にごたん用

にぽっくめいきんぐ

日本羊毛伝説

【アバンタイトル】 【迷える子羊】 【ライバルと手を結ぶ日】 【料理】


 緩やかな大斜面は、その一面が緑色。でも、少しだけ茶色の土も見える。夕陽が照らしている。


「うおおおおおお!」

 逃げ惑う客は、主に家族連れ。


 ドドドドドドド! 

 150頭を越える羊が、ねぐらへ向かって一斉に斜面を駆け下りる!


 「羊の大行進」イベント。その姿は圧巻。


 そんな空撮シーンが最初に入って、タイトルが出る。


「ファザー牧場」と。

 お土産屋のテレビに映る「PR動画」の冒頭は、そんな塩梅だった。


 ◆


 東京湾アクアラインで千葉方面へ。君津インターで降り、山道を20分くらい、車で登ると辿り着く。それが、「ファザー牧場」だった。つまり、アタシの庭。


 アタシたちには、敵が居る。


 飼育員だ。


 あいつらは、すぐに毛を刈りに来る。


 アタシが仲間と一緒に「草ランチ」を楽しんでいると、突然連れ立って現れては、アタシたちを柵へと追い込む。「麻酔」を打ち込む。


 そして、アタシの目の前で、ドリー君は意識を失い、四肢をだらんと、力なく広げる。


 アタシの大事な旦那様の、ドリー君。

 彼の毛が、飼育員が持つ大きな電動バリカンによって、あっという間に刈られていく。


 あの、フサフサの毛が。


 しかもその飼育員、鈍くさいらしく、ドリー君の体から、血が滲んでいた。


 許せない。


 あいつらは時々、アタシたちを「マトン」、子供たちを「ラム」と呼ぶ時がある。「リョーリ」とかいうものの、一種らしい。


 恐怖の瞬間だ。

 そう呼ばれた仲間のうち、アタシたちの前に、再び戻ってきた者はいない。


 ◆


 ある日、ふっくらしたお腹と、毛刈りされた頭をした男性客がやってきて、なんか、変な容器から、アタシにバシャッと水をかけた。アタシの自慢の毛はそれをはじくから、最初はそれほど冷たく無かった。でも、しばらくすると、水の冷たさがアタシの肌にあたって、気持ち悪かった。そして、なんだか、かゆくなった。


「毛生え薬だよ。強力な」

 頭だけを毛刈りされた、ふっくらとしたその客は、そう言っていた。


 それからというもの、アタシは時々、かゆさを覚えた。

 柵に体をこすりつけようとすると、あいつら。飼育員のやつらがとんでくる。


「だいじな商品なんだから!」

 あいつらは、そう言って苛ついていた。


 息子はアタシに冷たくなった。

 なかなかアタシに気付いてもらえない。


「なんで、母さんを無視するのさ!」

 耐えきれなくなって、アタシはつい、メェと泣いてしまった。


「母さんは、時々毛に埋まって、いなくなるから……」

 息子のヨウ君はそう言って、困惑したように、メェメェと泣き始めた。


 ……ごめんね。


 その日からアタシは、飼育員を心待ちにするようになった。


 麻酔なんていらない。


 もっと早く。


 もっと頻繁に。


 アタシの毛を刈って欲しい。


 血が出たってかまわない。


 ヨウ君が、アタシを見つけられるように。


 ◆


 そうして、一年が過ぎた。


 あいかわらず、アタシはかゆさを覚えている。


 旦那のドリー君も、息子のヨウ君も、元気。


 今日もアタシは毛を刈られる。ええ、喜んで。


 そして、飼育員が、うれしそうに、こんな事を言っていた。


「おいおい、羊毛の生産量で、日本がついに、オーストラリアを抜いたんだってよ!」


<了>

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