第4話 欲しかったんだ

 高校初日。初めての高校生活に、緊張と期待を抱えて玄関に辿り着いた。見渡せば、そこかしこに私と同じような感情を抱えた新一年生が他にもたくさんいた。ローファーを脱ぎ上靴に履き替えていると、騒がしい五人組が現れた。仲良さそうにはしゃぎ、脇腹を突いたり、蹴りあうマネをして、ふざけあいながらこっちへ向かってくる。その一人の肘が、ローファーを下駄箱へ入れようとした私の肘に当たった。ぶつかり合った衝撃で片方のローファーが手から零れ落ち、タンッと乾いた音を立てた。

「あっ、ごめん」

 ぶつかってきた相手はすぐに謝り、落ちたローファーを拾い上げる。

「ここ?」

 片方の靴を持ったままの私へ、下駄箱の場所を訊きくから小さく頷いた。私の靴を拾った彼は、そこへローファーを収める。

「行くぞー。旬」

 同中なのだろうか、慣れたように下の名前で呼ばれて、その彼はすぐに友達の輪に加わった。真新しい制服に身を包んだ五人組は、教室への階段を楽しそうに上っていった。

 私は、その背中を。旬と呼ばれた彼の背中を。速くなる鼓動のリズムを聴きながら、ただ見送っていた。

 数秒後、そんな私の背中に突然の衝撃!

「きゃっ!」

「うわっ!」

 ぼうっと突っ立ったままの私の足に躓いてぶつかり、派手な音を立てる人がいた。ぬぼうっと、背の高い男子が私の後ろで盛大に鞄の中身をぶちまけている。

「ごめんっ」

 謝りながら、ぶつかってきた彼は廊下に散らばった筆箱やノートを拾い集め無造作に鞄の中へ入れていく。

「私こそ、ゴメンね。こんなところに立ってたから」

 少し離れた場所まで転がっていったシャープペンシルを拾い上げ、彼に手渡した。

「はい」

「ありがと」

 シャープペンシルを受け取った彼は、前髪を気にするようにして触っている。

「ねぇ。同じ一年だよね?」

 卸したての真新しい上靴を見て訊ねると、私と同じクラスだという。名前は清水吉成君。

「私、佐藤亜実。これからよろしくね」

 清水君にそう告げて、私は旬と呼ばれていた彼の後を辿るように階段を駆け上がった。階段を駆け上がりながら、旬と呼ばれていた彼と同じクラスならいいのに、という儚い想いは呆気なく崩れ去る。彼の姿は、隣のクラスの前にあったからだ。代わりというわけじゃないけれど、同じクラスになった清水君とは、わりとよく話をするようになった。

 けれど、清水君が私よりもよく話をするようになったのは、旬君の彼女になった由香里ちゃんだった。由香里ちゃんは、いつも元気でハキハキとものを言い、けれど、時々見せるおっちょこちょいな所が影で男子に人気があった。そんな由香里ちゃんは、夏休みを前にした頃、旬君の彼女になっていた……。

 清水君と、あんなに仲がいいのにどうして?

 由香里ちゃんが付き合った相手は、私が好きになった旬君だった。そんな由香里ちゃんを嫉妬の目で見てしまう私は、とても小さい女だ……。


 旬君が居るのに、由香里ちゃんはいつだって清水君と一緒に居た。

 旬君が可哀相だよ……。私、知ってるんだから。旬君が二人の事をどんなに寂しそうな目で見ているか。私、知ってるんだから。旬君の瞳は、二人の事を悲しそうに見ていることを。

 なのに由香里ちゃんは、そんな旬君のことには少しも気がつかない。旬君が居るのに、清水君と仲良くしてばかり。由香里ちゃんは、贅沢すぎる。

 そんな風に考える私は、やっぱり凄く小さい女だ……。


 旬君は、いつも玄関で由香里ちゃんの事を待つ。私は初め、そんな旬君を横目に見つめ帰るだけだった。隣のクラスっていうのもあって、気安く話しかけることができずにいたから。けれど、私の心臓はいつだって旬君に反応していて、まともに顔を見ることさえできない。

 年が明け、冬を越え、春が来る頃。私の心臓は、反応するだけじゃイヤだって主張し始めた。だって、寂しそうな旬君の顔は見たくないもの。由香里ちゃんを待つ、寂しそうな旬君をいつまでも黙って見てなんていられない。

「大崎君」

 思い切って話しかけた声が、少しだけ上ずってしまい耳が熱くなった。

「由香里ちゃん。きっと、もう直ぐ来るよ」

 元気付けようと思ってかけた言葉だった。

「……うん」

 返ってきた声には力も無く、浮かべた微笑みは悲しそう。

 私の心臓が暴れだす。

 旬君にこんな顔をさせるなんて、酷いよ。私だったら。私だったら……。

 心の中が暴れだす。

 そこへ、清水君と一緒に由香里ちゃんが現れ、旬君の瞳が寂しさの色を増した。

 由香里ちゃんが一人で現れなかったことに。清水君と一緒に楽しそうに現れたことに、旬君の瞳の影が強くなる。

「ごめーん、旬。帰ろっ」

 由香里ちゃんは、ニコニコとそう言って旬君の隣に並び清水君を振り返る。

「じゃーねぇ、よしなりぃ。前髪、切りなよ」

「大きなお世話だっ」

 二人で言い合い、声を上げて楽しそうにしている。

 楽しくないのは、旬君と私だ。重い空気の私たちに、由香里ちゃんは全く気がつかない。旬君がこんなに悲しそうな顔をしているのに、由香里ちゃんは少しも気がつかない。


 次の日も、次の日も。由香里ちゃんを待つ旬君。

 やめちゃえばいいのに。由香里ちゃんなんて待たないで、帰っちゃえばいいのに。旬君にそんな顔をさせる由香里ちゃんなんて、待つことないのに。私だったら、旬君にそんな顔させないのに。

 心の小さい私が、私だったら。私だったら。って何度もつぶやく。

「大崎君。由香里ちゃん、なかなか来ないね……」

「うん……」

 情けないよな、俺。って小さくこぼしたその言葉に、我慢の限界が来てしまった。

「由香里ちゃん。本当は、清水君のことが好きなのかもね」

 そんな事を言いだした自分が信じられなかった。殺人なんかした事ないけど、人を刺しちゃったみたいに体が小さく震えだす。こんな事を言ってしまう自分に驚愕している。

 なのに、言葉は止まらなかった。一度壁を乗り越えてしまったら、あとは一緒なのかもしれない。どんな罪も、乗り越えてしまったら、そのあとはもう一緒なのかもしれない。

「私だったら、大崎君にそんな顔なんてさせないんだけどな」

 ゆっくりと大崎君と私の視線が合う。言葉の武器を陰で使った私の心は、ズキズキと痛んだ。

 だけど、それでもなんでも、由香里ちゃんに負けないくらい旬君を好きなんだ。

 私は、ずっとずっと旬君が欲しかったんだから――――。

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