ホテル・ニムロド

岩橋のり輔

0. 序曲




その昔、全ての地は同じ言葉と同じ言語を用い、人々はシンアルの地に到り、一つの街を築こうとした。




天辺が天に届くほどの、民が一丸となり、二度と散り散りにならないような、立派な塔を備えた都市を。


『人類』――その種族名を永劫語り継ぐ、不朽の碑を。石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりに瀝青を。


窯を、炉を作り、火を焚き、塔の頂は天高く伸び、人々は神に近しい視点から大地を見降ろさんとした。



ところが、神はかく語りき。


「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」


そもそも、散り散りに暮らすようになったのも神の意思。


人智は、その意向を覆さんと立ち向かい、神はそれを窘めた。


神は、全ての地に人を散らし、以後、街は永遠に未完の体となった。


人々は、元通りばらばらに暮らし、別々の言語を喋るようになった。




〈旧約聖書〉は〈創世記〉にあるその街の名は〈バベル〉。


此処、鐘楼都市〈ベイベル〉の二つ名であり、忌み名であり、祖先でもある。





鐘楼都市〈ベイベル〉はこの世界のどこにでもあり、どこにも無く。また、いつの時代にも存在しえ、存在しえず。


地球上の如何なる他の場所の例に違わず、共通の物理法則、共通の生物学的論理、共通の社会哲学に基づいていながら、幾つかの決定的な矛盾点によって、天国や極楽浄土に近しい存在となってしまっている。


見回せば、ここは四方を〈美しの湾〉の水平線に囲まれた孤高の街で、蜷局を巻く大蛇のような幅広の螺旋を描く塔である。その姿は、著名な十六世紀フランドルの画家ブリューゲル作の『バベルの塔』に酷似しており、「美しい湾」を意味する英語と掛け合わせた命名者の感性は中々に秀逸。おまけに、ここにはありとあらゆる言語、民族、文化の人間が寄合所帯さながらに暮らしている。


塔は内壁に沿って区画化され、それぞれが異なる背景を持つ〈提督〉を顔役に掲げ、〈提督〉たちは集合都市国家の体の基に提携している。


〈区画〉は、塔の末広がりの部分から頂上に向かって、順に二から十の数字が振られ、各自特化した専門産業と都市機能を持ち、個々がまるで臓器のように、巨大な〈ベイベル〉の巨人を動かすのに、無くてはならない役目を担っている。


そんな鐘楼都市の芯であり、根底であり、最も特異な行政区分は〈第一区〉で、それこそが〈ベイベル〉を一つの大きな終起点たらしめている場所だ。街の礎に無数の迫持を以って外界と繋がり、日の射さない芯の部分に絡み付く線路を張り巡らせている。


線路は四方八方に水面を張って伸び、大きな屈曲を経て、一つの地点に収束する。


その名もずばり〈収束点〉。その向こうは虚空と水面が平行に伸び行くばかり。




それこそが〈ベイベル〉を〈ベイベル〉たらしめている理由、鐘楼都市と外界を隔てる場所であり、唯一つの架け橋なのだ。


故に、鐘楼都市〈ベイベル〉の時は止まっている。


都市の中では、時は外界と変わらぬ比率を持って流れ、一日は二十四時間、一年は季節の一周を以って廻っている。


けれど、〈収束点〉の向こうの幾千の源流たちは、総てが一本の異なる時系列の上に並んでいるのだ。

 例えば、一本の河川を遡るとそこは第三帝國ドイツで、連合軍のスピットファイアが街を焼き払っている場面に行き着く。別の線を辿れば、そこは自由開拓時代のアメリカで、夢と希望と栄光と挫折が骸のように折り重なっている。また、別のものは摩天楼犇めく夜の東京へと繋がっており、絢爛なイルミネーションが不夜城のような様を照らしている。


つまり、鐘楼都市単体では時は、何ら外の世界と変わりなく平常に流れているが、外の世界の大本流と比べた場合、鐘楼都市は過去であり、現在であり、未来でもあってしまう。同時にそれは、北も南も東も西もない、地図帳の向こうの世界でもある。


そして〈収束点〉を越えて行き来する列車こそが、鐘楼都市のあちらとこちらを行き来する渡し船なのだ。




ここは、時の河の流れに取り残された、河跡湖のような物だ。


氾濫源たる現世の蛇行に次ぐ蛇行の挙句、ふとした切っ掛けから乖離してしまった空間。堰き止められて居る筈の湖にも、循環する潮流があるように、鐘楼都市にも物理法則に則った時が流れている。けれど、それはそれこそ十人十色に違う周期性を以って廻っている。


もし、我々が水の上でしか生きられなかったり、水中でしか呼吸の儘成らぬ魚だったりしたら、そんな違いはごくごく些細なものかもしれない。


けれど、私達には脚がある。肺がある。陸を歩き、向こうの河岸へと行けてしまう力がある。


だからこそ、こっちの流れ、あっちの流れで違う流れを浴びて、戸惑わなければならないのかもしれない。


そして、更に面倒臭い事に、私達の肉体もまた、この二つの河川とは異なる流れを持っている。


こちらで二十歳だったのが、あちらでヨボヨボになっている訳ではない。こちらで二十歳だったら、陸地をちょっと行って向うへ着いたところで、先より数分、歳を取っているに過ぎないのだ――




理解出来たかね?


否、理解しようとしないほうがいい。




息をするのに、空気の存在を認識し、その有難味を感謝するのは結構だが、いちいちそのメカニズムを理解しようとしては、身が持たまいよ。




世の中、あるがままに寄り添っておいた方が良いものも、きっとある。




――T・O



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