第28話 闇の中
沙羅は起床してすぐに、愛実が休んでいる管理人室へ向かった。ドアを静かに開けると、台所のほうで物音が聞こえる。
――浅葱は朝に弱いはずなのに。まさか。
胸を高鳴らせて台所に飛び込む。そこには見慣れた後ろ姿が、見慣れた光景があった。物音に気付いたのか、沙羅のほうを振り向く。
「おはよう、沙羅」
「愛実……」
沙羅は溢れそうになる涙をこらえ、愛実の元に向かった。
「復帰してすぐにお仕事とは感心ですな、さすが私の助手」
肩に手を回し、頬を擦り寄せる。
「わ、危ないって!」
「いいからいいから」
台所の話声を聞きつけたのか、浅葱がやってきた。
「あれ、浅葱。一人で起きれたんだ」
沙羅は愛実に体を密着させたまま、浅葱に声をかけた。
「ええ。沙羅が起きれるか心配で心配で、夜も眠れませんでしたよ」
「なに、所長の私に向かってそう言うか!」
沙羅は愛実から離れると、浅葱に走り出して飛び込んだ。不意に突き飛ばされた愛実はよろけたが、幸運にも朝食をひっくり返さずに済んだ。
「ねえ、ベルは?」
思い出したように愛実は沙羅に尋ねる。
「それは、その……」
珍しく、沙羅が言葉を探し始めた。
「ベルちゃんから昨日聞いたんだけど、アンドラスと戦うときに喧嘩したんだって? それで愛実のクラスメートを助けられなかったって……それでベルちゃん結構落ち込んじゃってて。しばらく合わせる顔がないって引っ込んじゃった」
「そう、なんだ……」
「愛実、大丈夫? 無理してない?」
沙羅が心配そうに愛実を見上げる。
「大丈夫大丈夫。大丈夫だから。それよりご飯できてるから食べよう?」
三人がようやく食卓につこうとしたその時、沙羅のスマホが着信を告げた。ヴァネッサからだった。沙羅が拾い上げて通話を始めると、鬼気迫る声でヴァネッサが告げた。その雰囲気は通話をしていない愛実達にも伝わった。
「今すぐテレビを見てください、大変なことになりました! どこのチャンネルでもいいので!」
沙羅はすぐさまリモコンでテレビの電源を入れる。表示された画面には、政府要人の記者会見で使われる会見室、そして「緊急記者会見 ファルシオン特使 アルゴ・ローゼン氏」というテロップが流れていた。演台の上に立つのは、日本人離れした風貌の男性。歳の頃は二十代前半に見えた。
フラッシュライトが彼を照らしても、真一文字に結んだ口を開くことはない。どうやら会見が始まる直前のようだ。
突然、アルゴがマイクを引き寄せ、会見を始めた。
「あ、あー。えー。日本国民の皆様、おはようございます。ファルシオンから来ました、アルゴ・ローゼンといいます。この会見を開いてくれてありがとうございます。今回は皆さんに、大事なお話とお願いをするために来ました」
深刻な言葉とは裏腹に、緩みきった口調で彼は続ける。
「近頃、得体の知れない怪物が目撃される、という事態が相次いでいると耳にしました。中には犠牲になった方々も多いとか。亡くなられた方々には言葉もないです。」
演台の上で頭を軽く下げた。
「その怪物の正体を、我々ファルシオンは悪魔と断定し、特使として俺を派遣する旨を決定したみたいです。まず現地調査を行い、必要と考えられれば悪魔祓いをこちらによこします。あと、聞いた話によると何もしてない人を悪魔憑きだって言っていじめるってことがあるって聞きました。そういうのは本当やめてくださいねー。それで苦しんでる人とか、もし本当に悪魔が憑りついてる人とかいたら、教会に来てください。この放送から三日待ちます。あ、城南町教会ね。なんでって? 別にどこでもいいでしょ。それじゃ今から移動するんで会見は終わりです。ありがとうございました」
アルゴは記者が引き留めるのも待たず、速足で演台を後にした。記者会見場がざわつき、映像はそのまま途切れた。
沙羅の通話はまだつながっていた。沙羅はおそるおそるヴァネッサに話しかける。
「これって……ヴァネッサが前言ってた正式な特使ってこと?」
「ええ。そうなります。悪魔憑き、つまり契約者に城南町の教会に来いと言っていますが、罠でしょう。彼はファルシオン議会の走狗。集まった人々を残らず殺害するつもりでしょう」
「そんな! だったら――」
「ええ。止めなければなりません。私がなんとか食い止めてみせます。ファルシオンの失態は私が拭います。もし、それに失敗したら愛実さんたちに……どうか」
「私だけじゃなんとも言えないから愛実に代わるよ、いい?」
「はい、是非。連絡が取れなかったので、報告したいことがいくつかありましたから」
沙羅は愛実を手招きして、スマホを愛実に手渡した。
「もしもし、ヴァネッサさん?」
「ああよかった、無事だったみたいですね」
「無事かどうかわかんないけどね。その、田淵くんだけど……」
「昨日警察に行ってきました。田淵資憐は容疑者候補として挙がったのですが、同じころには無くなって発見されていて……身辺調査はされているのですが、今は一人の犠牲者として扱われています」
「……ありがとう、ヴァネッサ。そこまでしてくれて」
「礼には及びません。その、これからのことなのですが。同盟を続けませんか?」
「私からもお願いしたいかな。さっきの放送を見る分には、まだ悪魔は消えたわけじゃないんだよね?」
「はい。戦いはむしろこれからです。封じられていた悪魔は72体。その中で何体がここにいるかはわかりませんが、ベリアルの話によれば、アンドラスがいたために姿を現していなかった悪魔がいるという話です。これからは複数の悪魔を相手取って戦うことになります。そのために、あなたにも手伝ってほしい」
「わかった。これからもよろしくね、ヴァネッサ」
「はい。それはそうと、今日明日は四人でお出かけをしてみてはいかがですか?」
「お出かけ?」
「ええ。アルゴの話を信じるなら、三日後に行動を開始する、ということなので。もちろん、近場に現れた悪魔の対処はお願いしたいですが。」
「でも、いいのかな? こんなに大変なのに」
「誰にだって休息は必要です。もしも何かあったら私が戦いますから。ベルさんと親交を深めるのも大切ではありませんか?」
「……うん、そうだね、ありがとう」
愛実は電話を切り、沙羅に返した。
「で、お出かけがどうのこうのって言ってたのは何?」
「ああ、うん。ヴァネッサさんがたまにはリフレッシュしろってね。そういうわけだから浅葱さん、どこか行きましょうか」
突然名前を呼ばれた浅葱はきょとんとして愛実を見つめた。
「はい? 私もですか?」
「はい、もちろんです! あとは……」
愛実が言い淀んだ。それを見かねた沙羅が手を叩いて愛実の逡巡を打ち切った
「はいはい! ベルを連れてくるよ! 仲直りのいい機会だからね!」
そう言って沙羅は部屋を出て、愛実の部屋に続く階段を駆け上がった。
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