金の奴隷

米田淳一

第1話 金の奴隷

【アバンタイトル】【迷える子羊】【ライバルと手を結ぶ日】【料理】


 その2つの銀行は、対照的な存在だった。


(執筆・米田淳一)


 つつじ銀行。東京圏中心の支店網を持つ国内資金量第5位の銀行と第7位の銀行が合併して総資産では国内第一位。大蔵省(当時)もその経営基盤の強さを「金融効率化の趣旨に叶うもの」と高く評価している堂々たるメガバンクである。そして国が唯一宝くじの取り扱いを認める銀行だった。そして現在、つつじホールディングスとして絶大な力を持っている。


(制作協力・北急電鉄)


 そして、もう一つの銀行は北浜共同銀行KKB。顧客満足度では大手メガバンクを大きく超える。だが資産規模は国内銀行25位でしかない。しかし大阪圏に支店網を持ち、なおかつ手のひら認証を大手メガバンクどころか日本の全ての銀行に先んじて導入した。また銀行にもかかわらず顧客ポイント制を導入したりと、アイディアと工夫に富む銀行である。


(協賛・奇車会社尼崎)


 そして、この二つの銀行には不思議な縁があった。


(制作著作・「金の奴隷」制作委員会)


 なんと、両行とも、現在のトップは、大学同窓の関係だったのだ。





「金の奴隷」





 雨の東京大手町のオフィス街。

「またKKBが立ちはだかるのか」

 そのビルの上層階、フクロウの意匠が彫刻された時計が飾られた豪華な頭取室で、彼はいまいましそうに口にした。

「もうすこしで不祥事でがたがたの北急電鉄の経営権を奪い、その資産を我がグループのものと出来たのに」

「頭取、北浜共同銀行KKBの頭取は」

「ああ。奴は大学同窓だったし、高校の時からずっと一緒だった」

 彼は思い出したことを秘書室長には言わなかった。

 そう。そのKKBの頭取である「奴」は、彼より常に成績が上だったのだ。


 大学受験前の模試で彼が全国2位まで必死に勉強したのに、ランキングの1位に「奴」の名前を見た時の絶望。

 大学受験でも「奴」は上だった。

 大学経済学部の卒業席次も「奴」は首席で金時計の栄誉に輝いた。

 そして就職も、メガバンク最大手のこの「つつじHD」にトップで内定していた。

 また、あいつが上なのか。

 そうあきらめの気持ちで思ったとき、「奴」はその内定を蹴って、なんとずっと小さい、北浜共同銀行KKBを選んだのだ。

 その時の感情は今でも忘れられない。

 追いかけ、追いつこうと頑張ってきたのに、あざ笑うようにそれを蹴飛ばされたような気分。

 侮辱されたようにも思った。

 しかしそれより、そのあとの人生を呪われたような気分になった。


 彼は「つつじHD」の入社式で、新入社員トップとしてのスピーチを読みながら、それを感じていた。


 ここに本来いるべきなのは、「奴」だ。


 俺は、「奴」が蹴飛ばした席に、繰り上げで座っているだけの、二番手だ。


    *


 くそったれ。


 それを忘れたいと思いながら、必死に銀行員として勤めてきた日々だった。初めての「札勘」、お札の数え方の練習のときから、奴ならもっと上手くやる、と手が切れそうになるまで練習用の模造紙幣に触れた。

 支店業務でも必死だった。奴ならもっとやれる。俺は二番手だ。くそ。

 奴を超えてやる。その思いだった。

 そして融資担当の時、多くの金融畑の人間の体験するように「金の奴隷」と蔑まれた。

 わかっていても理不尽だった。

 融資できないような放漫経営しておいて、どの口でこっちを金の奴隷呼ばわりするんだ。

 忘れもしない。

 その融資引き上げを決定した印刷会社は、公共機関の事業の印刷仕事の入札の資格すら失っていた。現場の裁断工もオペレーターもそれぞれ印刷ミスを言っていたのに、その社長は「納期に間に合わないんだ」とそのままにして納品し、自分は「仕事を取ってくる」と言って賭け麻雀に明け暮れていた。

 そんな雑な会社で働く従業員のほうが可哀想だ。

 融資担当として『何やってるんですか!』と何度も言った。

 だが、その社長は言ったのだ。「金の奴隷に何が分かる」と。

 結局、分かる必要はなかった。融資引き上げを決めたその直後、同じくその会社に融資していた別の銀行がさらに先に融資を引き上げた。それで資金繰りが頓挫し、その印刷会社は清算されることになった。

 それだけなら良くある話だった。金融屋としてはあきらめもつく。他行に出し抜かれることはときどきある。悔しいが負けはなくならない。

 だが、その時は違った。

 さきにその印刷会社に見切りをつけたのは、そう、あの北浜共立銀行KKBの「奴」だった。

 そして、その印刷会社の社員を受け入れる新会社を建てたのも奴だった。不満を持っていた社員たちに手を回したのも奴だった。


 すべて、奴の計算どおり、奴の書いた絵の通りだった。


 また、やられた……。


「金の奴隷、銀の奴隷、普通の奴隷。あなたはどの奴隷ですか?」

 うなだれている彼に、先輩が笑って言った。

「それ、かねの奴隷じゃなくて、きんの奴隷じゃないですか」

「まあな」

「こんなときに」

「こんなときだからさ」

 先輩は軽い口調で言う。

「俺たちが奴隷であることは、どうやっても変わんないよ。顧客見れば分かるじゃん。持てる者は持ち続け、持たざる者は搾取され続ける。永遠に。そして金だけじゃなくて、精神的にも」

「資本論ですか」

「ああ。この日本でも資本論は有効さ。全くくそったれだが、格差なんてものは解消できるわけがない。格差は有史以来ずっとあったんだ。そして持つ階級が持たざる奴隷を奴隷でなくした例なんて一切ない。奴隷解放? うそつけ。奴隷とよばないだけで、労働階級はいつの世もずっと奴隷のままだ」

「……そうですよね」

「だから、俺たちは、結局はただ普通の奴隷でいるか、銀か金の奴隷になるかしか選べないのさ。所詮はそういうこと。社畜なんて言われるしな。でも、だったら金の奴隷になろうぜ。奴隷にも幸せってモンはある。持つ者には味わえない幸せが」

「そうでしょうか」

「おまえさんもそのうち分かるさ」

 先輩は軽くそう言うと、肩をぽんぽんと叩き、「さあ、次の案件いくぞ」と言ったのだった。


 その意味は未だに分からない。ただ、「奴」がまたしても、彼の前で鮮やかに上回って見せたのだった。悔しいを通り越して、憎く思えそうだった。本当に鮮やかで正しい。だから憎いのだった。憎むしか、もう方法が残されていなかった。


 それからあと、彼は必死に出世していった。銀行合併、統廃合も続いたし、いくつもの金融危機もあった。例の「モノ言う株主」とも対決した。そして現代の不安定な金融市場情勢に巻き込まれもした。情勢の不安につけ込んでくる総会屋とも戦った。

 彼らは要するにヤクザである。

 その対決で追い詰められた彼は、ストレスで血尿まで出た。でも、幸いその解決を図ることが出来た。警察と協力して民事介入暴力との戦い方を学んだ。警察も後ろ暗さはなくはないが、とはいえ彼らも人間であり、初めは皆、志に燃えていたのだ。それが組織の中で丸くなりながら、見て見ぬ振りと怠惰に流されていくのだ。それを奮い立たせようと、頑張った。そして、暴力団対策課をうまく動かせた。

「いや、あなたのような勇気のある方は珍しいですよ。大阪のほうで初めての事例が最近あったばっかりですが、東京ではあなたがはじめてです」

 解決の安堵の中、それを暴対、暴力団対策課の刑事に聞いて、「あっ」と思った。

 その大阪の初めての事例は、やはり「奴」だったのだ。


 あがいてもあがいても超えられない。

 迷える羊のように、退社時には決まってヒドいウツがやってきた。

 くそ、俺の人生はなんなんだ。


 それでも、頭取になった。

 そのとき、部下に、ハゲタカのようなリストラ屋がついた。

 失敗した地方リゾート開発をすっかりばらばらに解体清算したりとその豪腕ぶりで、話題になりながら、大きく恨まれもしていた。

 その恐ろしいほどの冷血ぶりに、彼もゾッとするものがあった。

 俺が「金の奴隷」なら、こいつはまさに「金の亡者」だな。

 そう思いながらも、そのハゲタカの有能ぶりには感嘆するしかなかった。


 その矢先、東京から神奈川県を横断して宮ヶ瀬までを結ぶ通勤と観光の足・北急電鉄を経営していた一族が、ひどい大不祥事を起こした。

 そこに多く出資していたつつじHDとしては、新経営者を送り込まねばならなくなった。


 その前に彼は、その北急電鉄の駅に行って、確かめた。

 そこでは融資係の頃にかいだのと同じ、「死んだ会社の臭い」がした。

 その会社では不平を言うけどだれもそれを改善しようとしていない。

 いかにも雑なダイヤ。

 列車の接続にも乗客の流れに合わせた改善や工夫が見られない。

 雑な企画で運転されるボロのままの特急電車。トイレから悪臭まで漂っている。

 こんな特急に誰が特急料金を払うものか。ありえない。

 特急の料金体系も特急券の販売システムもおざなり。

 通勤電車はさらに老朽化し、性能が悪く優等列車の足を引っ張りまくっている。

 駅も小汚いままか、中途半端なリニューアルで安っぽくなったのに不便は改善されていなかった。

 そして改善される兆しもない混雑と、支線の改善されない空気輸送。

 なんだこの雑な経営。

 くそったれ。


 そこで、その冷血な部下のハゲタカを送り込みことにした。

 予想通り、ハゲタカは、最悪、北急電鉄は解体、首都圏の大手私鉄なのに廃止されるかも知れない、というほどまでに北急電鉄を経営者として締め上げた。

 恐ろしい手腕で、他の重役を一掃したのを手始めに、徹底的に資産状況を明確化したのだった。


 だが、おかしな事が起きた。


 そのハゲタカは、パパであった。ハゲタカには可愛い盛りの息子がいた。

 その息子が電車に興味を持ちだした。「ぱぱのでんしゃ」と口にして。

 ハゲタカの唯一の弱点は、そこだった。

 それをきっかけに、ハゲタカは鉄道を愛する人々を見始め、鉄道の秘められた魅力に動かされるようになった。

 そして、ついに彼に申し出たのだった。

『北急電鉄を、解体ではなく、自分の手で再生させてくれ』と。


 まさか、またでは、と思った。

 でも、その通りだった。

 案の定、背後に北浜共同銀行KKBの「奴」がいたのが判明した。

「奴」は、ハゲタカの指揮下の鉄道員たちに、鉄道員の誇り、魂をよみがえらせよう! と働きかけていた。

 なんてことだ。あの冷血ハゲタカでさえも「奴」は熱い魂に変えてしまうのか!!


 くそったれ!

 このままでは北浜共同銀行KKB主導で北急電鉄の再生が進んでしまう。

 つつじHDとしてはボロボロとは言え、大手私鉄を影響下から失うという、手痛いことになる!


 そこで、北急電鉄の再生に高い数値目標を課した。それを達成できなければ、そのハゲタカも追い出すことにした。

 そうしながら、北急電鉄をなんとかつつじHDの影響下に残したままの再生になるよう、人選を急いだ。

 追い出された重役や、ほかの経営者にあたり、頭取の彼もまた、奔走したのだった。


 また北浜共同銀行KKBが、「奴」が、立ちはだかる。

 負けるモノか。

 必死だった。


    *


 そして、運命の日がやってきた。経営目標の結果発表日だ。

 北急電鉄は、あともう少しのところで、目標未達となった。

 ハゲタカを追い出すことになって、彼は少し安堵しながら、代わりの経営陣を送り込む準備をしていた。


 その日は冬の雨の酷く寒い日だった。そしてそのハゲタカが北急電鉄の社長としていられる、最後の日にちかかった。

 その北急電鉄で、とうとうひどい車両故障がおき、全線不通となり、交通が大混乱、その結果、乗客の暴動が起きかけた。

 北急電鉄最悪の日が始まったのだった。

 その大混乱をテレビで見ながら、彼は、やっぱりと思いながらも、それでも縁のある会社が危機に陥っているのを見て、情が動いた。

 乗客も、乗務員も鉄道員も、みな無事でこの窮地を脱して欲しい。

 でなければ、寝覚めが悪すぎる。

 その力を取り戻すショック療法として、ハゲタカを送り込んだのだから。


 だが、混乱は拡大していく。

 国土交通省も事態を重く見て、緊急会見を開くと知らされた。

 そのときだった。

 雑踏を中継しているテレビに、あの顔がいた。

「ええっ!!」

 大阪にいるはずの、北浜共同銀行KKBの、「奴」だった。

「ありえない!」

 奴は、混乱する雑踏の中を必死に泳ぐようにどこかへ向かっていた。

「バカ! なんでそんなところに!」

 雑踏で将棋倒し事故が起きるのが目に見えていた。

 ああ、もうダメだ!


 そのとき。

 北急電鉄系列の警備会社の警備員が突然、大挙して現れた。

 そして一斉に散り、雑踏整理を手際鮮やかに始めた。

「助かった、のか」


 助かったのだった。


 ハゲタカが退任する寸前、北急電鉄の全てのリソースで事態打開の指揮を執ったのだった。

 鮮やかな手腕だった。


 不思議な安堵だった。そして、案の定、奴はあの雑踏の中、そのハゲタカを叱咤する電話をしながら、北急電鉄本社へ向かっていたのだった。そしてその雑踏の中に偶然世界的な大ファンドの盟主も巻き込まれていた。奴はその大ファンドの資金力をてこにして北浜共同銀行KKBとして、北急電鉄を再生させることにした。つつじHDの影響力はすっかり落ちてしまった。


 それでも、よかったと思った彼だった。

 俺は金の奴隷かも知れない。

 でも、奴隷にも、奴隷として守るべきものがある。

 それを守ることが出来たから、それでいい。

 奴も、同じ奴隷として、頑張っているのだから。


    *


 そして、今、北急電鉄の運行する豪華寝台周遊列車「あまつかぜ」のダイニングカー、食堂車の席に彼は座っていた。

「金の奴隷ね」

 向いの席に「奴」は座り、食前酒のグラスを持っていた。

「ああ。金の奴隷だってさ。俺たちは結局そうだ」

 彼はそう言いながら、食前酒をなめる。

「ありがとう。そうね。せっかくだから、同じ奴隷なら誇りを持って『きんの奴隷』でいたいわね。で、うち、北浜共同銀行とつつじHDでこの豪華列車の運転事業をさらに拡大する提案、飲んでくれてありがたいわ。絶対無理だと思ってた」

「おっと、握手は勘弁してくれ。君とはそういう気分になれない」

「あら、そう?」

 奴、彼女はそう軽く笑った。

「ねえ、知ってる? 『レースでは追う側のほうが、追われる側より有利』だって」

「今更そんな泣き言打ち明けられても困る」

「そう。あなたっていつもそうなのよね」

「お互い様だ。でも、協定は調印したんだ。いいだろ、もう」

「法律上は握手しても、実際の握手は断るのね」

「ああ、ごめんこうむる」

 彼は憮然としている。

「まあ、いいでしょう。ライバルとしてこれからも、よろしく」

「それもごめんこうむる」

「ほんと、まったく。それより、料理来たわよ。美味しそう。いただきましょうよ」


 彼は、言った。

「そうだな。料理に罪はないからな」


〈了〉

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金の奴隷 米田淳一 @yoneden

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