未熟色の君たち

花岡 柊

第1話 優しい色になりたい

「旬の奴。最近、変わったよな」

 玄関で上靴を脱ぎながら、芳成は言う。私は、ローファーのつま先を鳴らし校庭に目をやった。

 夏の太陽は、キラキラと眩しい。その輝きが、校舎の窓ガラスにたくさん反射していた。

 校庭に設置されている、サッカーゴールから少し離れたところに、亜実ちゃんは自分の鞄と旬の鞄を大事そうに抱えて立っていた。

 亜実ちゃんの視線の先には、旬がいる。

 サッカー部が片付け忘れたボールでリフティングをし、旬は得意げな表情をしている顔は凄く楽しそう。

 あと数時間のうちに柔らかな色の夕陽はやってくるのだけれど、その柔らかな光さえキラキラの太陽に変えてしまいそうな笑顔だ。

 玄関先に佇み、私はそんな二人をただ見ていた。

 靴を履き替えた芳成が私の肩に腕を置き、体を預けるようにして後ろに立つ。その目も、旬と亜実ちゃんの楽しそうな姿を見ていた。

「旬の奴。スンゲー楽しそうな顔。あんな顔する奴だったっけ?」

 芳成は、いつまでも私に寄りかかるようにして立ちながらそんな風にこぼす。

 旬が何であんなふうに笑うようになったのか。確かなのは、亜実ちゃんが旬の傍にいるようになってからということ。

 芳成は、亜実ちゃんのことが好きだったと私は思っている。よくちょっかいをかけてはからかったりしていたし、そんな風にしている時の芳成は楽しそうに見えたから。

 亜実ちゃんも、そんな芳成と楽しそうにしていた。だから私は、てっきり亜実ちゃんが好きなのは芳成だと思っていた。芳成だって、きっとそうなんだと思っていたに違いない。

 だから少しも疑わなかったし、我儘言っては困らせても安心していたんだ。


 長い付き合いの中で、毎日一緒に帰るのが当たり前になっていた。だから、芳成や他の友達とおしゃべりし過ぎて少しくらい待たせる事になっても、あまり気にも留めなかった。買ったばかりのCDを、どうしてもすぐに聴きたいって駄々をこね。買った本人がまだちゃんと聴いてもいないうちに、貸して。なんて家に持って帰っちゃっても意に介さず。用事があるって言ってるのに。どうしても新しく出来たスィーツのお店に行きたくて、無理やりついてきてと我儘をいい。女の子ばかりのその店内で、甘い物が苦手なのも構わず、その目の前で平気で一人パクパクとケーキを食べていた。

 休みの日には、絶対逢いたいとか。手は、つないで歩きたいとか。寝る前には、メールしてとか。いっぱいいっぱい、我儘言って困らせても平気だって思っていた。

 でも、それは平気なんじゃなくて私が鈍かっただけ。

 おかげでこんな風になっちゃった……。

「芳成。ごめんね」

 二人の姿を遠く横目に、私は芳成と校門を出る。

 芳成は、何が? ってとぼけた返事をした。

 私のせいで亜実ちゃんが旬のところへ行っちゃった。私が我儘ばかり言ってきたせいで、旬のところへ行っちゃった。

 芳成は伸びてきた前髪を掻き分け、別に。って洩らす。


 旬は、あんな風に笑う人じゃないって思ってた。いつもクールで、澄ました顔をして、言葉も少なくて……。穏やかに見守る感じが、旬だと思っていた。

 だけど、亜実ちゃんといる時の旬は全然違う。子供みたいに大きな口を開けて、目がなくなるくらい顔を崩して笑う。

 私の知らない旬の顔。

 私が知らなかった旬の顔。

 私が知ろうとしなかった旬の顔。

 私のせいだよね。私が旬を笑わせて上げられなかっただけなんだよね。亜実ちゃんと楽しそうに笑っているのが、本当の旬なんだよね。

 私といた時の旬は、ただ我慢していただけ。我儘な私に我慢して、クールで無口になっていただけ。


「芳成。寄り道したい」

「いいけど……」

 こんな風になった今でも、私は我儘だ。芳成の予定も訊かずに、寄り道の強制をしてしまう。付き合いの長い芳成は、そんな私に文句のひとつも言わずにいてくれる。

 私は芳成を連れて、駅への道をそれて川原へ向かった。

 大きな川は、流れを止めることなく水を運ぶ。流れ続けることで澱みをなくし、きれいな透明感を保つ。

 もう直ぐこの川面に夕陽が映る。この空も、遠くに見える町並みも、全部を包み込む夕陽が映る。その夕陽を、私は見たかった。

 私の我儘は、すぐには治らないかもしれない。けれど、夕陽の優しい色に触れたら、少しはまともになれる気がしたんだ。だから、どうしてもここへ来たかった。

 キラキラ眩しく、旬の笑顔のように輝く川面を、優しく照らす夕陽を見たかったんだ。

「芳成……。本当、ゴメンね……」

 二度目のゴメンね、は鼻づまりになってしまった。

 涙声の私に芳成は、何が? ってまたとぼけた声で応える。

 優しい友達に、私は余計クズクズになってしまう。

 芳成の優しさも少しわけて貰おう。こんな優しい友達、大切にしないわけにはいかない。見放されないようにしなくちゃ。

 遠くから少しずつ染まる空を見つめ、私は優しい色に包まれる。

「芳成。ありがとう」

 頬に伝う涙と一緒に溢れる言葉。芳成の大きな手が頭の上に置かれる。

 ほらよ。って差し出されたハンカチがあんまりクシャクシャ過ぎて可笑しくなった。

 一緒にいてくれて。

「ありがとう、芳成……」

 景色を染める優しい夕陽。

 私もこんな、優しい色を持つ人になりたい――――。

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