第26話

 三者三様の表情で彼女たちはローテーブル囲んでいた。冷や汗を流してる凜に、それを睨みつける長谷川、陽菜はそんな兄妹喧嘩をハラハラしながら見守っていた。

「……で、陽菜さんに俺とお前が付き合ってると言ったのか?」

「いや、だってさ。二人がいい仲って知らなかったし。それに、兄妹だってわかるとお互いになにかと面倒じゃない? お兄ちゃん女の影無いから別に良いかなぁと思って……」

 凜は視線を泳がせながらぼそぼそと言葉を紡ぐ。目の前の長谷川は視線を尖らせ、腕を組んだまま彼女を見下ろしていた。

 長谷川と凜はまごう事なき兄妹らしい。二人の両親は離婚していて、父方に引き取られたのが長谷川、母方に引き取られたのが凜だったそうなのだ。

 二人の両親はいがみ合って別れたわけではなく、互いに他に想う人が見つかったとの理由で別れたものだから、兄妹関係は割と円滑に進んでいるらしい。それこそ普通の兄妹と変わらないように陽菜には見えた。

「卯月さん、本当にごめんなさい。気にしましたよね?」

 陽菜の泣きはらした目を見て、凜は眉を寄せて、項垂れた。そんな彼女に陽菜は頭を振る。

「違うんです! これはまた別件で……っ! ごめんなさい。それに、私もちゃんと長谷川さんと話し合っておかなかったから……」

 ちゃんと気持ちを伝え合っていたら、こんな形にならなくてもよかったのかもしれない。少なくとも恋人という立場にいたなら、陽菜は完全に勘違いする前に彼に真相を問いただしていたと思うのだ。

「それに関しては、俺も反省すべき点がありますね。さっさと凜が妹だと明かしてれば、陽菜さんを危険な目に遭わせることもなかったのに……」

「それは、私が勝手に判断したことなので、長谷川さんが気に病まなくても良いですよ。私が馬鹿だったってだけで……」

 三人ともが肩を落とし、短い沈黙が訪れる。

 それを破ったのは凜だった。

「そう言えばさ、卯月さんの部屋って隣でしたよね? お兄ちゃん、私を追い出すんじゃなくて、ヤるなら隣でヤって来たら? その方がお兄ちゃんはお金出さなくても良いし、私は泊まりに行く手間が省けるから、お互いに良いと思うんだけど……」

「ヤるって……」

 あけすけのないその台詞に陽菜の顔が真っ赤になる。こういう思ったことをズバズバ言うところは本当に長谷川にそっくりだと思う。

「じゃぁ聞くが、お前は隣から声が嬌声が聞こえてきたら、いたたまれなくならないのか? この部屋の壁は薄いし、彼女の声は大き……」

「なぁに、恥ずかしいこと言おうとしてるんですかっ!」

 とっさに長谷川の口を陽菜は覆った。何でこの男は実の妹にそんなことを話せるのだろうと本気で腹が立ってくる。

「それは確かにいたたまれないかも……。じゃぁ、ホテル行こうかなぁ。その方が小言も言われなくて済むし……。と、言うことで出て行ってあげるから、タクシー代も持ってよねー」

「わかったから、さっさと出て行け。大体、ホテル代は会社が出してくれるんだから、お前もいい加減ホテルに移れ。迷惑だ」

 長谷川がぶっきらぼうにそう言うと、凜は「はーい」と間延びした返事をして支度を始める。そんな二人の背中に、陽菜は慌てたように声を掛けた。

「いや凜さん、出て行かなくても良いですよ! 別にそういうことしたいってわけじゃないし、長谷川さんとは、一緒に過ごせれば……それだけで……」

 じんわりと頬が熱くなる。気持ちが通じ合った今、陽菜としては別に無理に抱いて欲しいという欲求はない。いくら壁が薄くても普通に会話する声までは聞こえないだろうから、隣に凜がいても不都合はないのだ。

「陽菜さん、何言ってるんですか? さっき触って欲しい、キスして欲しいと強請ってきたばかりじゃないですか」

「今、それ言わなくても良いでしょう!? そ、それに、それぐらいなら別に隣に凜さんいても問題ないと思うし……」

 わざわざホテルに移ってもらうなんて申し訳ないと陽菜が意見するが、それを長谷川は当然のごとくはね除ける。

「俺が無理なので」

 その言葉に陽菜は固まり、凜は「おにーちゃんってば、正直者なんだからー。ごちそうさま」と冷やかしてくる。

 凜が支度を終えたのは、それから十分後のことだった。あまりものを持ち込んでいないらしく、持ち物はボストンバック一つ分だけだ。

 準備を終えた凜はどこかに電話を掛ける。聞こえてくる声から、電話先は恋人なのだろうと推測できた。そして、ホテルの方にも電話を掛ける。

 陽菜はなんとなく申し訳ない気持ちでその光景を見守っていた。

「お兄ちゃん、ホテルここにしたから。一番上のスイート、一泊。淳君と泊まるから二人分の宿泊費よろしくね」

 見せつけてきた携帯電話の画面には高級そうなホテルの写真があった。どうやら彼女はこの一件を利用して、彼氏と甘い夜を過ごすと決めたらしい。

「なんか二人見てたら、私も当てられちゃって」

 てへ。と舌を出して首を傾げる凜が可愛らしいが、長谷川はその一泊の金額を見て、こめかみをひくつかせていた。

 しかし、諦めたように長く息をつく。

「さっさと行ってこい」

 そう言いながら長谷川は携帯電話でタクシーを呼びつけた。


◆◇◆


 凜がいなくなった長谷川の部屋で、二人は身体を寄せ合うようにして、ソファーに腰掛けていた。

「なんか、凜さんに悪いことをしてしまいましたね。部屋から追い出すとか……」

「いいんですよ。そもそも何も考えずにアイツが俺の部屋に転がり込んできたのがいけないんです」

 口をへの字に曲げて長谷川が文句を言う。なんだか最近、彼の表情が豊かになっている気がする。陽菜がそのことを指摘すると、長谷川は「君のせいじゃないですか?」とそっと笑った。

「君の隣にいると、色々飽きませんしね。今日だって、どれだけ肝が冷えたと思うんですか? 一人で帰ると連絡を受けた時は、正直、血の気が引きましたよ」

「すみません。……もしかして、営業の予定キャンセルして駆けつけてくれました?」

「……当たり前でしょう」

 いつもより幾分か低いその声に、長谷川の怒りが感じ取れて、陽菜は頭を下げた。

「ほんと、予定キャンセルさせてすみません。営業先にお詫びに行くときは、私も同行させてください!」

「それは必要ないですよ。近くをまわってた桂木さんと俺の同期が代わりに行ってくれましたし、そもそも、今日はご機嫌伺いで寄るだけだったので……。というか、俺が怒っているのはそこじゃないです」

 じっとりとした視線を投げられて、陽菜は軽く息を飲んだ。

「……心配したんですよ?」

「すみません」

 口では謝っているのに、心配されたことが嬉しくて、陽菜は口元が緩んでしまう。そんな陽菜の顔を覗き見て、長谷川はむっと顔をしかめた。

「本当に悪いと思ってますか?」

「思ってますよ。心配かけてすみません」

「俺は怒ってるんです」

 まるでだだっ子のようにそう言う長谷川に陽菜は眉を下げた。

「どうしたら許してくれるんですか? 教えてください」

「…………」

 長谷川は何も応えずに、じっと陽菜を見つめる。まるで、『わかっているだろう?』と言いたげな表情だ。

 陽菜はそんなそんな長谷川の口にそっと口付けた。そして、掻き消えそうな声をだす。

「すきです」

 その瞬間に世界が反転した。気がついたときには、陽菜はソファーに押し倒されていた。ソファーからだらしなく垂れ下がる陽菜の片足を持ち上げて、長谷川はその膝にキスをする。

「俺も……」

 そのままソファーの上で互いの身体を貪った。

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