楓羽 創作論・評論・感想文
楓羽
死刑囚最後の日 書評・感想
死刑囚最後の日
ヴィクトル・ユーゴー著 豊島 与志雄訳 / 岩波文庫赤531-8 ISBN : 4003253183
若き日のユーゴー(1802-85)が死刑廃止について問い、
その撤廃を目指し死刑囚の判決から処刑台に立つ最後瞬間までをえがいた人間社会に問いかける小説論説。
血に対する嫌悪、法定にではなくて死刑台に、判事の手中ではなくて死刑執行人の手中におかれた、
死刑囚の生と死の問題・・・若き日のユーゴーが死刑の廃止について言明するというよりむしろ公然と弁論する。
選ばれたる某罪人、特定の某被告についての容易で一時的な特殊の弁護ではなく、
現在および未来のあらゆる被告についての一般的で恒久的な弁論。
『死刑囚最後の日』の中でユーゴーは上記のような事を書いている。
ユーゴーは死刑の廃止という自分の政治的思想、社会的思想を文学という潔白清純な形式で普及させようとした。
この作品は死刑の廃止についての弁論なのだ。
判決を受けてから断頭台に立たされるまでの死刑囚の肉体的、精神的苦悶が微細に書かれ、
文学作品というよりは、実際にあった事実のような感覚におちいる。
この作品が初めて世の中に出されたとき、冒頭部分には数行の文が付いており、
「この作品を会得するのに二通りの会得方法があり、
この作品を実際にあった話しのように捉えるか、それとも哲学者や、
詩人とかとにかく一人の者が芸術のために題材として取り上げたと捉えるかは読者が好きな方を選ぶがよい。」
というような文があった。
ユーゴーは自分の考えをすぐに全て述べるのではなく、自分の考えを理解されるのを待つほうを好み、
理解されるかどうかを見るのを好んだ。
そしてこの作品でのユーゴーの考えは理解された。
この作品は諸版で著者の名前なしで出版された。
だからこそこの作品は読む者の心を焦燥と絶望の狂気へといざなうのだ。
死刑は必要であるのか?裁判し処罰する側の人々は死刑を必要だと言う。
社会共同体から既に害になりなお害になりうる者を除く事は大切なことだと。
だが、それだけであれば終身刑で十分である。死刑とはいわば復讐であるのだ。
社会は「復讐するために罰する」事をしてはいけないはずであるのに、復讐をしている。
社会は、「改善するために矯正する」事をするべきであるとユーゴーは言う。
理性、感情は我々に多大な影響を与える。罪において理性上の理由よりも感情上の理由が人間の行動を左右する。
この事を考えても「復讐」より「改善」の方が本来の社会としては求められるべきである。
四九章からなるこの作品は、十九世紀の社会状態に内在する不正義と対決し、人間社会の在り方についての主張が感じられる。
その理想主義は熱情に燃え、小説ながらにも論説の面影すら見える。
この作品は、小説と論説の微妙な位置に在るように思える。
この作品を小説として捉える時には人物が著者の傀儡であるように見え、
論説として捉えれば問題の大きさに複雑すぎる感情と考えがまとまりを見せることがない。
どちらにしろ、読み手が自分の思い、考えを持つことをしなければ何も見えてはこないであろう。
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