がんばれ!はるかわくん! -7-
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春 川
《 DATE 2月12日 午後5時37分》
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いよいよ改装初日。引越しの日だ。
俺のバイト最終日でもある。
天気はうす曇り。スケッチに夢中になって遅刻しそうになった。最終日だというのに。
ダンボールは近くの貸倉庫に朝イチで運ぶことになっていたが、昨日の荷造り作業が来客の嵐のために滞ってしまい(来客のたびに店長の手が止まるから)、結局朝からまた荷造り作業をやっている。
荷造りが終わってようやく運び出せるようになったのは、正午を回ったころだった。
当初の予定より2時間は押している。
お昼は、ヒミズさんがサンドイッチを持ってきてくれた。
ヒミズさんはまだ自分の作業が終わっていないのに、店長が「腹減ったあ」と言うとすぐに動いた。俺だって一応、コンビニに買い出し行きますよ、とは言ってはみたのだが。
女の子に大人気の「(ヒミズさん)特製サンドイッチ」は、やっぱり美味しかった。
店長のジープの後部座席が取り外されていて、そこに運んだダンボールを次々と乗せ、満杯になったところで貸し倉庫へと持って行って、ダンボールをおろす。また引き返して、ダンボールを乗せる。
俺は車の免許を持っていないので、車の運転が出来るひとに憧れがある。運転している男のひとは、それだけで有能かつ機敏に見える。
バックするときに店長が首ごと後ろを向くのだが、そのときに店長の左腕が俺のシートの後ろに回り、距離がぐん、と縮まる。
店長からは品のいいなにかの石鹸みたいな匂いがして、俺はその度にどぎまぎした。
夕方になって、店長は、甘いもの食べたいと言った。
すると、ヒミズさんはまた手を休めて、今度はパンケーキを焼いて来てくれた。まだ熱かったので、やっぱり家が近いのらしい。シロップとバターが乗っただけのシンプルなものだったけど、生地がふわふわで…これがまた、めちゃくちゃうまかった。
ヒミズさんは店の冷蔵庫からチョコレートケーキも出してきて、俺の前に置いた。
そうだ、昨日OLさんにもらったやつだ。
店長は「いいなあ。でもぼくはもうお腹いっぱいだから、ハル全部食べていいよ。」と言った。
ケーキのことはよくわからないけど、洋酒が入っているらしい。
生クリームとイチゴがはさまっていて、甘さは控えめ。
しっとりとして、なんだか「本格的」な味がした。これもやばいくらいかなりおいしい。
最近のOLさんは、すごい。
気がつくと、店長もヒミズさんも頬づえをついて俺をじっと見ている。
「な、にか、ついてますか」
俺がフォークの動きを止めると、店長がくすっと笑って手を伸ばしてきて、なんと俺の鼻を引っ張った。いでででで!
ヒミズさんが店長を真顔で軽く小突く。
店長は手を離してまた無邪気にケラケラ笑った。
「バイトおつかれさま。」
笑い終わった店長が急にしんみりと言うので、俺は、突然泣きそうになってしまった。
あわててコーヒーをがぶ飲みし、むせたふりをしてごまかしながら、「いえ、こちらこそお世話になりました。」 と言った。
そうか。終わりか。
これは「お別れのケーキ」なのだきっと。
最近の店長は俺の「精神安定剤」になっていたから、今日で別れるのは、ちょっとつらい。
(でもまあ、仕方なし!)
頭をブルッと振ったら、店長が「それなに?」 と聞いてきた。
いえなんでもないですただのクセです俺の。
「よし!このソファたちで最後だ。」
陽はすっかり落ちていた。
「こんなでかいの、もう貸し倉庫には入らないんじゃあ…」
俺は、ソファは、冷蔵庫とかと一緒にここに置いたままにするのかと思っていた。
「これは、ぼくの実家に運ぶから。」
そうなんだ。
実家と言うと、店長は父親と何らかの確執を抱えているらしい。
俺の考えをすぐ読み取って、店長は「大丈夫、今、実家には誰もいなんだ。」と言った。
あ、そうですか…。(すみません、すぐ顔に出て…)
ちょっと照れくさくなり、視線をソファにやった。
「じゃあえっと、これを車に運んだら、俺の仕事は終わりですね。」
「下ろすとこまで手伝って欲しいんだ。終わったら、そのまま車で家まで送るよ。」
えっ。
「俺の家って、店長の実家から近いんですか?」
「ん~。車で…どうだろ。混んでなければ1時間もかからないと思うけど…」 いや、それなら。
「店長の家の、一番近くの駅まででいいです。」
「疲れてるのに、悪いよ。キミの家まで送るって。」
…ちょっと困ったな、と思う。
というのも、実は、今日と明日はネカフェではなく、特別にホテルをとっている。「今まで」がんばった自分への「特別なご褒美」のつもり。
でも、少しでも長く店長といたい、という、わがままな自分もいたり…。
結局。
「…なら、せっかくだから、おことばに甘えます。」
折衷案をとる。自分の家の近くでおろしてもらって、店長をゆっくり見送って、そのまま駅に行ってホテルに向かおう。
店長との「別れ」が少しだけ遠のいたことは、素直にうれしいし。
まず長ソファを店長と二人で抱え上げ、車の荷台に向かう。
俺が後ろ向きで乗りこみ、店長と息を合わせてソファを引っ張り上げる。
途中で店長が一気に押し込んできたので、助手席のシートとソファに挟まれそうになった。
「うわっ、わ!」
思わず声を上げると、店長がケラッと笑った。からかってるな。(でも店長にされるのはいやじゃない。)
次に運んだ1人掛けのソファは、持つと意外に大きくて、2つも入るのかな、と思ったけど、店長と二人で逆さまにして斜めに入れると、なんとか乗りきった。
車のなかでソファを押したり向きを変えたりしていると、店長との距離が離れたり一気に縮まったりする。
店長のいい匂いがするたびに、危ないなオレ、とか思いながらも、つい顔がにやけてしまう。
そのたびに俺は軍手で顔を拭うふりをした。
最後に残った低めのテーブルは、店長が足を外して分解し、毛布にくるんで隙間に押し込んだ。
「これでよし。」
バイトほぼ終了。
店長とも、もうすぐお別れ。
店長の実家ってどのへんだろう。
そこから俺の家まで、ふたりきりでの最後のプチドライブだ。
たぶんなにも話せないけど、その空気を堪能しよう。
それもきっと、俺への「特別なご褒美」になる。
「トイレ行っとく?」「はい。」
最後というのはなんだか不思議なもので、本当に短期間だったのに、明日からこのトイレも二度と使わないのかと思うと感傷的な気分になる。
(いやいやトイレぞ。)
トイレから帰ると、車の側にはヒミズさんもいた。ラバーコートを着ている。
「ハルのぶん」
店長がポカリをくれた。
「ありがとうございます。」
喉が渇いていたのでありがたい。ごくごく飲んでいたら、
「ヒミズもキリがついたから、手伝うって。」
と店長が言う。
(……え~……)
テンションが一気にガタ落ちだ。
店長とふたりきりでドライブかと思ってたのにな…。
(いや、こういう発想、かなり危ないんじゃないのか、俺。)
しかも、である。
その次に店長が発した言葉は、俺をさらに激しく落胆させた。
「キミ荷台でいいよね。」 ヒミズより体小さいから。
ああ…。
ヒミズさんは、私が運転しますけど、と店長に言っていたが、どちらにせよこのメンツなら俺は確実に「荷台扱い」なのだ。
すでにソファでぎゅうぎゅうになっている荷台の、どこに乗れば?と半ばキレ気味で考えていたら、店長が「ソファの上に寝そべればいいよ」と運転席から指示してくれた。
スニーカーを脱いで自分のかばんと一緒に荷台の隙間に入れ、長ソファのうえを匍匐(ほふく)するように助手席シートの後ろまで進んで、仰向けになってみた。
なんとか乗れる。
でも2つの1人掛けソファが覆い被さってくるようで、ものすごい圧迫感だ。
たまにぎしぎしとスプリングの音までして、苦手なんだけどなー、この音。
「足、もう少し曲げて」
ヒミズさんに言われて、横になって膝を折ると、ヒミズさんはハッチのドアを下ろした。
「潰れそうになったら早めに教えてね。」
店長はまたケラッと笑い、車を発進させた。
車内のヒーターはすぐあったまってきて、振動がさらに心地よい。
俺は、昼間の疲れと、最近寝不足だったこともあり、なんだかすぐに眠たくなって、まるで、暗くあたたかい水の中へと一気に沈み込んでいくように眠りに落ちた。
結局は、店長とふたりきりでも、俺は寝てしまったのかもな、などと、…少し苦笑してみたりしながら。
(春川 DATE 2月12日 午後10時03分 へつづく)
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