Across the Universe

岩井喬

第1話

 ゴオッ、という突風に、思わず俺は腕で顔を覆った。

 その場でしゃがみ込み、吹き飛ばされないように足に力を込める。

 辛うじて前方を見遣るが、武器を取り出す時間はない。


「け、剣斗ぉ!!」


 真治の叫び声が聞こえる。真治の足元にだけ、逆風が吹いている。否、吸い込まれているのだ。前方にある物体――銀色の球体に。


「真治! 今助けるぞ!」


 俺は声を上げながら、近くの鉄骨を握り締めて身体を固定した。しかし、


「がっ!」


 強烈な打撃が俺の後頭部に落ちた。俺の腕は呆気なく引き剥がされ、俺は混濁した意識の中で、吸い込まれていく真治を見つめる。


「剣斗! 剣斗!!」

「しん……じ……」


 俺の視界に映っているのは、銀色の球体とそれに吸い込まれていく真治。それに、その球体のそばでひざまずき、祈りを捧げている小柄な人物。


 それ以上何を言わせる間もなく、球体は真治を完全に吸い込んだ。それでも俺は腕を伸ばしたが、とても届く距離ではない。


「諦めろ」


 俺の背後から響いた低い声。すると、地面にへばりついていた俺の背中に


「がはっ!!」


 再びの打撃。感覚からして、俺は踏みつけられたようだ。

 真治を吸収した球体は、役目を終えたように縮んでいく。すると、俺の視界に赤紫の背の高い西洋甲冑が入ってきた。

 甲冑は、ひざまずいていた小柄な人物を抱き上げるようにして、自らも球体に飛び込んだ。

 瞬く間に球体からの光は弱まり、空気の流れも滞っていく。


「待て、待てよ!!」


 俺は肺が悲鳴を上げるのを感じながらも、怒鳴りながら球体に駆け寄った。しかし、


「おい、真治! 真治!!」


 俺の指先で、球体は収縮しきり、消滅した。


 何だったんだ、今のは……? いや、それより真治は? 真治はどうなったんだ? どこかに拉致されたのか?


「真治……!」


 駄目だった。救ってやれなかった。同じチームメイトとして、いや、それより親友として、ずっと助け合ってきた。家族以上の情に結ばれていた。新山真治はかけがえのない相棒だった。

 それが俺――石崎剣斗の前で、消え去ってしまった。何事かも分からない現象と、何者かも分からない人物によって。


「真治―――!!」


 俺は膝をつき、思いっきり叫んだ。この廃墟、東京湾に面する廃棄区画に自分の絶叫が響き渡る。

 相棒の名前を連呼する俺に、上空からスポットライトが差した。同時に救援ヘリ独特の回転翼の響きが聞こえてくる。まるで夜間の静けさを切り裂くように。


《石崎剣斗隊員、新山真治隊員、こちら支援ヘリ・アルファ。二人を回収するため着陸する。三百メートル後退し、合流せよ。繰り返す――》


         ※


 翌日。警視庁特殊急襲部隊、通称SAT尋問室。


「だから、そこが分からんと言っとるんだ、石崎隊員!」

「……」

「本当に新山隊員はそんな目に遭ったのかね? 俄かに信じがたいが」

「……」

「何とか答えんか! 石崎隊員!!」


 全く、『何度も言っただろうが!!』と叫ぶことができたらどれほど楽だろう。俺は返答の代わりにため息をついた。

 不愛想な小部屋の椅子に座らされ、説明を求められること約五時間。いい加減、尻が痛くなってきた。デスクを挟んで反対側には、上官にあたるSATの隊員が三人、俺に睨みを効かせている。

 向かって左の人物は、今日何本目かも分からない煙草を新たに口に挟むところ。 右の人物は胸の前で腕を組み、時折禿げ上がった自らの頭部を撫でている。

 唯一まともだったのは、先ほど怒鳴らなかった中央の人物だった。眼鏡をかけ、神経質そうな顔つきで俺の履歴書を見ている。


「確認しよう」


 彼は俺と手元の履歴書を交互に見遣りながら、


「石崎剣斗くん、十七歳。十歳の時に政府系組織に保護され、SATへの入隊を希望。新山真治隊員は君の同期にあたる。間違いないね?」

「はッ」


 俺は短く答えた。


「そんな君が新山隊員とテロ対策の巡回作業を行っていたところ、突然謎の球体と複数名の人物に遭遇し、新山隊員が拉致された、と」

「はッ」


 通常SATは特殊急襲部隊であるのだから、実際に事件が発生してから出動するのが筋だ。しかし、数日前から国内に潜伏するテロ組織の活動が活発であることが確認された。

 一般の警官や捜査員には荷が重すぎる。そういうわけで、俺たちSAT、すなわち実戦慣れした連中に巡回任務が与えられた、というわけだ。


「石崎隊員の言うことは、全く無根拠というわけではない。現に高校生が一人、数日前にこの廃棄区画で行方不明になっている」

「三木若菜の件か?」


 飽き飽きしたという口調で、左の上官がふっ、と煙草の煙を吐いた。


「あんな場所に一人で向かうなんて、危険極まりない。きっと今頃、東京湾のどこかに死体になって浮かんでいるだろうよ」

「口を慎め」


 右の上官が口を尖らせる。そんなことを意に介さずに、正面の上官は


「今日はここまでだ、石崎隊員。ご苦労。後は我々がこの聴取内容を精査する」

「はッ」


 俺はほっとしたような、しかしどこか腑に落ちない気持ちで尋問室を出た。


 俺と真治がチームを組んだのは、三木若菜が共通の友人であるからだ。彼女もまた十七歳だったか。ある理由で俺たちと同じ政府系組織に保護され、しかし戦闘とは全く無縁の世界で生きてきた。

 失踪してから一週間。もしかしたら、まだ生きているかもしれない。それを確かめるべく、真治は俺とペアを組むことを要請し、今日の巡回任務にあたったのだ。

 

 友人を二人も失った俺は、意気消沈しつつ、自室――と言っても二人一室の狭苦しい部屋だが――に戻った。


 部屋に入ると、左側に二段ベッドがある。下には俺が、上には真治が眠ることになっていた。

 ふと見上げると、真治の枕脇には幾本ものトロフィーが並んでいた。主に剣道大会のものだ。続いて俺の枕元を見ると、負けず劣らずのトロフィーが並んでいる。しかし、それは主に銀色だった。決勝までは行くのだが、必ずと言っていいほど真治に負ける。

 俺たちが出会い、戦闘訓練を始めてからずっとそうだった。


「どこに行っちまったんだよ、畜生……」

 

 俺は呟きながら、ベッドに腰かけた。


         ※


 その三日後。


《総員起こし! 総員起こし!》


 そんなアナウンスと共に、俺は慌てて起き上がった。現在時刻は……二十二時三十九分。


《SAT外郭九課の隊員は、直ちに第一会議室へ集合せよ!》


『外郭九課』という言葉に、俺は一気に眠気が吹き飛んだ。

 外郭九課とは、俺が事情聴取を受けた翌日に組織された部署だ。SAT内の特別事案を扱う。隊員数は二十名。

 この場合の『特別事案』とは、それこそ若菜や真治が消えてしまった事件のことを指す。俺はその事案の唯一の体験者として、半ば意図して、しかし半ば強制的に、この部署に組み入れられた。


 会議室に入ると、既に外郭九課の隊長が壇上に立っていた。


「石崎剣斗、入ります」

「ああ、早いな」


 見れば、以前俺に事情聴取をした時の『冷静な』上官だった。

 席に着こうとデスクの間を歩いていると、


「おお、石崎くん」

「はッ」

「私は君の言葉を信用している。その『現象』とやらに遭遇した君が来てくれることは非常に心強い」

「ありがとうございます」


 どうせ強制してでも連れ出したくせに。だが、信用していると言われたのは悪い気はしない。

 隊長は眼鏡をキラリ、と光らせながら、次々に入ってくる隊員たちに敬礼と返礼を交わし合っていた。結局、俺が来てから二分としないうちに、外郭九課の隊員たちは全員が顔を揃えた。


「では、これより広域警戒部から入った情報の提供と、今回の我々の任務について説明する」


 隊長は空咳を一つした後、作戦について語り始めた。

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