偏執的執着

びたみん

―――もし、死後の世界があって。

―――もし、そこでも今の「私」があるなら。

―――「私」は何を望んでいるだろうか。


 忙しない、切迫した空気が伝わってくる。

 薬品の匂いに、嗅ぎ慣れない鉄の匂い。それが血の匂いだと気付いたのも、自分の血だと気付いたのも、周囲で動く人影が医者だと気付いたのも、自分の腹が開いていると気付いたのも、少女が目を覚ましてすぐにまた意識が遠のく直前だった。

 病院のベッド。

 だが入院した患者の寝ている白いベッドではない。ベッドサイドには多くの医療機材が置かれ、ゴム手袋を嵌めた手を血で赤黒く染めながらマスクで顔を覆われた誰かが、手術台で薄目を開けている少女の腸を弄っている。

 手術中のランプの光る手術室の中、麻酔の効いた状態の少女は何故か目を覚まし他人事のような心地で自分の腹部にメスが入り、入り込んでいた異物が取り出されている光景を眺める。

 

 即死かと思われた。

 大きな十字路の国道は、事故が多い事で有名な場所で、その道路の片隅にはいつだって亡くなった誰かのために花が手向けられている。

 太い道路には横断歩道はなく、エレベーター付きの歩道橋が設置されていた。歩道橋から落ちてきた少女は、居眠り運転でも飲酒運転でも余所見運転でもない、安全運転をしていたトラックの手前に落ち、数台の後続車に踏まれた。急停止したトラックも、踏んだことに気付いている後続車も混乱し、車両同士はぶつかり大破し、少女が落ちてきたことで国道は大混乱。

 死者3人に、重傷者多数を出す未曾有の大事故となった。


 多くの負傷者と共に担ぎ込まれた少女は、砕けた背骨が内臓に刺さり全身の殆どの四肢を骨折していたが辛うじてまだ生きていた。

 手術室に担ぎ込まれた少女は、麻酔が効いた状態で目だけを覚ます。多くの医師が少女の治療にあたる中、誰もそれに気づかない。もしかすると自分はもう死んでいて、目が開いていると錯覚しているだけで幽霊のように死んだ自分の体を眺めているのかもしれないと考える。

 妙に意識のはっきりしている少女は、遠のく意識を感じながらもそれがひどくゆっくりと停滞した長時間な気がしていた。


―――迷惑かけちゃったなあ。

―――人がいっぱい死んだのかな。

―――走馬燈ってそういえば見てないな。


 とめどなくとりとめのない思考回路を巡らせながら、自分は何故落ちたのか覚えていないことに気付く。

 歩道橋の真ん中、背中に高い鉄柵が強く食い込むのを感じながら、反射的に何かを掴もうとしたその手の先で、誰かの笑顔と、左右にゆっくりと振られるバイバイの掌。


―――誰だったかな。


 少女の間延びしていた時間の流れが、とうとう終わりの時へ辿り着く。

 ゆっくりと開いていた瞳を閉じた時、手術室の時間の流れは平常を取り戻した。


ピ――――


 心拍を刻んでいた機械音は、短いピッピッという音ではなく、終了を知らせる音を医師たちに教えた。

 命の、終わりの音を。




キョエェェェルアアァァ


 白い、白い世界で発生した黒いモヤが、大きな鎌に切り裂かれて苦痛の声を上げる。袈裟切に斜めに切り裂かれた黒いモヤは、どことなく人の形をしていた。だが切り裂かれた部分からの出血はなく、体の向こうの白い空間が隙間からのぞき見えるだけ。

 甲高いその音を嫌うように、その大鎌を振るった女は下に向いていた刃をクルリと回して。横に真一文字に振り抜いた。

 斜めに切り裂かれた部分ともう一つ、頭のような形をした部分と胴体の間、つまり首であろう部分からも後ろの白い光景が見えるようになった。

 もう甲高い声は聞こえない。

 黒いモヤはモヤらしく、霧のように霧散してやがて消えた。


パンパンパンッ


 背後から聞こえた音に女が振り返ると、男が笑顔を浮かべながら拍手をしていた。


「いやァ、相変わらず凄いねえ。

 同じ人なのに、同族の魂を無慈悲に切り裂く!」


 男は秀麗な顔に笑顔を浮かべて、女の働きを褒め称えた。


「同族?

 一緒にするなよこの糞が。」


 心底嫌悪するように、黒いモヤと笑顔の男に向かって女は吐き捨てた。

 全身を黒で固めたような服装の女は、マントを被っているがその下はスタイルの良さを存分に活かしたような挑発的な恰好をしている。黒のコルセットは豊かな胸を押し上げ隠しているが、あばらまでしかない。それ以外には、臀部を覆いきれないほどの面積のショートパンツに、膝までをぴったりと覆うブーツ、膝下丈まであるマントのみ。黒い髪はショートで、整った顔の眉根は着つく寄せられている。

 片手を腰に当てて喋る女は、男の好色的な視線に興味もないようにその男を睨む。

 男はシンプルな詰襟の軍服で、その上に医者が着るような白衣を引っかけている。銀の長髪を片側に流して、紐でゆるく結んでいた。


「相変わらず手厳しいなァ

 どう?お茶でも」


 女の態度を意に介した風もなく、男は語尾を弾ませながら軽薄そうに女を誘う。


「ふざけるな。

 茶の飲める体になって出直せこの鳥頭」


 ペッと唾でも吐き出しそうな勢いで拒絶すると、女は男の立つ方向とは反対方向に歩き出す。

 その女を男は追いかけた。


「これはまた……

 なんでそんなに俺に厳しいのさ?今日は折角いい知らせを持ってきてあげたんだけどなァ」


 チラリと窺うように女を見る男は、両掌を体の両脇でしょうがない、とでもいう風に挙げた。

 その瞬間鎌を持ったままだった女の腕がビュッと鳴る。


「何だ、人に知らせる必要のない声ならうるさいだけだ。切り落とすぞこの好色野郎」


 男は自身の首に当てられた大鎌の刃に汗を流しながら、降参のハンズアップをした。


「わあっ

 待った待った!気が短すぎるんじゃない!?」


「私の気が長くない事を知らない奴がまだこの地獄にいたのか。そうか、じゃあお前を殺して改めて宣伝するとしよう」


 まるで可哀想なものでも見るような憐憫の表情を女は浮かべると、口から吐き出した言葉を実行するべく鎌の柄をギュッと握る。

 腕に力を込めた女に、男はとうとう口を割った。


「こらこら待ちなさいってば!

 さっきので人魂ひとだまの全消滅が終わったから、君の就役しゅうえきが終わったことを知らせにきたんだよっ」


 男の言葉を聞くなり、女は不機嫌そうだった眉根を更に寄せた。


「……何だと?」


「いい加減その鎌仕舞いなさいよ……。」


 女は男が口を割った事で大人しく大鎌を下げた。ブンッと下へ振り抜くと、その手から大鎌が瞬時に消える。

 男はホッとしながら、話を接ぐ。


「君が犯した罪は、人類が滅んだ事で清算された。

 1500年だったかなァ?君が犯した罪の重さは、君が同族を狩ることによって感じる罪悪感で清算されるものだった訳だけど、君はそれを殆ど覚えないたちだったからね。君の罪悪感が罪過に釣り合う前に同族が滅んじゃったよ」


 はははっ

 と笑いながらそう話す男に対して、女はもう一度鎌を出してやりたいと思いながらも、鎌を突きつける代わりに言葉で苛立ちをぶつけた。


「罪過を決めるのはエンマ、お前だろうが」


「こっちとしては人手不足も解消されて万々歳だよ」


 声を弾ませながらそう嘯くエンマは、女へ手を伸ばすが、女はその手をバチンと叩き落とす。


「イッタアアァッッ

 君ねェ、1500年鍛え続けたそのゴリラ筋でなんでも屈服させようとするのはよくないと思うよ!!」


「やかましい。

 どうせすぐ再生するだろうがこのマゾヒスト。

 それで?」


 あられもない方向に曲がった手を2、3度擦ると、4度目にはもうその手は正常に戻っていた。フーフーと意味もなく負傷していた手の甲に息を吹きかけている。


「何だよっ」


 見せつけるように手を擦ったり息を吹きかけているエンマの眼尻には、若干涙が浮かんでいる。痛かったのは事実らしい。


「私はどうなる」


 エンマは負傷した手をこれ見よがしに擦るのを止めて、女と目を合わせてニンマリと笑う。


「いやァ、それがねえ……

 どこも今は人が足りてるし、狩人は要らないんだよねえ

 だ、か、ら」


 語尾を不自然に区切るエンマには反応せずに、女は軽蔑の目でエンマの言葉を待つ。


「君、神に昇格しない?」


「……は?」


 女の顔は不機嫌と不可解を綯い交ぜにした状態で固まっている。

 その女の顔を見たエンマは、心底嬉しそうに笑みを深めた。


「君のそんな顔、死んで以降初めて見たよ」


 ルンルンと機嫌よさ気に瞳を輝かせるエンマ。女ははっと我に返ると、また眉間に皺を寄せる。


「おい、ふざけるもの大概にしろよ……」


 不機嫌を前面に押し出して、それでもなお怒りを抑え込んでいるのであろう女を見てエンマは首を傾げた。


「ん?どうして?

 君は死後、人類の殆どを狩ったんだよ。昇格するには十分な功績だ」


「地獄とは言え、調停人はあらゆる魂を超越したもの。それだけの存在だ。

 人魂をすべて狩った如きで、人であった私の魂が昇格などするか。

 人を最も罪深いとしたのはお前たちだろう」


「だからァ、神って言ってるじゃないか。

 仏でも魔王でもない、神だよ」


 言っていることが今一女には理解できない。


「もうっ

 この脳みそ筋肉君キンニクン

 君は功徳なんて積んじゃアいないし?何なら前世の罪さえ清算できなかったんだから確かに本来なら無理だけど、同族が滅亡しちゃったし、君の前世を考慮して罪科を決めなかった俺にも責任があるからって、会議で情状酌量の余地があるってことになったんだよ!」


「だからといって何故神なんだ。

 もっと前段階のものがあるだろう」


「……まさかとは思うけど、仏と神が違うこと知らなかったりしちゃう?」


 女は当然だという様にコクリと頷く。


「えええ……

 1500年、君ずっと筋肉活かして狩ってただけなの?」


 ビキッと青筋が女のこめかみに浮かぶ。


「それを決めたのはお前だよなあ??」


 チンピラの如く顎をしゃくってエンマに迫る。その距離は近いが、あくまで触れない程度だ。やはり触るのは嫌らしい。


「そうですそうです。」


 若干焦りながらも呆れ声で、エンマは少し後退する。


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