北嶋勇の心霊事件簿8~神の呪い~
しをおう
訃報
元旦、北嶋さんがいきなり妙な事を言い出した。
「神崎、今日から暫くは依頼を請けるな」
てっきりお正月に仕事をやらされると思い、牽制しているんだな、と思った。
「いくらなんでも、お正月はお仕事はしないよ」
そう、苦笑しながら返した。いや、警戒する気持ちは解るけどね。
「いや、暫くだ。いつになるか解らないが、仕事は請けるな。いいな」
珍しく真剣な表情で私を見つめながら言う北嶋さん。
少し不安を感じる。
「一体何が起きるの?」
心配になり、問い返す。
北嶋さんは椅子にどっかと座り、コーヒーを啜りながらポーカーフェイスを気取って言う。
「今に解る。それとだ、直ぐに出掛けられる用意はしておけ。着替えと金をトランクに詰めておいた方がいい」
そういえば、北嶋さんは大晦日にトランクに着替えを詰め込んでいた。
旅行になんか行かないのにと、その時は思ったが、どうやら違うようだ。
「解ったけど、本当に一体何があるの?」
私の問い掛けを無視し、新聞を広げながらコーヒーを啜る。新聞が逆なのが、無理やり無視をしているのを物語っている。
かなり不安になりながらも、北嶋さんの言う通りに着替えをトランクに詰め込んだ。
荷物を詰め込んで一息つこうか、と思った矢先、私の携帯が鳴った。
「梓からか」
新年の挨拶なら年賀状で貰ったのに。まあ、言葉での挨拶も必要だしね。
「梓?明けまして」
おめでとうを言う前に、梓が電話の向こうで泣いているのを理解した。
「ど、どうしたの梓?」
『~~~~~!!~~~~!!わああああ!!』
一生懸命に何かを伝えようとしているようだが、泣き声に消されてよく聞き取れない。
じっと耳を澄ますと、梓の向こうでも泣き声が聞こえてくる。
「梓?梓!!落ち着いて話して…あっ!?」
何時の間にか現れた北嶋さんが、私の携帯をひょいと取り上げた。
「ちょっと北嶋さん!!」
怒ったように声を出したが、北嶋さんは無視して梓に独り言のように話した。
「思ったより早いな。何も言うな。今から行く」
一方的に話して電話を切り、私に携帯を返しながら言った。
「神崎、出掛けるぞ。婆さんの家だ」
「何なのよ一体!?ご挨拶なら門下生全員集まる時に…」
少し苛つきながら北嶋さんに問い掛ける。
因みに水谷では、1月3日に独立した門下生が、師匠にご挨拶に伺うのが通例だった。
私達もそれに倣って3日に行こうとはしていたのだが。
北嶋さんは低い声ではっきりと言った。
「婆さんが死んだ」
「え?」
一瞬北嶋さんが何を言っているか理解ができなかった。
新年早々面白くない冗談を…
「仕度しろ。タマ、お前もだ」
タマをひょいと抱き上げて自室に向かう。
私はその後ろ姿を茫然と見送る事しか出来なかった…
何とか準備をしてBMWにトランクとタマを乗せ、シートベルトをしっかりと締めた北嶋さんは、酔い止めの薬を一瓶飲み干す。
「神崎、急いで行ってもいいぞ」
上の空で頷く。
「神崎!!」
大きな声で私を叱咤するように呼ぶ。
ビクッとし、BMWのアクセルを踏む。
「急げと言ったが事故るなよ」
何時もは助手席に乗るなり、寝てしまう北嶋さんが、今日は奥歯を噛み締めて車酔いに耐えようとしていた。
「……なんで解ったの?」
前を真っ直ぐ見ながら北嶋さんに問い掛ける。
「聞いていたからだ」
やはり奥歯を噛み締めて答える。
「……誰から?」
「婆さん本人からだ」
動揺してハンドル捌きを間違えてスピンした。
雪が降っていて、路面が凍結している道路は、簡単にBMWの操作性を奪う。
慌てたが、どうにか立ち直した。
「ごめんなさい」
「気にするな。急いで慌てずに走れ」
真っ青になりながら、北嶋さんが文句の一つも言わずに私を許した。
こんな北嶋さんは初めてだ。
やはり師匠が亡くなったのは、本当の事だったんだ、と、私は改めて実感した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ふん、水谷がくたばったか。
復活しかけた妾を封じる寸前まで追い込んだ化け物が如く人間も、やはり寿命には勝てぬようだな。
尚美が動揺しておるが、妾の心には一つも響かぬ。
基本、妖の敵である人間がくたばったのだからな。尚美には申し訳ないが、寧ろ喜ばしい事だ。
それにしても、勇だ。
口振りから推測するに、以前水谷本人から聞いたようだが。
やはり化け物よ水谷。己の死期すら解るとはな。
妾は欠伸を噛み締め、座席に丸く蹲った 。
長い道中、眠るしか暇を潰す手段を知らぬからだ。
万が一、尚美が事故を起こしたならば、その時は妾はこやつ等の前から消えよう。
一人の人間の死で己も危機に晒すような輩など、共に生きる価値がない。
そう思いながら、妾は眠りにつく。
妾が共に居るべき者かどうかは、直に解る事だろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
冬の運転は危険だ。北嶋さんの言う通り、慌てず急いで走らせる。
途中、何度かスリップして、その度にヒヤリとしたが、無事に師匠のお宅に到着した。
「ご苦労だったな神崎」
北嶋さんは寝ていたタマを抱き上げ、トランクを下ろした。
私は居ても立ってもいられず、荷物を下ろす手伝いもせずに師匠のお宅に掛け上がった。
「尚美!!」
「尚美さん!!」
「神崎さん!!」
姉弟子や後輩達が悲しみに暮れた表情をしながら私に目を向けるも、私は挨拶もせずに師匠の寝室へ急いだ。
師匠の寝室の前の襖に着いた。
お線香の匂いに鼻孔を擽られる。
躊躇せずに襖を開けた。
梓が、生乃が、姉弟子や後輩達の視線が、一斉に私に降り注いだ。
師匠は金の刺繍が入ったお布団に寝ていた。いや、寝かされていた。
その周りを梓達が真っ赤に泣きはらした目をしながら囲んで座っていた。
「……師匠……」
ただ立ちながらそれを見ていた。
やがて梓がゆっくり立ち上がり、私に近付いた。
「尚美……!!」
梓は私に抱き付いた。それと同時に梓から嗚咽が漏れて来た。
少しの間、梓の嗚咽は続いた。
やがて私から離れる。鼻をグスグスと啜りながら。
「尚美…」
生乃に呼ばれ、私は漸く師匠のお顔を見る事ができた。
「師匠…」
師匠は、本当にただ寝ているような表情をしていた。
「朝起きて…ご挨拶に行ったら…既に……」
「…そう…」
何だか感情が無くなっているような感覚に陥り、梓に生返事を返した。
「お師匠はご高齢だから…」
「…そうね」
生乃にも生返事で返してしまった。
何故かは解らないが、私は完全に他人事のように話を聞いていたのだ。
梓や生乃、姉弟子や後輩達と同じように涙が出て来なかった。
私は…本当は冷たい人間だったのか…
それとも、師匠を慕って、尊敬している振りをしていただけなのか…
悲しいと言う感情も、残念と思う感情も浮かんで来なかった。
亡くなったのが信じられない訳じゃない。
何故が…私がやらなきゃならないと言う感情が湧き上がり、それが泣く事を、悲しむ事を拒否しているような気がしていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
思ったより冷静だった神崎に多少ホッとするも、トランク二つと生き物を俺に押し付けて先に行くとは…
まぁ、今日は仕方ないか。恐らく婆さんは今日の事は誰にも教えてなかった筈だ。俺にだけコソッと教えてくれたんだからな。
俺はタマにリードを付けて地面に置いた。
「タマ、ここはぶっちゃけお前の敵ばかりの場所だ。だから暴れちゃダメだぞ」
タマは理解しているのかいないのか、欠伸をして後ろ脚で頭を掻いている。
「ってもお前が本気になりゃ、一溜まりもねーか。お前、絶対暴れんなよ!俺の立場っての解っているだろ?」
じっとタマを見る俺。
タマは掻くのを止めて頭を一つコクンと頷く。
「よし。解ればいい。お前一つ荷物持て」
俺は神崎のトランクをタマの目の前にドスンと置いた。タマは口を開け、目を剥いて俺を見た。
「タイヤが付いているから押せば動く。行くぞ」
リードをグイグイ引っ張る俺に対して、前脚で地面に踏ん張り付くタマ。
どうやら荷物の事で抗議しているようだ。
「神崎の荷物そんなに持ちたくないのか?俺の荷物にするか?こっちのトランクはタイヤ壊れていて回らないから、重たいぞ」
試しに俺の荷物をタマの前に置いてみる。しかしタマは前脚を踏ん張りながら微動だにしない。
「おいタマ、お前飼い主に重たい荷物二つも預けて、少しも心苦しくはないのか?」
タマは何かウーッとか唸って俺を睨んでいる。
「なんてペットだ!!飼い主に全てを押し付けるなんて!!」
俺は仕方なく二つの荷物を運ぶ。
タマもそれを確認した後、踏ん張っていた前脚を緩めて、俺の横に並び、テッテッと歩いてついて来た。
「解りやすい奴だな!!今日の油揚げは甘くない、生の奴そのままだ!!」
タマが『ガーン!』とか言う表情をして口を開け、俺を見た。
タマは甘く醤油で煮た油揚げが大好物なのだ。
あのいなり寿司の皮のヤツだ。
「っても飯は婆さんの弟子達が支度するんだが」
タマはホッとしたように、口を閉じた。
「さて、着いた。扉を開けるぞ」
タマが横にチョコンと座る。
俺は婆さんの家の玄関の扉を静かに開けた。
「来たぞ」
一斉に俺の方を見る婆さんの弟子達。
泣いていたのか、目が真っ赤で鼻を啜っているのか、鼻も真っ赤だ。
しかし、途端に怯えた表情をする弟子達。
「こらタマ、お前何かしただろ」
タマを叱る俺。タマがしおらしくする。
弟子達の表情は強張ったままだが、少し安心した様子だ。
「取り敢えず部屋に案内してくれ。荷物置きたいんだよ」
「あ、ああ…そうね…じゃ、付いて来て…」
木村ってオバサンが俺達を案内するように前を歩いた。
時折タマをチラチラと怯えたように見ている。
「大丈夫だよ。危害は加えないよう、躾てあるから」
「そ、そう…それにしても初めて見るわ。九尾狐なんて…ひっ!!」
木村ってオバサンがいきなりビビったように声を出す。
「どうした?」
オバサンはガクガク震え、青い顔をしながら言う。
「い、今九尾狐が『妾程の大妖がそうそうおるまいが馬鹿者が!!』って…」
俺はタマをジロッと睨む。
「脅かすんじゃねーよお前!!油揚げを作るのはこのオバサンなんだぞ!!」
更に飼い主顔でビシッと言ってやる。
「甘い油揚げをちゃんとお願いしとけよタマ。飢えたくないならな」
「い、いえ…わ、解ったわ。うん、うん、大丈夫だから」
そうタマを見ようとしないで会話していた。
「何だって言っている?」
「何か『甘辛く煮付けなくば貴様を喰うぞ』とか…」
俺はギロリとタマを睨み付ける。
「おいお前!!俺の立場ってのがだな!!」
タマは俺を一瞬チラッと見て再び前を向き直す。
「洒落の通じん男が。って言っているわ」
タマの首根っこをグイッと掴み、俺の顔に近付ける。バタバタと暴れるタマ。
「やいタマ!!飼い主に上等な事を言うとどうなるか知っているだろが!!」
クワーとか威嚇しながら暴れるタマ。木村のオバサンが慌てて間に入る。
「飼い主らしい事をしてから言えって怒っているわ」
「…確かにたまに散歩はサボるし、飯の段取りは神崎がやっているけども、それにしてもだ!!」
再び木村のオバサンが口を挟んだ。
「飼い主と言うならば尚美の方だな。と言っているわ」
言葉を詰まらせる俺。タマはしたり顔をしながら俺の前を機嫌良く歩いた。
ムカつくペットだ。
そうこうしている間に部屋に着いた。
「ちょっと婆さんのツラ見てくる。お前どうする?」
タマに聞くと、欠伸をして後ろ脚で耳の裏をカリカリと掻いている。
「興味無さそうだな。まぁいいや。寝とけ」
タマは敷かれていた座布団にテッテッと歩き、それに丸まった。
「狐っていうより猫みたいだな…」
俺は取り敢えず婆さんの所へ顔を出す為部屋を出た。
婆さんの部屋はよく入ったもんだ。説教を喰らう為に。
線香の匂いが一番強い所が婆さんの部屋だ。
襖を開ける。
一斉に俺を見る弟子達。
「北嶋さん…」
あんなに綺麗な顔立ちをしていた有馬が涙と鼻水でグシャグシャになっている。
仕方ない事だが、少し引く俺。
「北嶋さぁん!!」
桐生が胸に飛び込んで来て大泣きした。
トレーナーの替えがあって良かったと安堵する。
神崎は婆さんの顔をじーっと見ながら微動だにしていない。
何か様子がおかしいな?
てっきり泣いたり鼻水垂れたりしているかと思ったが、何やら決意しているような…そんな表情をしていた。
俺は桐生の肩を抱きながら、有馬に訊ねた。
「有馬、婆さんから何か言付けは無かったか?」
「言付けも何も…今日の朝、ご挨拶に行ったら…」
グスグス鼻を啜りながら話す有馬だが、困った。
「何も聞いていないのか?参ったな」
俺は桐生をそっと離し、婆さんの傍に行く。
そして婆さんのツラを見ながら話し掛けた。
「おい婆さん、肝心な事忘れて逝きやがって!せめてヒントになるもんどっかに隠してんだろ?教えろ」
しかし婆さんは動かない。
当たり前か。死んでいるんだし。
俺は婆さんに掛かっている布団をひっぺ返した。
「北嶋さん!?」
「何をするの北嶋さん!!」
流石に慌てて止めに入る桐生と有馬。だが、知ったこっちゃない。
「隠している筈だ!!布団の下かどこかに!!」
「何を隠してるって言うのよ!!」
「やめて北嶋さん!!」
桐生と有馬が泣き喚いて俺を止めようとする。しかし、俺はやめる訳にはいかない。婆さんの遺志でもあるからだ。
「まず離せ。婆さんは必ずどこかにヒントを隠しているんだ」
弟子達が俺を羽交い締めして必死に止めているその時。
「離してあげて」
神崎の一言で、弟子達は固まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「尚美!!正気なの!?」
「な、何を言っているか解っているの!?」
梓や生乃が、他の弟子達が私に一斉に抗議する。
私は師匠から目を外し、北嶋さんをじっと見据える。
「流石は神崎!!理解力がある!!」
喜び勇んで布団の下を探ろうとする北嶋さんの腕を掴み、一旦制する。
「え?な、何?」
北嶋さんがビクビクしている。鼻に意識を集中しているようだ。殴られると思ったんだろう。普段が普段だし、警戒するのはおかしくない。
私は黙って北嶋さんの目を見つめながら問うた。
「北嶋さん、北嶋さんだけよね?師匠が亡くなるのを知っていたのは」
周りが一気にざわめく。
「ほ、本当なのそれ?」
梓の問いに平然と答える北嶋さん。
「ああ、去年婆さん本人から聞いた。恐らく年が明けてから死ぬ、とな」
「な、なんで北嶋さんにだけ?」
生乃の疑問の通り、悲しみの空気が北嶋さんにより、不穏な空気と化している。
それを無視して私は続けた。
「北嶋さんに何か頼んだ…のね?」
再び周りがざわめくが、北嶋さんは全く動じずに頷いた。
「な、何を頼まれたの!?」
喰って掛かるように詰め寄る梓。生乃は北嶋さんと梓を交互に見ながらオロオロしていた。
「頼まれたのは神の呪いをぶっ倒す事だ」
「か、神の呪い!?」
場が一斉に凍りついたように震え上がった。
「それだけじゃないよね?」
黙って見据える私。
「まぁな」
「話して?」
固唾を飲み、北嶋さんの続く言葉を待つ。北嶋さんは頭を掻きながら苛立ちながらも答えた。
「最後の三種の神器、万界の鏡。これを探せってさ」
みんなから驚きの声が上がった。
「万界の鏡!?あるのそんな物!?伝説中の伝説じゃない!!」
梓がみんなの代弁をするように声を張る。
「んな事言っても、探せって言われたんだから探すしかねーだろ」
不貞腐れながら返す北嶋さん。苛立っている様なのは、邪魔をされたからか?
「そう…大変な仕事になりそうね…」
私はやっぱり動ずる事なく返す事ができた。
「なぜ神崎は驚かない?」
梓達が、そう言われてみれば、と言う感じで私に関心を寄せるが、北嶋さんの問いに上手く答える事が出来なかったので、ただ黙って頷いているしかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勇が水谷の亡骸を拝みに行っている間、妾は暇で暇で仕方なかった。
多少寝たが、寝る程度では暇を持て余す。
妾は一人、散歩に出る事にした。水谷の屋敷を見て回るのも悪くはないと思い。
廊下で妾を見て驚き、恐れる水谷の弟子は、勝手に妾の前から退き、妾の道を開ける。
怯える者共など興味が向かない。
尤も、勇に面倒を起こすなと釘を刺されている身、妾に構わなければ、牙も尾も向けぬ。
それより、屋敷中に張り巡らせた神気に興味を引く。
屋敷中に鎮座しておる仏像や神像から発せられる神気だ。
妾が屋敷に到着してから小一時間余り、その時より、確実に神気が減ってきておるのが解る。
護るべき者の死により、その役目を果たした、と言う所か。
妾に対しても敵対する雰囲気も見せぬ故、恐らくは間違い無いであろう。
妾は、普通に散歩を楽しむ事にした。ここには、妾の不利益になる物など何も無い事を確信したからだ。
屋敷中、隈なく歩いた。
その間にも神気は徐々に減少していっておる。
しかし、その中にも別格はいる。
客間らしき一室のこの壁向こう…他の神像、仏像が神気を減少させているのに対して、神気を抑えておる感じがする。
果たして、壁の向こうには何があるのやら。
興味を覚えた妾は、その壁の向こうを探るべく、やはり隈なく散策する。
──おかしい…壁の向こうに通ずる通路も扉も存在せぬ
確かに壁の向こうには、もう一室、部屋がある筈なのだが、そこに通ずる道がないのだ。
妾はハタと気が付く。
水谷の屋敷は広い。以前、妾が玉諏佐 美優として潜伏していた旅館より広いのだ。
その水谷の屋敷の部屋は、どこもかしこも使われている跡がある。使われていない部屋は無い。
人間があまり入らぬ部屋ならば、神像、仏像が鎮座しておる部屋になるが、この客間は確かに掃除は行き届いておるが、人間が使用した形跡が無いのだ。
──もしかしたら…今まで結界が張られておったのか?
客間と言うか、客間の壁向こうの部屋の存在を隠す為、水谷が結界を張って知られぬようにした?水谷がくたばった今、その結界が解けたのか?
この仮説は、妾に壁向こうの部屋の存在に更なる興味を覚えさせた。
どうしても、壁向こうの部屋を見たい妾は、壁を引っ掻いた。否、掘る、と言った方が正しいか。
この作業は依代の仔狐の力では骨が折れる。
しかし、妾の真の姿を晒すとなると、水谷の弟子達が一斉に騒ぎ立てる事だろう。
仕方が無いので、妾は一心不乱に壁を掘った。
漆喰を破ると、板が見える。
その板の先の漆喰を破れば、そこはもう、あの部屋になる筈。
妾は掘った。板を咬み千切り、漆喰を掘った。
ボゴッ
あの部屋に通ずる穴が開いた。
──やれやれ、漸くか
妾は身をくねらせて、あの部屋に入った。
──むう…これは……
神像も仏像もない部屋…
だが、部屋に八方に水晶の柱が置かれ、埃が被っているものの、輝きが薄らいでおらぬ。
その八方の水晶の柱を注連縄で繋いで1つの魔法陣にしておるような…
──何かの儀式か?
妾はその部屋を隈無く散策した。途中途中で線香の匂いが妾の鼻を擽る。
──異な事だ。使われておらぬ、隠してあった部屋から線香の匂いを感じるとは
妾は何の気も無しに、天井を仰いだ。
──む!?
何気無しに仰いだ天井から線香の匂いを感じる。
この上は水谷の寝室か!!
妾は再び水晶に目を向ける。
──水谷の霊力を吸い取っておるのか!!
ならば何故輝きを失わぬ?
隈無く水晶を観察する妾は一つの結論を導いた。
──水谷も遠出もする事もあろう。力を溜める事もできるのか
それは、不慮の事態にも、簡単に解かれぬように配慮したのだろう。
そう、例えば、寿命で死んだ場合、少しでも長く封印する為に。
つまりは……
──この水晶の柱の中心の下に、何かとてつもない物がある……!!
妾の好戦的な獣の血がざわめく。
あの水谷がそれ程までに世に出したくなかった物、それがこの下に隠されているのだ。
かと言って、妖の妾には、この中心に入る事は叶わぬ。
妾はこの部屋を出て、客間も出て、外からこの部屋の中心を探る事にした。
しかしその道中、勇とばったり出くわす。
「一人で散歩かタマ。もう直ぐで飯だぞ」
そう言ってヒョイと妾を抱き上げる勇。
あの部屋の中心は凄く気になったが、今は取り敢えず食事をしようと思い、素直に従った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
晩飯は食える時間がある奴が食うという、実にバタバタとした有り様だった。
まぁ、婆さんが死んで弔問客が沢山来たから、忙しいってのもある。
弔問客の中には、石橋のオッサンと宝条の姿もあった。
オッサンも宝条も婆さんの死体に深々と頭を下げて泣いていた。
通夜までここに泊まるらしい。
俺の姿を発見した宝条は、俺に近付いて辞儀をする。
「北嶋さんお久しぶりです…再び会える時を待ち侘びていましたが、まさかこんな形で…」
「まぁ、婆さんは高齢だからな」
俺は宝条の肩をポンと叩いた。
石橋のオッサンも俺に近付いてくる。
「北嶋君、水谷さんは、ご病気でもされていたのかい?」
「老衰だ。大往生だよ」
「確かにお歳だからね…それにしても残念だよ…」
「オッサン、人間はいつか死ぬ。オッサンも俺もだ。婆さんも例外じゃない。残念とか言うな」
少し驚いた顔の石橋のオッサンと宝条。
残念だと言うのは、婆さんに対する侮辱だと言う事を、オッサンも宝条も、弔問客も弟子達ですらも解らないのだろう
婆さんは生前に言っていた。
人が寿命によって死ぬ事は少しも残念な事ではないと。
残念なのは、生きている間、悔いばかり残して死ぬ事だと。
そりゃ人間だ。多少の心残りはあるだろう。だが、心残りを凌駕し、素晴らしい人生だったと胸を張って死んだ婆さんに、残念と言う言葉は無礼千万だ。
残念と言うならば、生前、婆さんの言葉を良く聞いていなかった自分を残念と思わなければならない。
「まぁ、オッサン達も、遠路遙々ここに来たんだ。少しゆっくりした方がいい」
俺は婆さんの弟子に促し、石橋のオッサン達を客間に案内するよう指示を出した。
「北嶋さん…」
宝条が何か言いたそうにしていたが、俺は背中を向けながら右手を上げたまま去った。
俺にはやらなければならない事がある。
神の呪いってヤツがどんなもんか、万界の鏡の在処はどこか、それを調べなければならない。
葬式やら何やらは、他の連中にお願いする事にしよう。
俺は婆さんの最後の『依頼』と最後の『願い』を叶えなければならないから忙しいのだ。
書庫らしき部屋に通された俺は、片っ端から本を漁ろうとするも、あまりの膨大さに片っ端を速攻で諦めた。
「タマ、婆さんの匂いは解るな?ここについ最近、婆さんが来た形跡はあるか?」
タマは鼻をヒクヒクさせながら書庫を回る。本棚も隈無く嗅ぎ回る。
やがて、一つの本棚に辿り着いたタマはクワークワーと俺を呼ぶように吠えた。
「この本棚か」
タマを抱き上げ、本棚の下から上へと順番に匂いを嗅がせる。
やがてタマは真ん中あたりの棚でクワーと吠えた。
「この棚だな」
タマを下ろし、真ん中の棚を片っ端から当る。
「…解らん」
内容は神仏に関する事ばかりだった。呪いの『の』の字すら出てこない。
「書庫じゃないのかな」
しかし取り敢えず、真ん中の棚から全て本を下ろしてみる。多少埃が舞った。
「ああ、ここじゃねーな」
婆さんならちゃんと掃除をする筈だ。つまり、最近利用したのならば、埃が舞う訳はない。
「参ったな…タマ、お前婆さんの日記の匂いとか探せねーか?」
流石にピンポイントは無理だろうと思いながら聞いてみる。
タマは耳をピクピク動かし、やがて、俺のズボンを咬みながら引っ張った。
「おお!流石だタマ!さっそく案内しろ!」
タマは咬み付いたズボンを離すと、歩き出した。
後を追う俺。弟子達やら弔問客やらがタマにビビって下がり、道ができる。
「お前、本当に大したヤツなんだなぁ」
感心する俺にタマはクルンと振り返り、クワーと一声鳴くと、再び振り返り歩き出す。
「もしかしたら、今更理解したかとか言ったか?」
再びタマが振り返り、クワーと鳴く。
「調子に乗らずにさっさと案内しろ」
タマはムッとしながら歩き出す。
やがて、弔問客が溢れ返っている婆さんの寝室に着いた。
「やっぱりここか!タマ、遠慮しないで日記持ってこい!!」
俺の号令でタマが弔問客のド真ん中に飛び込む。
「うわあああああ!!」
「き、九尾狐!?ひっ!!」
弔問客がワラワラと逃げ出す。
「北嶋さん!九尾狐の面倒はちゃんと見て!!非常識よ!!」
有馬がタマにビビりながらも俺を怒る。
「俺達の事は気にすんな。有馬はちゃんと客のもてなしをしてろ」
タマが婆さんの頭の方に行き押し入れをガリガリと掻く。
「でかしたぜタマ!!」
俺は弟子達や弔問客が怯え、呆けているのを無視して押し入れを開けた。
「持ってこい、タマ」
押し入れに飛び込むタマ。
弔問客はタマにビビり、俺を非常識人のような目で見ながら、ざわめきが止まらない。
タマが鍵が掛かっているタイプの日記を咥えて持ってきた。
「でかしたぜ!!」
俺の手に日記を運ぶタマの頭をグリグリと撫でる。
日記を確保できた俺は、弔問客や弟子達に手を上げた。
「騒がせたな。じゃあな」
タマが俺の前に立ち、ウウ~と威嚇すると、弔問客と弟子達は俺達の前から退き、道を開けた。
「北嶋さん!!」
叱るような仕草をする有馬の肩をポンと叩く。
「ここは任せた。俺は俺の仕事をする。俺の仕事は婆さんを悔やむ事じゃないんでな」
何か言いたそうな有馬を尻目に、俺達はあてがわれた客間に引っ込む。
途中、日記に掛かっている邪魔な鍵をぶっ壊しながら。
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