第2話 君は優しい
旬と由香里が別れるなんて、俺の中ではこれっぽっちも想像していない事だった。
旬といる時の由香里はいつだって楽しそうに笑っていたし、旬だって、そんな素振りを少しも見せなかったから。
だから俺は、自分の想いをひたかくしにしてきたんだ。亜実の事をからかって、ふざけてバカやって紛らわせていたんだ。
だけど、いつだってそんな俺の視線の先にいたのは由香里だった。
由香里は、俺の気持ちに少しも気付いちゃいない。
旬よりも先に仲良くなったし。旬よりも一番近くに居たつもりだった。
けど、由香里が一番近くに感じたいと思っていたのは旬で、一緒にいたいと思っていたのも旬だった。
実際、ここ一年そうやって由香里の一番近くにいたのも旬だったけれど。
由香里は、二人の楽しそうな姿をぼんやりと眺める。
朝、手を繋いで登校してくる二人を。
昼休みの中庭で、仲良く弁当を食べている二人を。
放課後、弾む足取りで帰っていく二人を。
毎日、ただぼんやりと見ているんだ。
「由香里」
「……ん……?」
頬杖をつき、窓の外を眺める由香里の視線を二人から奪う。
「駅前に新しいカフェができたんだって。由香里そういうの好きだろ? ついていってやるよ」
伸びてきた前髪を指で摘みながら由香里を誘う。
「うん……」
由香里からは、気のない返事しかかえってこない。原因はわかっていても、対処のしかたがわからねぇ。
そんなに落ち込むなって。なんて軽くも言えないし。
俺がいるだろ。なんて、鳥肌もんの臭いセリフはもっと言えねぇ。
けど、初めて川原で静かに泣く由香里を見た俺は、やっぱり由香里の事が好きで、抜け殻みたいになったこいつを放ってはおけない。
「芳成。……帰ろっか……」
由香里は、鞄を掴みふらりと席を立つ。
「おっ、おうっ」
俺も慌てて自分の机の上から鞄をひったくり、由香里のあとを追った。
由香里の少し後ろを歩きながら、小さな背中を見ていた。少し痩せた気がするのは、俺が由香里を想っているからそんな風に感じるんじゃない。旬へ届かなくなった想いが、由香里を小さくしてしまっているんだ。
玄関へ行くと、さっき旬と帰ったはずの亜実が下駄箱に寄りかかっていた。その姿を見て、由香里が小さく息を飲んだのがわかった。
「……亜実ちゃん。しゅ……大崎君を待ってるの?」
由香里は、旬の名前を言い換えて亜実に話しかけた。さっきまで抜け殻だった自分の体に、無理やりいっぱいの空気を詰め込んだみたいな弾む声を出す。
「……うん……。忘れ物……したみたいで……」
逆に、亜実は由香里と視線をうまく合わせられずに言葉がしぼんでいった。俯く亜実。そこへ旬が来て、空気が重くなる。
由香里は、その重い空気を吹き飛ばすようにいっぱいの笑顔を二人へ向けた。
「バイバーイ」
由香里は靴を履き替え、笑顔のまま大げさなほどに二人へ手を振る。
「芳成、行こ」
俺に言ったその顔も笑っていたけど、目は泣きそうに揺れていた。
少しだけ小走りに玄関を出る。校門が近づくにつれ、その足取りはゆっくりになり肩は落ちていった。小さい背中が、また一回り小さくなった気がした。
優しくなりたいと由香里は言った。
あの日の川原で、夕陽みたいな優しい人になりたいと言った。
だけど俺は、亜実のことをを気遣い、笑顔を見せた由香里は優しいと思う。二人に頑張って笑顔を見せた由香里は、もう充分優しいと俺は思う。
由香里の一歩うしろを歩く。小さくなってしまった背中が泣いているみたいだ。
無言のまま、駅までの道を歩いた。
道路を走り去る車も、歩道を行きかう人や自転車も。今の由香里には、別の世界のものなのかもしれない。
由香里は今、自分の中にある悲しみの世界で足を踏ん張っている。寂しさになんか負けたくないって、両足を踏ん張っている。
駅が近くなった頃、由香里が急に立ち止まった。
「どこ?」
「え……?」
「だから。新しいカフェは、どこ?」
隣に居る俺の視線をうまく捉えられないみたいに、瞳が泳いでいる。声は、さっき二人にバイバイって言った時みたいな明るい声だった。
「本当は、芳成がそのカフェに行きたかったんでしょ? 仕方ないから付き合ったげる」
泳いでいた視線がやっと合った。
わざと頬を膨らませ、我儘を装うその目は揺れている。
俺にまで強がって見せる由香里が、いじらしくて仕方なかったから、ケツのポケットに捩じ込んでいたハンカチを取り出し差し出した。途端、由香里の目から大きな粒が零れ落ちた。
「……だからっ……。ハンカチ、クシャクシャだってばぁ……」
由香里は、泣きながら笑う。ポロポロとこぼれる涙を、クシャクシャのハンカチで押さえて笑う。
「芳成って、ホント優しいよね」
涙を拭いながら由香里は言う。
「由香里だって優しいじゃん」
俺の言葉に由香里がまた泣きながら笑った――――。
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