かしつけて帰る予定だった。



 申し訳ないが春川には、安堂にリクエストしたある種の睡眠導入剤を与えていた。

 注射器でポカリに混ぜて飲ませたのだ。


 作用としては、鎮静、抗不安、筋抑制作用、それに、刺激に対する興奮作用、性欲の増進。

 副作用として一時的な健忘、ふらつき、眠気、倦怠感が出るかもとは聞いている。


 翌朝、クスリの切れた春川は、目を覚ましてから「あれ、夢だったのかな?」「この筋肉痛は、引越し作業のせいかな?」 などと思ってくれたことだろう。(この考えも、冷水には「安易だ」「稚拙だ」と罵倒されつくした。てへ。)


 冷水はすっかり機嫌を損ねて、今は地下の自室に閉じこもっている。




 冷水は、はたから見ていておかしくなるくらい春川に夢中になっていた。


 面接でちらっと春川を見てから、ずっとだ。

 俗にいう、あれが「一目惚れ」というものだろうか。

 冷水は感情を表に出さないタイプの人間だが、彼とは長い付き合いだから、彼のことならぼくは手に取るように何でもわかる。


 ぼくはといえば、春川に対する嫉妬心などはなく、それどころか、冷水の様子を高見から見物して面白がっていた。

 なにしろあれだけ冷静沈着な冷水が、春川がそばに行っただけで動揺してうろたえるのだ。


 たとえば春川に、冷水のそばまで紅茶を運んで行かせると、冷水はそれだけで固まって動かなくなる。

 おもしろいうえに、たまらなくかわいい。


 春川のほうはというと、そんな冷水が不機嫌極まりなく見えているようで、なんだか憮然として帰ってくる。

 むくれている春川の顔も、なかなかいい。(などと言うと、冷水に怒られるかもしれない。)


 冷水も不器用だが、春川はそれ以上に鈍感だ。

 ちぐはぐな2人の様子は、見ていて飽きなかった。

 そのうち安堂もそれに気付いて、よく2人で春川をからかった。

 スタッフルームから舌打ちや壁を蹴る音がすると、安堂と顔を見合わせてそっと笑った。



(……安堂かあ…。)


 春川の目が覚めたのはおそらく安堂のミスだ。

 クスリ入りのポカリを一気に飲み干した春川は、そのまま8、9時間は起きないはずだったのだ。


(あいつ、分量を間違えたんだな。)


 冷水ならそんなミスはしない。

 だいたい「あんな方法」で春川の正確な体重なんか分かるわけないのだ。

 まあ、いきなり安堂に抱えあげられて思わず悲鳴をあげていた春川は、かわいかったけど。(あのあと2人で冷水に散々叱られたけど。)




 ゲストルームの白いベッドに腰掛けて、横で深く眠り込んでいる春川の顔を見る。

 チョコでベトベトだった顔を拭いてあげて、来客用の寝間着に着せ替えるあいだも、春川はぐったりとしていて目を覚ますことはなかったのに。


(なぜあのときだけ起きてしまったんだろう。)


 たんに、クスリの効果が表れるのが遅かっただけなのかもしれない。


…それとも、よほど「敏感」なコだったのだろうか。

 寝間着を着替えさせたときのきれいな細い体を思い出していたら、同時に、車の中での春川の「場面」がいくつか頭をよぎった。




 春川の声がしたので、手をかざしてみるとうっすら目で追った。

 確認のつもりで助手席のシートを倒して移動し、彼の顔を見てみると、まだ寝ぼけまなこなままぼくを必死で見上げるので、つい、かわいい、と思ってしまった。


 かわいいものを見ると、ぼくにはつい悪いクセが出る。


 ちょっといじめて、その反応をみたくなるのだ。

 子どもみたいだけど、これがやめられない。


 ぼくは何もする気でなかったはずが、冷水から見えないよう、とっさにコートでバリケードまで作ってしまった。

 冷水に仰向けにされ、行為が始まると、春川はすがるようにぼくを見つめた。

 大きなうるんだ目でぼくを見るさまは、本当にかわいかった。

 嫌がる春川の口に自分の舌を押し込んで、震える彼の舌を楽しんだ。


 春川は、「初めて」じゃなかったのかもな。

 なまめかしくぼくの指を舐める春川の舌の感触が、その吐息が、まだ指先に残っている。



 それまでぼくは、春川は冷水のものだと思っていたので、彼に対しあまり興味を抱いてはいなかった。

 でも、昨日のそれで、考えがちょっと変わってしまった。


 春川はあくまで冷水のものだと、ぼくはちゃんとわかっている。

 でもわかったうえで、かわいい春川を、今はちょっとぼくらの手もとに置いておきたい気分なのだ。(いいよね、冷水。)


 こうなることは予測していなかったが、春川の素性を念のために洗っておいてよかった。


 春川は、多少複雑な家庭環境で育っているものの、我々に悪影響を及ぼすようなリスクは持っていないようだ。

 たとえばこのまま「手もとに置く」としても、短期間なら問題ない、と思う。(まあ面倒がおきたとしても、冷水がなんとかしてくれる。)


 春川は頭も悪くないし、明るくて素直ないいコだ。かわいいから女の子にもウケがいい。

 大学を自主退学したあとは、フリーターとしてふらふらしている。今どきのコらしい。


 ただ一点、気になるところがあるとすれば、バイト中、ときおり春川の目の奥にふとよぎっていた、根深い「闇」のようなもの。


 興信所の調査ではその原因までは分からなかった。でもこうなれば、春川自身に直接確認すればいい。

 それが例えどんなリスクであったとしても、冷水のためなら、ぼくは春川から完璧にそれを払拭できるだろう。


 ぼくのわがままはいつものことだし、冷水が怒るのも、いつものこと。

 だが最後には冷水が折れて、結局ぼくの思いどおりの結末になる。今回もそうなるだろう。

 ぼくの楽観主義に冷水はいつも振り回されてばかりいる。


 ごめんね冷水。


 でも、きみも知ってのとおり、大好きなひとを困らせてしまうことすら、ぼくは楽しくて仕方がない。

 残念ながら、そこがきみとぼくとで決定的にちがうところだ。

 優しいきみなら、春川をいじめていても楽しい気分になんてなりはしなかっただろう。

 結局は、「冷水のため」の計画じゃなく、「ぼくの冷水のため」の計画になってしまった。 



(…でも、今さら何をいってもしょうがないしなー。うん。)


「………う」


 春川がもぞもぞと動き出した。目を覚ましそうだ。


 春川は、目覚める直前にあたってひどい悪夢を見ているようだった。

 目をぎゅっとつぶり、頭を2、3度振った。

 何かを追い払おうとするかのように、細い左手を一度宙にあげて、シーツの上に叩き降ろした。


 昨夜のことを夢に見ているのだろうか。


 昨夜のあれは、彼のなかで現実として認識されているだろうか。そして考える。

 春川の意向を無視して、彼に対しレイプを強行した我々だが、春川は、ぼくより冷水のほうをより強く警戒するかもしれない。いや、当然だろう。


 でも、できるならそれは避けたい。

 春川は冷水のものになってもらうのだ。

 計画したのも実行したのも、冷水をけしかけたのもぼくだ。冷水は嫌がっていた。


 はたして春川には、とりあえずぼくのほうを憎んでもらいたい。

 なにしろぼくは、いい人間ではないのだから。


 春川は冷水のものにしてみせる。

 ぼくにはその自信も、ちからもある。


(まあ、いざとなったら、)


「……は!」


 突然春川が飛び起きるように身を起こした。


「つ……」


 そして途端に左手で頭を押さえ、そのままうめきながら、今度はすくうように両手で顔を覆う。

 膝を折って小さく丸まり、その体勢のまま、何かに怯えるように辺りを見回すそぶりを見せる。


「頭が痛いの?」


 春川は顔を覆っていた手をすばやく放し、こちらを見た。


 その表情にちょっと驚く。

 初めてみる顔つきだ。


 厳しい目つきでこちらを睨みつけている。

 顔全体に恐怖と怯えが張り付いていた。


 だが、一瞬ののちにふっと何かが抜けて、いつもの春川が戻った。

 なんだかまぶしそうに目を細め、こちらをうかがう様子。


「……店、長……?」

「うん。」


 体から一気に緊張が消え、春川は大きくため息を吐いた。なんだか安堵したようにすら見える。


「……どこですか…?」

「ぼくの家だよ。」

「……そう、ですか……。」 うつむき、よかった、とつぶやいた。(「よかった」?)


「ぼくのこと、冷水かと思ったの?」


 そう言うと、春川はちょっとこちらを見て、またうつむいて、何か悪いものでも飲み込んだかのように顔を歪ませた。

 なんだ。今思い出したのか。

(やはり冷水のほうを警戒しているようだ。)それはそうだ。(でも、よくはない。)


「悪い夢でも見た?さっき、一瞬すごくこわい顔してたよ。」

「……ここ…、ずいぶん眩しいですね…」


 ぼくの問いには答えず、春川は言った。


 眩しい?そうだろうか。

 この部屋は半地下で、今のところ明かり取りの天窓以外の照明は無く、どちらかというと薄暗いくらいだけど。


 春川は、ベッドのうえでまだ少しふらふらしながら、今度は不思議そうに自分の白い寝間着の袖口を触り、胸のボタンに手を置いた。

 目を細めて、こする。本当に眩しそうだ。


「寝かす前に着がえさせたんだ。」

「…ああ…そう、でしたか…。…全然気づかなかった。」

「よく寝てたからね。」


「ベッドを占領しちゃって、すみませんでした。」


 少しして、あ、そうか、と思う。

 ぼくの「部屋」だと思ってるんだ。ここはゲストルームで、ぼくのベッドは別にある。

「別にいいよ。」 とりあえず説明が面倒なのでそれだけ言った。


「俺、どのくらい寝てたんですか。」

「そうだね、9時間くらいかな。まだ眠いのなら寝てていいよ。」

「……少し、頭が痛くて…なんだか、混乱してるみたいで…」


 混乱、ね。確か頭痛薬があった。


「ホットミルクを作るから、それを飲んで頭痛薬を飲むといい。」



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