うさぎの子
こんなことを書いてはなんだが、我は空を飛んだ。
あれは晴れた真っ昼間のことであった。
ケンジロウなる京子氏の旦那様が私をつまみ上げ、ケンジロウの靴に穴を開けるのに夢中であった私はほ?とくりんとした目で見つめれば、ケンジロウはにっこりと笑い、「この虫けらが!」と叫んで二階の窓から私をぽーいと、外のプールに向かって投げた。
私はつかの間、空中遊泳を楽しみ、小鳥とやあと挨拶して、とたん下にどぼんと落ちた。
京子氏が何事、とサングラスを傾け、私を見、「健ちゃん、泳ぎなさいな!」と喜んで手を叩いた。
私はそちらにすいよすいよと泳いでいき、ケンジロウが窓から轟々と滾る嫉妬の炎を飛ばしてくるのを、「やーい!」とわおんと吠えてみせた。
ケンジロウはうぎぎ、と歯ぎしりしてネクタイを緩めていた。
さて、ここは常夏の島、ハワイである。
道を歩けば浜辺でご老人が電話かけてよ、と手をりーりー鳴らす仕草をするので、はてな、と見ていれば、京子氏もりーりーを返した。
ケンジロウと歩けば途端、華やぐ綺麗な日本人一家である。
私は京子氏の顔を舐め、ケンジロウにくりんとした目を向けた。
ケンジロウは見向きもしない。
私はこういうときのケンジロウは少し良い子だな、と思う。
しかし京子氏が服など見ている間に、私のお尻をつねるのだ。
ぎゃおんと鳴いて噛み付けば、どうしたの健ちゃん、と京子氏が驚き、いや僕も驚いたよ、どうした健坊、とケンジロウは憎たらしい。
我はケンジロウの足に噛み付いてドーナツを落とさせ、食べてやった。
「この、畜生め」
ケンジロウがタバコを吸い出したので、これ見よとゲホゲホやったら、京子氏が「あなたそれ止めてよ!」と怒った。やーい。私はまたケンジロウに勝った。
ケンジロウは渋い顔をしてタバコをもみ消した。
さて、私は最近朝の新聞を取りに行くのが日課になり、得意満面で玄関を出て行ったのだが、ある日帰ってきたら、戸がぴくりとも動かない。
散々押したり噛み付いたりした。それでも動かない。
私はケンジロウが内から抑えているのだとわかり、ぎゃおーん、わんわん、と鳴いてくるくる回った。
京子氏よ、気づいておくれ。
しかしその日に限って京子氏は朝寝坊であった。
我は悲しかった。
あにはからんや、とケンジロウにくりんとした目を向ければ、ケンジロウは窓からシッシと手を振り、シャッとカーテンを閉めてしまわれた。
ああ健次郎氏よ、私が悪かった。態度を改めよう。仲良くしようではないか。
私はきゅうん、と鳴いてお手をして見せた。
しかし健次郎氏は見もしなかった。相変わらず戸を足で抑えて、コーヒーを飲んでいる。
私は今度はおかわりをした。しかし見ない健次郎氏。
私はしまいに、庭の隅に行き、プールに一度入った。
すいよすいよと泳いでから、庭の穴を掘り、泥まみれになって、新聞紙を台無しにした。
そして、わん!と吠えてみれば、「こいつめ!」と健次郎氏はとうとうドアを開けた。
私はすぐさまスイっと入った。
「あ!」
京子氏が私を見て目を丸くし、「健ちゃん、どうしたの今日は?」とパジャマで私の顔をこすってくれた。
私はきゃいんきゃいん、くーんと甘えて腹を見せ、ケンジロウをじっと眺めた。
ケンジロウは少し震えている。赤い顔が青くなりそうだ。
握りしめられた新聞紙を見て、京子氏が笑った。
それから我は、また二階よりプールへのダイビングをすることになるのであった。
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