第3話 すべてを失って得たものは

 どうして、こんな事をしてしまったんだろう。

 いや、こんな台詞を吐いてはいけない。自分が犯してしまった罪から目を背ける逃げ口上だ。アタシはそう思う。

 アタシは計画的に奴に鉄槌を下したのだ。言い逃れなど出来ない。


 逃げ出したアタシが頼ったのは、担任の教師だった。でっかくて、柔道部の顧問も務めている、誰よりも頼りになる人だ。

 あの男と取り巻きに追いかけられ、学校の宿直室に匿ってもらった事は何度もある。

 その日も先生はそこにいたが、鼻血で染まったアタシの顔を見て、ただならぬ事態なのは把握してくれたらしい。


 翌日、アタシは先生に付き添って警察へ自首したが、取り合ってもらえなかった。

 大抵の犯罪は被害者が存在しなければ成立しないからだ。

 身内の恥を徹底的に隠す事を我がお家の恥ずべき点は多い。

 ただ忘れてはならないのは、身内の恥であるのはあの男だけではなく、アタシ自身もその恥であるということだ。


 父はきっとアタシをとっ捕まえて幽閉でもしたいだろう。

 その罰は甘んじて受けたい。でも、アタシはもう家には戻れない。家に戻ると想像しただけで、足がすくみ、恐怖で体が動かなくなってしまう。流行りのPTSDというやつか。自ら計画し、自ら犯行に及び、自ら心に傷を負った。最低な人生だ。


 家も、家族も、制服も、教科書もない今のアタシは、一体どういう存在に成り下がってしまったんだろう。誰もそれに答えてはくれない。

 毎日、先生の家にある勉強道具を借りて勉強し、小学校低学年の息子にゲームを教わり、残った時間は先生の家のソファに座っている他なかった。


「思い詰めるな」


 困ったことがあると、黙り込んでしまう事がアタシの癖らしい。

 そんな時は必ず、先生の大きな手が、アタシの頭に乗っかる。それだけで何事も解決したかのように安心してしまう。


 アタシはこの先生をゴリラと呼んでいた。アタシに限らず、クラスの皆も。

 寛容なのか鈍感なのか、先生はそれを一切咎める事なんて無かった。


「また子供扱いする!」


 先生の奥さんはアタシの頭を撫でる行為をよく思っていなかった。

 そう言ってアタシの頭から手をどけてしまう。そういえば、奥さんも元高校教師だって言ってたっけ。きっと生徒を一人の大人として扱う良い先生だったのだろう。


 残念ながら、アタシはまだガキなんだけどな。

 奥さんは先生の前ではそんな風に言うが、アタシのことは猫可愛がりしてくれていた。

 アタシは先生の奥さんがいなかったら、夜も眠れなかった。あの男が毎晩やって来るからだ。

 目を閉じると、足首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる夢を見る。

 その時は先生の奥さんに縋り付いて難を逃れるしかなかった。



「こんばんはぁ! おーい! 靴脱ぐから大皿とケーキ受け取ってくれぇ」


 よく先生の家へ出入りする大学生の声だ。先生の息子を呼びつけないと靴も脱げない荷物ってなんだろう。

 まぁ、今日もご飯を集りに来たのは分かるのだが。


 この大学生の存在はありがたかった。

 頻繁にやってくるお陰で、アタシはご飯をいただく罪悪感が和らぐからだ。


「大声で言わないで!」


 奥さんと息子が大急ぎで玄関に殺到する。

 大学生がケーキを買ってきたからなんなのだろうか。

 そもそもそのケーキにアタシが口をつけて良いのかも分からない。三食食べさせてもらって、ずっと外にも出られない、ただの穀潰しが。


 しかし、私の思いとは裏腹に、そのケーキの砂糖細工の板には、アタシの名前が書いてあったのだ。

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