りとる・ぶれす#(シャープ)

藤辰

同好会発足後、仲間も集まりしばらくたったある日




まだ夕暮れというには早い時刻。徐々にオレンジになりつつある光に照らされながら、私とそいつは向かい合って座っていた。

「ほんと、才能ないなお前」

「う、うううるさい! 余計なお世話だ!」

男性というには少々まだ声変わりの余韻が残る、そんな少年と大人の間のような声。そいつはいつものように私に呆れ交じりのセリフを投げかけた。

私はそいつをキッと睨みつける。私と同系統のブレザーを羽織り黒い大型道具の隣に座るそいつは、私の眼力なんてものともせずに涼しい顔をしている。

……構っても仕方がない、私は懸命に目の前に置かれたある本を食い入るように見た。

ごく一般の学生なら、週に一回授業で眺めればよいであろう特殊な記述。それはどの言語にも属さずに、しかしきっと世界中の人が読み解くことができる魔法の本。……確かになれないと読みにくい内容だが、それ自体を近いすることは私にとっても難しくはない。

だけどこいつの指示通りにちゃんと事を熟そうとすると、そうそう上手く出来るわけではない。というか現在進行形で私はこいつに苦戦している。

何せ、指示通りに熟そうとしても、手元のこいつが全然いうことを聞いてくれないのだ。

私は再度その操作を確認しようと、それを見る。

黒い筒であった。正確には黒い筒に銀の部品がごちゃごちゃとついている。そして先端には、何やら木片のようなものが取り付けられていた。

音楽に少しでも精通していればわかるであろう。管楽器木管族、クラリネットであった。

私はスーハースーハーと深呼吸をして、クラリネットを構える。

「い、行くわよ」

譜面を読み直して、指使いも確認した。問題ないはずだ。

「はいどうぞ」

目の前の男子学生は憎らしい声色で相槌を打った。

構うものか。まずは吹くことに集中しろ、私!!

♪トゥー、トゥトゥトゥトゥートゥー……ブヒョッ!!

最後の数小節で、音が裏返った。

その瞬間、私はピシリと固まる。

そして、目の前のそいつはため息をつきながら

「ホント、才能ねえなお前」

先ほどとほとんど変わらない感想を漏らした。

「だああああああああああああもおおおおおおおおおおお!! うっさい!!」

左手でクラリネットを持ちながら、右手で机をドンっと叩いた。

「だって、お前、何回そこで躓けばいいんだよ」

「知らないわよ!!」

「なんだ知らなかったのか。少なくとも今日だけでもすで102回の失敗だ。むしろこれだけやって、一度も吹けないとか、むしろお前一周回って才能あるんじゃないか?」

「いちいち数えてんじゃないわよ!!」

「すまんな、あまりに退屈だったからつい」

「あんたも練習しなさいよ!!」

「ん? この曲か? 確かにちょっと難しいところがあったな」

そう言いつつ、そいつは目の前にある黒い大型道具……グランドピアノをタタタンと鳴らし始めた。

「ここの部分が難しいんだよなぁ。俺が『練習した』くらいだからな」

と言いながら、完璧にその曲を弾きならしていく。

「おかげで2週間前の火曜日はいつもよりも20分も睡眠時間が少なかったくらいだ」

こちとら2週間ずっと睡眠時間が2時間少ないというのに……。

「なんて忌々しいの……」

「俺は才能あるもんでな。……ちょっと貸してみろ」

そんなことを言いながら、奴は私のクラリネットをひょいと奪い取る。

そしてそのままそれに口をつけようとする。

「ば、馬鹿!! なに勝手に吹こうとしているのよ!!」

私はあわてて奪い返そうとする。だけど中学三年の男子学生ともなると、中学一年の私とでは全然勝負にならない。

「なんだよ……。あ、もしかして関節キスとか気にしてるのか? 安心しろ、俺は全然気にしない」

「うぬぼれるんじゃないわよ!! 誰がそんな意識するか!!」

そう、こちとらそんな身がもだえるような甘酸っぱい感情は持ち合わせていない。

そんなことよりも、もっと大きな問題がある。なんとしてもそれは避けないとならない。

「やめてよ!! あんたが吹くと……あんたが吹くと!!」

「俺が吹くと? はてさてどうなることやらー」

「やーめーろー!」

♪トゥー、トゥトゥトゥトゥートゥー……トゥトゥトゥットゥー♪




その完璧な演奏に、私はがくりとうなだれる。

「なんでピアノのあんたが、そんな簡単に吹きならすのよぉ」

「悪いな、才能に満ち溢れてるんだ」

そのまま、クラリネットでなじみのあるクラシック曲をプカプカ吹き始めた。

「……っく、私はこんなに練習しているのに」

目の前のこいつがこんなに軽々吹いたら、私の立つ瀬がないじゃないか。

ああもう、泣きそうになる。体がプルプル震えるのがわかる。

「もー、そんなに吹けるんなら、あんたがやればいいじゃないさー」

そんな言葉が私の口から洩れた。

その瞬間、そいつは吹くのをやめる。

一瞬静かになった教室に、クラリネットから口を離しながらそいつがゆっくりと息を吐く音だけが静かに響いた。

そして、彼は口を開く。

「あほか、一人で吹いたって、なんも楽しくねえよ」

なら、私なんかほっといてもっと上手い人探して吹けばいいじゃないか……と言いかけて私はやめる。

だって、そいつの表情はすごく寂しそうだったのだ。とてもじゃないけど、軽口を叩ける雰囲気はなかった。

「……だったら、返してよ」

「ああ、ほらよ」

彼は言葉とは裏腹に、丁寧にクラリネットを手渡してきた。それは私が必死に吹いていた時とは明らかに違う熱を帯びていた。

私はその熱が消えないうちに、練習を続けることにした。




何度も何度も同じところで躓く。だけど諦めないで反復練習をする。それが結局私にできる最大の練習なのは知っていた。

「……よくもまあ、飽きないよな」

「うるさい、出来るまでやるのよ」

「疲れないのか?」

「疲れてるわよ、当たり前じゃない」

「今日中にできるのか?」

「出来なきゃ明日も同じところ練習よ」

結局、やり続ければ最後にはできるようになるのだ。だったら止まる必要なんてないのだ。

「…………まったく、そこだけはアレだな」

不意に、そいつははっきりとしない表現でつぶやいた。

妙に気になったので、私はそれを聞き直す。

「何よ、アレって」

だけど、私の目をじっと見たそいつは、視線をそらしてはぐらかした。

「……なんでもねえよ。ていうか、なんでそんなに諦め悪く出来るんだよ」

「そりゃあ……」

と、私は考える。

諦めなければ出来る事を知っているからだ。それが私の答え。

だけど、それは正解であって正確ではない。

じゃあ出来る事に意味があるのかと問われると、それははっきりとした事ではない。

これが出来ると成績が上がるわけではない。

これが出来ると将来の進学が良くなるわけでもない。

誰かを楽しませようにも、まだまだそこまでの実力があるとは言い切れない。

これが出来たところで、それ自体に大きな意味はないのだ。

だけど、私はこれを出来るようになりたい。

なぜか。……簡単なことだ。

今彼が『一人で吹いてもつまらない』と教えてくれたように、以前にも私は彼に教わったことがある。

そう、クラリネットは……音楽は……。

私はまっすぐに彼に向って言い放つ。

「みんなで演奏するのが楽しいからよ」

本当に一瞬だったから気のせいかもしれないが、そいつが目を見開いたような気がした。

……そしてすぐに大きなため息をつきながら言う。

「……でもお前、まだ全体の七割の小節付近じゃねえか。それ以降は練習したのか?」

「ここの部分出来てからにするわよ」

「……ああ、やっぱりそうか。お前、今日何日か知ってるか?」

そういって、彼はスマホのカレンダーを見せてきた。

「何日って……そのくらいわかるわよ」

「ok.お前に合わせて質問すべきだったな。今日、何する日か覚えているか?」

「何するって……いつも通りこうやって、次の合奏日まで同好会の練習を…………っは!!」

私はカレンダーを凝視する。

そうだ、今日は………。

「お前、集中力あるのは良いけど、致命的に一点集中で回り見えなくなるのどうにかした方がいいぞ?」

やばいやばいやばいやばい!! 今日だ、今日なのだ!! 今日までに一通り吹けるようにならないといけなかったのだ。

これでは、『みんなで吹くこと』ができない。

集合時間まであと1時間。……このままでは、非常に中途半端になって、みんなに迷惑をかけてしまう。

ワタワタ焦っているのがそいつにも伝わったのだろう。彼はため息をつきながらポロロンとピアノを鳴らした

「………何とかしてやるから、とりあえず次の小節から浚うぞ?」

「い、一緒に練習してくれるの?」

「なんせ俺は完璧だからな。ほんの一時間くらいはお前にくれてやるさ」

その言葉は本当に頼もしかった。一瞬、そいつがすごくかっこよく見えた。

が、次の言葉でどん底に落とされる。

「ま、一時間地獄は見てもらうけどな。その不細工な顔が、さらにつぶれたアンパンみたいになるかも知れないが、まあがんばれ」

このめちゃくちゃ可愛い顔面のままこいつに食らいついてやろうと、そう心に誓った。




「……香奈。なにひしゃげたアルミ缶みたいな顔しているのですか?」

「つぶれたアンパンよりはマシね、必死だったのよ奈留」

「香奈、また日々輝と二人で練習してたのではないでしょうね?」

「大目に見てよ奈留。……ていうか、仲良くやったわけじゃないわよ。あのクソサド、本気で私をいじめ倒しに来てたわ」

「い……いじめ!! 日々輝先輩と香奈ちゃん!! な、なにやってたの!?」

「だあああ、小珠!! ただ練習してただけよ!! 一方的なスパルタだったけど、変なことじゃないわよ!!」

「ですが例えそうだとしましても、特定の部員同士で過剰に仲良くなるのは好ましく……」

「ああああ、もう相変わらず面倒ね奈留!!」

……

………

「何よ、日々輝。ニヤニヤ見てんじゃないわよ」

「いや、確かにみんなで吹くのは楽しいな?」

「黙って。ていうか、もうとっとと合奏始めまるわよ。飛九徒さん、ドラムok?」

ドコドコドコドコッシャーン!!

「大丈夫なのね。……じゃあ、はじめるわよ!?」

「「おー!」」




元天才ピアノ弾き、木多 日々輝(中三)

妄想暴走ベース弾き、皆見 小珠(中二)

友達少ないお嬢様フルート吹き、二市屋 奈留(中一)

沈黙のドラマー、比嘉 飛九徒(中三)

そして、一直線の努力家クラリネット吹き、中野 香奈(中一)




その小さなバンドの小さな息遣いは、まだ風に乗り始めたばかりである。

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りとる・ぶれす#(シャープ) 藤辰 @fujitatu

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