II. Menuet de la Triade d’Hécate ――『三面のヘカテー』のメヌエット(メヌエット・ド・ラ・トリアード・デカット)(3)
私はぺこりと頭を下げ、空いている通路越しの席に荷物を置くと(その奥には、もう既になにやら物々しい包みで覆われた荷物と、旅行鞄が二人連れにしては多すぎるほど沢山あった)、丁度二人の間に足が来るように座った。
見れば見るほど、驚くべき二人連れだった。
両方が、百人いれば百人が振り返る程の美人で、とても現実の光景とは思えなかった。
一人は警戒心が強いのか、私とは視線を合そうとせず、ポニーテールに結ったストロベリーブロンドの髪の房を指で弄り回しながら、イングランド北東部の長閑な田園風景を眺めている。顔立ちを見れば、あどけなさも多少残り、私と然程年は変わらないはずなのだが、フリル襟のブラウスと深紅のテーラードジャケットが、大分落ち着いている印象を受ける。櫛を通せそうなほど長い睫に縁取られた大きな灰色の瞳は、気だるげに半開きになって、刺激に飢えているように見えた。
もう一人――私と言葉を交わした方は、もっと超自然的な均整と計算の行き届いた造詣をしていて、アンティークのビスクドールを思わせる。その紫がかった紺碧の瞳にも、白磁のような肌にも、生気というものが一切感じられず、まるでマダム・タッソーの館で見た蝋人形のようで、年齢など皆目見当も付かない。彼女は、もっと異国趣味豊かで派手な、ゆったりとしたベルスリーブのシャツを着ていて、その手先はすっぽりと隠れている。
最初に口を開いたのは、年齢不詳の女の方で、今や列車内は全席禁煙なのをさも煩わしく思っているかのように、袖越しに骨董物のシガーケースをまさぐりながら云った。
「ぱっと見たところ、イギリスの方ではないようだけれど、ご旅行?」
「ええ、まあ旅行と云うか、仕事と云うか、お使いと云うか。ちょっと親父に唆されて遥々日本から買い物に来たんですよ」
と云って、私は板状の包みを指差した。
それを聞いた超自然の女は、眼を大きく瞬かせて喜んだ。
「ほほう、それは嬉しいですね。こんな異国の地の列車の中で、同郷の方と出会えるだなんて。尤も、この形の通り、血は日本人じゃありませんがね、それでも日本とは決して浅からぬ因縁があるんですよ。御使いの品を見る限り、御父上とは同業者でもあるし――絵画でしょう、これは」
と、流暢な日本語で話し始めたこの女に、私は度肝を抜かれた。どう逆様に見たって、その小さな花弁のような唇から、日本語が流れ出てこようとは予測できない。おまけに、その声は実に深みのある、年輪を感じさせるもので、何から何まで違和感があった。
おまけに、父と同業者。たしかにアーティスティックな身形だが、こんな偶然ってあっても良いのだろうか。そこまで一般的な職業でもなかろうに。
「その通りなんですよ。うちの家は、明治の末から横浜で、美術品専門の貿易商をやっていたんです。随分勢いは衰えましたが、今もまだこうして細々と仕入れてはやっているんですよ」
「ほう? 御父上自らではなく、息子さんである貴方に買い付けを一任するだなんて、貴方中々の目利きなのでしょう? もしくは、御父上に天性の直感が備わっているか」
「とんでもない。ぼくは、確かに親父に信頼されて、直感的に真贋をイエスかノーで言い当てることがありますがね、申し訳ないんですけれど、美術の知識も無ければ興味もそこまでないんですよ。親父の方は――まあ、いい勘をしているんでしょうね。尤も、今回までは、ですが」
「今回までは?」
美術商の女は、好奇に眼をキラリと光らせた。
「するとなんです。今回は――そこの座席にある品物は、贋作だったのですか」
「まあ、ぼくの見立てでは、ですけれどね。素人考えだし、間違っているかもしれませんが」
「ちょっと、拝見してもいいですかね」
「どうぞどうぞ。本業の方にこうして予め見て貰えておけば、日本に帰るまでに言い訳の一つや二つひねり出せますからね」
そう云って私は立ち上がると、油紙に覆われた包みの方へと向かった。
すると、先程から一言も言葉を発していない女の方が、不満を云った。
「わたし、つまんなーい」
美術商の女は、それを一笑に付し、
「それはそうでしょうよ。だから私は貴女に美術品を売るのが嫌なのだ。美を愛でる洗練された精神も、審美眼も、そしてまずなにより情緒とか繊細さとか、人間とサルとを区別する大きな要素が幾つかガッポリと抜け落ちているからね。これで金払いが良ければ、カモがネギ背負ってやってきたような、この上なく美味しいお客になるのだけれど、こうしみったれていてはねえ。貴女は今後、家具量販店ででも美術品を買うことですね。それっぽい模造品がお手頃な値段で手に入りますよ」
一頻り小言を浴びせ掛けると、美術商はニッコリと私に向かって、
「コレのことは気にしないで、見せて下さいな。申し遅れましたね、私は岡内十和子。〈葡萄燈〉と云う店を経営しております。そっちの無粋でブスーッとしているのは、ハヅキ・イェーガー――アンタ、なんだっけ。なにしてるんだっけ。穀潰し?」
「違う!」
穀潰し、じゃなかった、ハヅキ・イェーガーは頓狂な声を上げた。
「わたしは十和さん、あなたよりは余程真っ当に、汗水垂らして働いてるわよ。あなたは基本的に椅子の上で踏ん反り返って、あれこれ指図して薀蓄を垂れているだけだけれど、うちは立ち仕事だもの――ハヅキ・イェーガー。〈ホテル・ニムロド〉という旅館のオーナーをしているわ。お見知りおきを」
「こちらこそ。江津英吉です」
まだ軽口を叩き合っている二人を尻目に(「立ち仕事と云うが、貴女の所は、椅子がないだけじゃないのか」「むきーっ!」)、私は油紙を解き、中の絵を白昼の下に晒す。すると自ずとお喋りは止み、美術商は前屈みになり、その錦糸のような銀髪が私の顔をそっと撫でる。
「ほほう、これはこれは――」
「何か判りますか? わたしと親父、どっちが的外れの大間抜けなんです?」
無自覚に紙巻を一本取り出した十和子は、切り口でポンポンとシガーケースを叩きながら云った。
「それは難しい質問ですね。長くなるけれど、宜しい? 二時間程」
「止めろ!」
血相を変えて叫ぶハヅキ。私は苦笑して、
「それは困りますね。二分程の講義でどうでしょう」
「まあ人間、誰しもじっとしていられるのは二分が限度ですからね――ハヅキはもっと短いですが」
そう云って、神秘的な美術商は咳き一つ挟み、話し始めた。
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