第3話 再び初心者

 大原高校は平津加総合公園の敷地に入りこむようにして建っており、周囲の環境には評判がある。また創立から日が浅いため校舎もきれいである。こうした理由から、市内では結構人気のある高校なのだが、大原高校の最大の魅力は何と言ってもその校風にあると俺は考えている。

 大原高校が掲げる「自由」の校風は認知度も高く、大原高校を志望する中学生が面接試験でも受ければ、その十中八九はその校風について言及するほどである。

「大原高校の自由な校風に憧れて……」と、大抵はこんなふうであろう。そんな憧れを抱いた中学生が晴れて合格して大原高校に入学すると、その期待は見事なまでに応えられる。

 何せ、先輩たちがその有り余る活力を遺憾なく発揮して自由を謳歌する様は、自由というよりは、もはや無法地帯に近い。談笑する声のせいで全校集会にて校長先生の話は聞こえない、昼休みの教室に宅配ピザは届く、そこまで来てどうして間に合わなかったのか知らないがトイレの洗面器で誰かが大きいほうの用を足すなどなど、校風の自由がどれほど真実なのかを知るだろう。

 しかし、誤解してはいけない。この高校では拳と拳で語り合うような血なまぐさい自由は奨励されない。好き勝手やりながら、どこか愛嬌のある自由。それこそ我らが愛すべき大原高校の校風なのである。現に、こうして保健室にて肘のケガを治療してもらっている俺の姿も、傍から見れば愛嬌に溢れているであろう。断じて気のせいなんかではないはずだ。

 保健室を出て肘にガーゼを貼りつけたまま、世界が水玉に見えるほど水玉柄を頭に思い描きながら二階の教室へと向かう。昼休みはもう二分も残っていない。朝飯を中途半端な時間に食べていなかったら、教室へは向かわずに高校の目の前にあるパン屋に向かっていたであろう。そうなっていたら、五時間目の出席も危ぶまれるところだった。

 二年五組の教室に着くと、まだ半数ほどしか人がいない。それもほとんど女子だ。男どもは体育館か外かで何かしらのスポーツに興じているのだろう。そのまま帰ってこなくてもよいと念じつつ、隣の席の渡見さんに声をかける。

「おはよ」

「ああ、おはよ。坂上くん、相変わらずの遅刻だねぇ」

 渡見さんは化粧を直している。元から大きい目をさらに大きく見せようと奮闘中だ。

「地球に時差がある限りウィンブルドンの期間はやむを得ない。いや、もし家でWOWOWが見られたら全豪、全仏、全米の時期もやむを得ないな。どっかの局でマスターズシリーズなんかやってたりしたら、今後一切始業には間に合わないかも知れない」

「どうせいつも遅刻じゃん。それより、記憶喪失って本当?我門くんが言ってたけど」

「部分的にね。でも、渡見さんのことは少しも忘れちゃいないから安心してくれ。君の魅力はテニスボールが直撃したくらいで忘れてしまうようなものじゃない」

「嘘でも嬉しい」

「嘘じゃないさ」

「じゃあ、千円貸したことも覚えてる?」

 強打に見せかけてドロップショットを打つように渡見さんはけろりとして言ったが、むろんのこと記憶喪失のせいではなく普通に借りた覚えはない。

「次の授業何だっけ?」

 慌てて会話の流れを逸らす。

「世界史だよ」

 渡見さんは化粧をしながら相変わらず顔色一つ変えずに答える。まったくもって見習うべきメンタルの強さである。テニスという個人競技ではこのように強いメンタルが往々にして試合を左右するのだ。

 感心しているとチャイムが鳴り、男どもが汗臭さを漂わせながら教室になだれ込んできた。

「ようやく出勤か」

 我門はジャージ姿だ。

「ああ、まあな。何やってたんだ?」

「バスケだ。あれは楽しいな。テニス部辞めて、バスケ部でも入るかな」

「阿呆なこと考えるな」

「お前、肘どうしたの?」

「先生来たぞ」

「お、やべ」

 我門はいそいそと席に戻った。

 世界史の田辺先生は入ってくるなり、厳しい顔つきで出席簿を睨んでいる。厳しい中にもユーモアを持ち合わせた先生であるが、さすがに出席簿のチェック欄は冗談で済まさない。間もなく俺の名前のところに付いているチェックに言及するだろう。

「坂上はまだ来てないのか?」

 やはり。

「います。先生、いますよ」

「おお、お前いつ来たんだ?」

「いや、朝からいますけど……」

「正直に言わないと、この授業も欠課にしてやるぞ」

「すいません。昼休みに来ました」

 教室に笑いが起こった。我門はこっちを見てにやにやしていやがる。

「まったく。遅刻の上に堂々とTシャツまで着てきおって」

 田辺先生は文句を言ったが、あまり咎める気はないようで、すぐに授業を開始した。それはそうだろう。教室を見れば普通に制服を着ている方が少数派であることは一目瞭然だ。ウィンブルドンの服装規定の方が遥かに厳しいくらいである。


 〇


 あっという間に放課後になった。来たのが昼休みなので当然である。帰りのホームルームで担任の中田先生にねちねちと遅刻を詰られるまでは予想通りだったが、「先週サボった分、お前は今週も掃除当番だ」と言われたのには閉口した。

 まあ逃げ出すのは訳ない。そう考えていたが、それは甘かった。中田先生の気迫は凄まじく、挨拶終了後素早く教室の出口に回り込んで俺を追い詰めた。テニスでは相手のボールに素早く反応するために常に軽く跳ねるようにステップを踏む。これをスプリットステップというが、中田先生の反応の速さは帰りの挨拶をしながらスプリットステップを踏んでいたのではないかと疑いたくなるほどだった。

 先生は俺に箒を押し付けると、満足気に体育教官室へと去っていく。

「じゃあな陣、先行ってるぜ。掃除頑張れよ」

「お前も手伝え」

「やなこった」

 我門は腹の立つほど軽い足取りで教室を出ていく。

 床を掃いていると早く自分のテニスの腕前が知りたくなり、苛立ちが募ってくる。しかし、ここで箒を投げだすのは掃除をしている方々に対して申し訳ない、と思うくらいの常識は俺だって持ち合わせている。

「たまには掃除くらいしろよ」

 石村が箒で適当に床を掃きながら話しかけてきた。

「しかし石村よ、お前だってチャイムが鳴った瞬間、一秒でも早くサッカーボールを蹴りたい衝動に駆られることはあるだろう?」

「まーな、分からないでもないけどな」

「けど全員がそれをやったら誰が掃除するんだよ?」

 柿沢が塵取りを持って来た。

「やらなくて良くね?掃除なんて」

 俺たちが掃除そっちのけで掃除の必要性を議論していると、不意に後ろから声がかかる。

「あの、あとやっとくから、もう大丈夫」

 振り返ると、堀川さんが立っていた。真面目で大人しい堀川さんは普段あまり目立たないけれど、その器量がいいことはテニスボールを頭に食らったくらいでは忘れない。俺は掃除をやらされたことに早くも感謝の念が湧いてきた。

「いや、そんな」と俺が言いかけると、石村と柿沢は俺の言葉を押し退けるようにしてしゃべりだした。

「堀川さん、いつもすまん」

「ほんとにありがとう。恩に着るよ」

 言うが早いか、二人とも箒を置いてさっさと去ってしまった。

 何て浅ましい奴らだ。いつもこんな事をしていたのか。俺は自分が二年生になってから初めて掃除に参加したことを完全に忘れて一人義憤に駆られた。しかしその一方で、堀川さんのやさしさに急速に惹かれてもいった。

「坂上くんも大丈夫だよ」

「いや、俺をあんな奴らと一緒にされちゃ困る。か弱いレディ一人に掃除を押し付けて去るような人非人じゃあないよ」

「私、坂上くんが掃除しているところ見たことない気がするけど……」

「それは班が違うからね」

「一年生の時はずっと同じだったよ」

 う……そうか、堀川さんとは一年の時も同じクラスだった。

「そうだっけ?まあ、それより堀川さんはいつもこんなふうに一人で掃除してるの?」

「そうだけど途中までやってもらってるし。私、別に部活とかやってないから」

 なんと素晴らしい女性だろう。一年の時から一緒のクラスだったのに彼女の魅力に気づかなかったとは。掃除もたまには出てみるものだ。

「そんな、当番なんだから当然だよ。あんな奴らは顎で使ってやりゃあいいんだよ」

「私はいいの、気にしないで。坂上くんも本当に大丈夫だよ」

「いや、やらせてくれ。堀川さんと一緒なら教室中、いや学校中、いやいや総合公園中を掃除したっていいくらいだ」

 部活などいくら遅れようと構うものか。どうせ四人の男どもがテニスコートに集まって猥談とテニスに七対三くらいで興じているに過ぎない、二週間使いきって芝がほとんどなくなったウィンブルドンセンターコートのベースライン周辺くらい不毛な場所なのだから。

「ふふ、坂上くんて面白いね。でも、私は教室だけで十分かな」

「だよねぇ」


 〇


 掃除を終えて危うく鼻歌が出そうな上機嫌で部室へ向かう。

 大原高校の体育館は二階にある。その二階が体育館になっている建物の一階が武道場、および部室となっている。武道場の前は通り抜けできる空間になっており、ピロティと呼ばれていて、そこで女子テニス部員の一年生たちが素振りをしていたりする。正門から見てその建物の左がテニスコートで、右が教室棟だ。体育館棟と教室棟の間の道を奥へ行くとグラウンドがある。また正門を入ってすぐ左の立体駐輪場の奥にはプールと弓道の練習場もある、と俺は大原高校に対する自分の記憶を確かめながら部室へ行った。

 部室の戸を開けると、四元さんがベンチに座って携帯をいじっている。

「おお、四元さん。来てくれていたか」

 バイトをやっている上に気まぐれな四元さんは、稀にしか来てくれない。

「うん。でも暇」

「お茶を作ってくれよ」

「もう作った。坂上くん、記憶なくなったんでしょ?」

「ほんの一部分さ。四元さんのことならたとえフェルナンド・ゴンザレスのボールを食らったって忘れないよ」

 フェルナンド・ゴンザレスが豪打で有名なプロテニスプレイヤーだということを四元さんが知っているかは定かではないが、この際大事なのは気持ちである。

「肘どうしたの?」

 俺の気持ちはアウトボールのごとく無視された。

「これは名誉の負傷」

「またバカなことやったんだ」

「失礼な」

 会話しながら着替えを終え、ラケットを取り出して握ってみる。300Gのグリップにある握りの跡が俺の手にいまひとつピッタリこない気がする。まあ、気のせいかもしれないが。

「うーし、じゃあ行ってくるか」

「あっ、今日バイトだから四時には帰る」

 四元さんは思い出したように言う。

「了解」バイトと聞いて登校時のことを思い出す。「四元さん、姉さ……宮野先輩にあまり変なこと吹きこまないでくれよ」

「あれは全て真実」

 俺は諦めてコートへと向かった。

 大原高校のテニスコートはハード二面とオムニ一面であり、このハードとオムニの間は防球ネットとフェンスで仕切られている。所属部員の人数からして女子テニス部はハード二面を使い、男子はオムニの一面を使っている。何せ男子テニス部はたった五人なのだ。

 何故、一年生がいないのか。それはさまざまな手違いが重なり、男子テニス部の存在が新一年生に伝えられなかったことに因る。それでも後から男子テニス部があることに気づいて数人くらい入ってきても良さそうだが、それもないのは不可解である。やや遅きに失しているかもしれないが、今からでも勧誘すべきでないか。特に女子マネージャーを。

 オムニコートに入ると、クロスコートでサーブからのラリー練習をしている。ダブルスのサーレシというやつであるということは分かるのだが、どうも練習の感覚が浮かんでこない。

「お、来よったか」

「掃除は楽しかったか?」

 手前のサーブ側は木戸と我門で、人数が少ないせいで休む間もなく打ったのか、二人とも軽く息切れしている。

「楽しいなんてもんじゃない。まったくもって素晴らしいぜ。掃除とは人格形成に役立つ」

「何言ってるん?こいつ」

「何かあったな?」

「まあ何にせよ、こん中で一番人格形成が必要なんは、お前やけどなっ」

 木戸はデュースサイド、つまりネットに向かって右側のサイドからセンターよりにスライスのかかったサーブを打ち込んでネットに詰めた。レシーブの日野は、セオリー通り前に出た木戸の足元に沈めるような浅い球を打つ。サービスラインの辺りで木戸が打ったローボレーは少しも浮かずに、再び日野側のベースライン付近まで深々と飛ぶ。日野は下がりながらも、一球目よりさらに浅めにセンターへ打ち返す。恐らく少しでも角度をつけ辛くするためだろう。しかし、左利きの木戸はフォアボレーで巧みにボールを下から擦り上げてショートクロスにボールを落とした。サイドスピンのかかったボールはコートの外へ向けて弾み、絶対に取れない軌道を描いてフェンスにぶつかる。

「おお」

 思わず我門が声を上げた。日野はラケットのフェイスを叩き賞賛している。

「どや、ちーっとは思い出せそうか?俺のボレーが天才的っちゅうことが」

「いや、全然」

「てか、今日初成功だろ、それ」

 大場が指摘する。

「細かいことは気にせんとき。しかし、これでも思い出さんとは。ちと打ってみや」

「言われなくとも」

 俺は籠からボールを二球掴んでデュースサイドに立ち、トスを上げ、ラケットを振り抜いた。

 ガシャ、と嫌な音と同時に手首から先に一瞬、痺れるような感覚が走る。ラケット振り抜くと俺はすぐに空を見つめた。ボールは?

 ガサッという音がして、高い防球ネットを挟んで隣接する大原小学校の茂みの中にそのボールが落ちたことが分かった。

 周りを見ると、全員唖然としている。

「すまん、すまん。二日もやってなくてタイミングを計り損ねたらしい。もう一発いくぞ」

 どうやらラケット先端部分のフレームで打ったようだ。

「いや、無理やと思うぞ、陣……」

「何でだよ?」

「いやだって、お前、何で足をベースラインに平行にして立ってるん?それに何やその握り方?さらに、素人の真似したみたいなけったいなフォームもわけ分からんし」

「えっ、ああ、そうだな……」慌てて足をベースラインに対して垂直にしたものの、この体勢から上手くトスを上げられる気がしない。「えっと、握りも変か?」

「変かって、そんな厚い握りでサーブ打つ奴おらんやろ。フラット以外打てんやんか」

「そうだった。薄い握りだな……」

 そう、薄い握り。包丁を握るように、フレームを掴んだ手をそのままグリップまで下ろしてくる。俺は理論で知っていたことを初めて実践するように、確認しながら握り直した。

 改めてトスを上げて打つ。大きくアウト。上げて打つ。自分のコートにバウンド。打つ。空振り。四回チャレンジしてようやく分かった。

「サーブの打ち方が分からん」

「マジか」

 我門が驚いて大声を出す。

「ほな、ストロークはどや?日野、ボール出してや」

 日野は近くに転がっていたボールで極めて丁寧な球を出した。これで俺が打てなくても日野に一切の責任はないことが誰の目にも明らかなくらい完璧な球出しである。

 ラケットを引く。しかしテイクバックしても、どのタイミングで打つのか、どういう角度でボールにラケットを当てていくのか皆目見当もつかない。これだけ幅のあるラケットだ。こんなに遅いボールを空振りすることは無いだろうが、打ったところで到底ちゃんとコートに入る気がしないが……いやいや、気のせい、気のせい。きっと打てばいつも通り入るんだろう。だって、ははは、俺ってばテニス相当に上手かったらしいし。

 躊躇いを捨て、思い切りラケットを振り抜いた。

 ボールは見事にスイートスポットに当たり、防球ネットの上を通過して、梅雨のよく晴れた青空に溶けて消えた。

「痛快なホームランやな」

 その後ボレーやスマッシュまで試みたが、とてもテニス歴五年と声高に言えるほどの腕前ではなかった。率直に言えば、そう、俺は初心者も同然になっていたのだった。


 〇


『体が覚えている』という表現がある。俺の場合は体が覚えていなかった。

「お前テニス久々らしいけど、できんの?」と言われて、「体が覚えてる」と答えるのは一度やってみたいようなやり取りだが、「お前テニス久々らしいけど、できんの?」と言われて、「理論は覚えている」と答えるとその頼りない響きに愕然とする。だが本当にテニスに関する知識は一切失われていなかったのだ。技術や経験が伴っていないのに、ここはこうするべきだというのが分かるので理想と現実の差は際限なく広がり、いきおい涙が出そうなくらい悲しくなる。

 しかし、よく考えてみれば周りから「お前はテニスができた」と言われるだけで、自分ではどの程度できたのかはさっぱり分からないのだから、へこむ理由は全くないのだ。姉さんを裏切らないためにもこの先三週間はへこめない。へこみそうになったら水玉柄でも想像すればいい。そう考えながら休憩をしていると顧問の上杉先生がやって来て、遠磯高校と練習試合を組んだと告げた。

「先生、初心者にもどってしまったんですけど、俺」

「ん、どういうことだ?」

 上杉先生は俺の人生初の救急車に同乗していて、目覚めた俺がテニスを忘れていることまで知っていたから説明は簡単だった。

「なるほど。それじゃあ仕方ないな。来週の日曜は日野がシングルス1だ」

 先生は極めて簡単に納得した。俺のことを些かも心配していないのは気のせいか。

「はい」

 返事をした日野はやけに気合が入っている。

「我門はシングルス2だ」

「マジですか」

 こんな会話を聞きくと、団体戦のオーダーを思い出す。確かいつもシングルス1が俺、ダブルス1が木戸・大場、シングルス2が日野、我門がリザーブだった。我門はテニスに特別な思い入れはなく好んでリザーブに甘んじているし、木戸と大場は根っからのダブルス好きで息も合う。それ故、ランキング戦などはやる必要がなく、ただ俺と日野が毎回試合をしてシングルスの1か2かを決めていた気がする。試合はまったく思い出せないが。

「やけに嬉しそうだな」

 日野は気味の悪いにやけた顔をしている。

「そりゃあ、俺だって一度くらいはシングル1をやってみたいから」

「日野はいつも陣に負けとったからな」

「しかし、何で俺まで試合をしなくちゃなんねぇんだ」我門は不服そうに言うと、

「どうせ、リザーブでも試合はするんだからいいじゃん」と大場が宥める。

「それにしても、坂上がその状況じゃあ、県の団体戦も考えなけりゃならんかもな」

 上杉先生は顔をしかめた。

「大丈夫ですよ。やってれば、そのうち思い出すでしょう」

「陣、お前どっからその自信湧いてくるん?」

「ピロティで素振りしてる女子の一年生に混じってきたらどうだ?」

 我門の言葉で俺はピロティの方を見た。同じ二年の女子テニス部員である橋本さんと鈴谷さんが懸命にストロークのフォームを一年生に教えている。あんなふうにそっと右手を握られて、肩に手を置かれ、体を密着させられながら教えてもらえるならば、もう二度と自分のプレーを思い出すまい。一生素振りの練習でもいい。

「それ、いいね」

 ピロティへ向けて足を踏み出した瞬間、服を掴まれ止められる。

「待てや。もう夏まで時間無いんやで。『習うより慣れろ』や。球出し練で鍛えたる」

 俺は観客席に飛び出したボールが戻されるように、オムニコートへと戻された。

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