おさななじみが化けて出た

夢煮イドミ

幼馴染が化けて出た

 幼馴染が化けて出た。




 神室安奈はチアリーディング部の部長で、よく笑う奴で、活力のある人間で、いつもクラスの中心にいる女の子だった。

 家が隣同士の俺達はいわゆる幼馴染で、幼稚園の時からよく一緒に遊んだ。小学校では同級生にからかわれたりして、そのせいもあってか中学ではあまり話さなくなった。それでも高校まで行くと逆に吹っ切れるのか、昔みたいに接してくるようになったし、よく宿題を教えろとせがんできた。

 彼女が親しげにしてくるものだから、俺も自然とクラスの皆と打ち解けていたように思う。


 あの事故はまさしく青天の霹靂だった。高校二年の夏、帰り道で信号待ちをしている神室を見かけた。後ろから声をかけようとしたところに、真っ黒な自動車が突っ込んできた。

 市内の高校生が事故死したというニュースは、瞬く間に広まる。即死だった。車は飲酒運転だった。

 通夜が執り行われたのがつい昨日のことだ。クラスの全員がすでに事故のことを知っている。


 今朝、身の芯から震えるような寒気に目を覚ました皆の枕元には、紙が置かれていた。ノートの切れ端らしいそれに、シャープペンシルで殴り書きされていた文面はこうだ。


『お前の大事なものをもらった。返してほしかったら学校に来い。

                            神室』


 日曜日の朝、街は静けさに包まれている。高校の敷地にもほとんど人はいない。俺の所属していた文芸部には休日活動なんてないから、日曜の学校に来るのは初めてだった。もう少ししたら部活の生徒達が登校してくる時間だろうか。

 まだ朝陽が昇り始めたばかりの頃、高校のグラウンドには見覚えのある面子が集い始めていた。ほとんどがクラスの連中だ。彼らは一様に、鉄筋コンクリートの校舎を見上げている。


 屋上の柵の内側、仁王立ちで彼らを見下ろしているのは、長い黒髪を風になびかせた神室安奈だった。

 半袖のワイシャツをさらにまくらせ引き締まった二の腕を晒し、スカートの下には真っ赤なジャージを履いている。絶望的に女子力の低い、いつもの神室の出で立ちだ。

 どや顔で腕を組む彼女の姿を見て、集団はにわかにざわつき出した。

 サッカー部の主将になったばかりでクラスでも中心人物の湯原が、意を決したように大声を張り上げる。


「神室っ、これは何の真似だっ」

「この際だから、皆に言いたいことを言っておこうと思って」

「ふざけたことを言うなよっ」

「おっとユバちゃん、校庭から出たらみんなの大事なものをここから落としちゃうよ」


 屋上まで来ようとしたのだろう湯原の足が止まる。ここにいる誰もが何かを盗まれている。人質ならぬ物質というわけだ。


「おほん、えー、それでは皆さんゴセイチョウください」


 なにやら演説じみた口調で、神室は眼下の生徒達に語りかける。


「せっかくなのでユバちゃんから始めたいと思います。ユバちゃん、私はね、気づいているのですよ」

「な、なにをだよ」

「サッカー部の新キャプテンで女の子からの人気も高いユバちゃんが、実はおっぱい星人だということを!」


 時が止まったような静寂。

 しばらくして、発言の意味を理解した湯原が「はぁ!?」と喉が張り裂けんばかりの絶叫を披露する。


「体育の時なんて体操着の上から透けるブラジャーを食い入るように見つめてらっしゃって……それになにこれ、『マシュマロおっぱい大全』? 成人誌は18歳になってからだよ?」

「なっ、おまっ、それ、おまえっ」


 言葉にならない悲鳴を上げる湯原の周りから、近くにいた女子が一歩ずつ離れていく。湯原にはそのことを悲しんでいる余裕すらないらしく、神室の手に掲げられたエロ本を呆然と見つめるしかなかった。


「湯原、お前は健全に男の子なだけだ!」

「俺達はお前の味方だぞ!」

「後で貸してくれ!」

「ちょっと黙っててくれ、っていうか黙ってろ!」

「はいつぎー」


 男子生徒からの同情を一身に注がれている湯原を無視して、神室はエロ本を足元に横たえる。


「次は、みーこ!」


 指名された鮎川美香子に注目が集まる。小柄でほわっとした女子で、手を口のあたりに持ってきて慌てた様子を見せている。

 しかし、最初に出てきたのがエロ本だったせいか漂う空気は弛緩していた。


「えーなにー? こわいんだけどー」

「ぶりっこがうざい」


 凍り付いたような静けさ。

 ほどなく、とても女子の身体から発せられたとは思えないほどドスの利いた「はぁぁぁ!?!?」という怒声が鼓膜をつんざいた。


「ぶっちゃけそれに騙される男子も男子だと思うけど、どうなのそれ疲れない? 自分をよく見せたいのはわかるけどさ、もはや別物じゃん、あんた本当はそんなキャラじゃないでしょ」

「な、なに言ってんのかなぁ?」

「それかキャラ作るならもっと徹底的にやりなよ。女子しかいない時は陰口ばっかり叩くの、温度差激しすぎて風邪引きそう」

「わたし、わ、わかんないなぁ」

「みーこの日記ぶっちゃけ引いたわ、愚痴と悪口でよくこんなページ埋められるね」


 好き放題の神室の言動に、鮎川は完全に硬直した。頬をひくつかせて立ち尽くしている。今度は彼女の周りから男子生徒が身を引き始めた。

 パラパラとめくっていた日記を閉じて、神室は続ける。

 もうそこにふざけた雰囲気は存在しなかった。クラスの全員と親密な関係を築いてきた、八方美人の完成形のような神室だからこそできる、そして彼女の口からまろび出たからこそ信用してしまう、地獄のような暴露は止まらない。


「くるみちゃんの誰かといる時にすぐスマホいじり始めるのが嫌い」

「きらりのテスト勉強してるくせにしてないって嘘吐くのが嫌い」

「トッキーが人の失敗ばかり笑いの種にするのが嫌い」

「木島くんが傷ついてるくせに平気なフリして愛想笑い浮かべてるのが嫌い」

「みんなみーんなっ、実は私、大っ嫌いですっ!」


 山に向かってでも叫んでいるような声に、しかしやまびこは返ってこない。誰もが言葉を失って、ただただ神室を見上げることしかできないでいる。

 深く息を吸って、吐いて、少しの間だけ目を閉じていた彼女は、瞼を上げるとまっすぐに級友達を見下ろした。


「ほんと、何してんのさ。私達」


 零すような言葉だった。夏の蒸し暑い朝に、どこか首筋を優しく撫でるような涼やかな声は、不思議と全員の耳に届いた。


「ユバちゃん、これ見なよ」


 そう言って、神室が足元に整列させた〝大事なもの〟の中から取り出したのは、寄せ書きのされたサッカーボールだった。


「それ、小学校の時の……」

「言ってたじゃん、来年はインターハイ行ってやるって。部長になって大変だよね、後輩だけじゃなくてチーム全体の面倒見なきゃいけなくて。最近のユバちゃんあからさまに顔が暗かったよ」


 神室はサッカーボールを脇に抱えて、ビシッと湯原を指差す。


「ウジウジするのは別にいいけど、だったらエロ本読むんじゃなくて練習して気晴らししなさいよ! パソコンの検索履歴も酷かったからね、ちゃんとパスワードかけときなさい!」

「うっ」


 言葉を詰まらせた湯原にかまわず、矛先はめまぐるしく変わっていく。次に手にしたのは可愛らしいピンクのポーチだった。


「わたしのネイル用品……」

「みーこは一年の時からネイリストになるって言ってたよね。親に反対されても専門学校に行くって張り切ってた。そういうところ尊敬してたんだよ。だったら誰かの文句なんて言ってないでバイトでもしなさい!」


 親が子供を叱るような口調だった。鮎川は口元を手で覆い、ただただ神室に視線を注いでいる。

 彼女の主張は留まるところを知らない。まさしく立て板に水、激しく流れる滝のように校庭に集まった生徒達へ降り注ぐ。


「アニメが好きでもいいじゃん、好きなものを恥ずかしがらないでよ。バカにされたら他人の趣味をバカにするお前の方がダサいよバーカって言い返せばいいじゃん」

「医学部目指して今から勉強してるんでしょ、かっこいいじゃん。学年で一番じゃなかったって、まだまだこれからでしょ応援させてよ」

「芸人になりたいんでしょ、すごいじゃん。だったら誰も傷つかない方法で笑わせてよ。人のダメなところと同じくらい、いいところを見つけるのが得意だったでしょ」

「イヤなことはイヤって言いなよ、アホくさいじゃん。苦しいの押し殺してヘラヘラしてるのなんてもっとイヤじゃん。言いたいことがあったらちゃんと口に出しなよ」



はもう、全部できないんだよ!」



 胸を抉るような叫び声だった。

 酸素を吐き出し過ぎたのか、呻くように息を整える。ようやく口を開いた神室の笑顔は、どこか歪んで見えた。


「話せることいっぱい話そう。やれることいっぱいやろう。だって、だって……」


 もう言葉にすらならない。嗚咽ばかりが屋上に響いていた。校庭に集った生徒達も動けずにいる。

 やがて部活のために登校してきた生徒達が現れて、にわかに騒がしくなった。

 神室は大きく胸を反らして深呼吸をすると、最後に一冊のノートを手にした。


「……文芸部の高橋さん。私はあなたのことを全然知らないけど、そんなあなたに伝言があります」


 彼女が集団の前に歩み出てくる。つい最近コンタクトに変えた、恋愛小説が大好きな高橋さん。

 神室が言葉を発するのと同時に、自然と俺の唇も動いていた。


「『君の文章はすごく綺麗だ。作家になるの、楽しみにしてる』」


 その言葉を聞いた彼女がどんな顔をしたのか、ここからではよく見えない。確認しに行く暇もなく、クライマックスは訪れる。

 さあ、幕引きを始めよう。


「ごめんねみんな、全部返すよ!」


 ばっ、と神室が両腕を振り上げるのに合わせて、彼女の足元にあった大事なものたちが宙に浮きあがる。重力に逆らって空中を漂うそれらは列をなして、さながら天の川のようだった。

 信じられない光景に皆が気を取られているうちに、神室は傍に立つ俺に声をかけてきた。


「こんな感じでよかった?」

「ああ、サイコーだった」


 親指を立てて見せると、彼女もまた同じように返す。昔缶蹴りなんかをやっていた時にも、こんなやり取りをしていたっけ。


「感謝しなさい。おかげで私は幼馴染みが死んでヒステリーになった手品師紛いの不法侵入者よ」

「心配すんな。俺が消えたら今日の記憶は曖昧になるんだってさ」

「じゃあただの自己満足じゃん」

「そうだな。俺ができない分、押し付けてるだけだ」

「……いっちゃうんだね」


 俯いた神室の視線が、俺の透けた足にぶつかる。言葉が詰まってしまいそうだったが、ここで俺が黙ってはいけないと、そんな気がした。


「物を浮かせたりとか、鍵も開けられるしいろいろできて便利だけど。お前にしか見えないんだし、しょうがないだろ」

「なんで私なのよ」

「お前が一番頼りになるからな」


 褒めたつもりだったのに、神室は勢いよく顔を上げると鋭い目つきで睨んでくる。

 そのままずんずん歩み寄ってくるので後ずさりそうになると、彼女の形相が一層恐ろしくなるので止まらざるを得なかった。


「勝手に身代わりみたいになって、死んでまで他人の心配って、どうなのよ、それ」

「そこは、ほら、むしろ褒められるところだろ」

「見なさいよこれ、あんたに突き飛ばされた時についた傷よ」

「はあ? そんなのどこにあんだよ」


 神室が指差した頬のあたりを覗き込もうとすると、ぐいっとその顔が寄ってきて、


 重なった唇に何も言えなくなる。

 触れられないはずなのに、塞がれてしまう。

 閉じられた彼女の目がすぐ傍に見える。

 すでに止まっているはずの心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 呆気に取られている俺に、ようやく顔を離した彼女は一言、


「バーカ」


 耳をくすぐる声音は微かに甘酸っぱい。

 最後に言いたいことがそれなのかとか、そんな文句も出てこなくて。

 でも、そうだ。助けてくれてありがとうなんて、言ってほしいわけじゃない。

 だから俺も、突き飛ばしてごめんなんて、間抜けなことを言う必要はないだろう。


「ありがとう、安奈ちゃん」




 最期に見た、彼女の顔は――

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おさななじみが化けて出た 夢煮イドミ @yumeni_idomi

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