世界はひとつじゃない
しほ
無題
君の夢を見る。
その微笑みは柔らかく包み込むような…そう、例えるならばまるで陽だまりのよう。
しかし全体的にボヤけていて誰なのかまではハッキリしない。
だけども『彼女』であることは分かるのだ。
「ねぇ、君は誰なの?」
僕の隣に座る彼女に問いかけるが彼女は曖昧に笑うだけで答えはしない。
ふいに彼女は立ち上がり1度僕の方を見てから視線を空へ向け指を差す。
きれいな青がそこには広がっていた。
そこで僕は初めて此処が外なのだと気付いた。
途端に足元には草花が生えてさわさわと心地よい風が吹き、辺りには木々が音を立て揺れている。
「ねぇ、世界はきっとひとつじゃないよ」
鈴のような声だと思った。
「色んな場所にそれぞれ世界は広がってるの!」
そう言いながら彼女は両手を広げくるりと1周回る。
白色のワンピースの裾がひらりと翻ったと思うとすっと止まって彼女はぼうっと座っていた僕の手を取って立ち上がらせると顔を覗き込んできた。
淡い茶色の透き通った瞳と視線が交わう。
「例えあなたと私が同じ世界にいなくてもね」
「え?」
「確かに私達は存在してるの」
だからね、
「もう泣かないで良いんだよ」
何を言っているんだろう?
何故僕が泣くのだろう?
疑問符が頭を埋め尽くす、
と同時に急にたくさんの記憶が脳内に流れ込んできた。
『お姉ちゃんいかないで』
『ごめんなさい』
『僕のせいで』
部屋には幼い僕がいて、
僕は、ひどく泣いている。
そばには横たわり白い布が顔にかけられた…
あれは。
……姉。死んだ、姉。
全てを思い出した。
その日、当時小学1年だった僕は高校受験を控えた姉と久々に公園で遊ぶ約束をして一緒に朝から出かけたんだ。
そして姉との会話に僕は夢中になって両腕で抱えいたボールをうっかり手放してしまい、
そのボールは運悪く道路へと転がってしまったんだ。
それを慌てて追いかけた僕の耳に唐突に大きなブレーキ音が飛び込んできたのだ。
驚いて音の方向を振り向くと大型のトラックが目にうつり……
一瞬だった。
「悠!」
姉は僕の名を呼び思い切り僕を歩道へと突き飛ばした。
刹那、鈍い衝突音がし姉の身体は宙を舞ってそのまま地面へと叩きつけられた。
真っ赤な血が周囲に飛び散る。
僕はただ呆然と転げた体勢のままその光景を見ていて、気付けば全て終わっていた。
それから遺体が病院から帰ってきて両親に呼ばれ冷たく動かない姉と対峙して僕は初めて泣いた。
自分がしでかしたことを幼いながらもしっかりと認識して罪の意識から泣いた。
ひたすら己を責めた。
そしてそれは大人になった今も変わらない。
「姉ちゃん」
目を開けると元いた場所に僕は立っていた。
嗚呼、そういうことか。
長い黒髪も僕より少しだけ薄い茶色い瞳も
着ていたワンピースも華奢な身体もあの時のままだ。
『悠、もう自分を責めるのはやめよう?』
「うん、ごめん心配させて」
姉も僕も涙を流しながら
両手を繋いで額をくっつけた。
『私はあの時、悠、あなたを救えたことちっとも後悔してないよ』
「うん」
『だから、もう自分を縛るのをやめて?』
「うん」
『見て、道はたくさんあるんだよ』
姉は僕から離れると僕の背後に指を差す。
「本当だ」
振り返るとそこには何本もの道ができていた。
『さぁ行って』
僕の背中を軽く姉は押した。
「姉ちゃんは?」
『私はココまでだから』
姉は困ったように笑う。
僕もつられて少しだけ困り顔で笑う。
すうっと深呼吸して、目を開け先を見据えると覚悟を決めた。
「そっか……もう僕行くよ」
『うん……バイバイ』
涙混じりの声で、だけどもきれいな笑顔で姉は手を振る。
僕も目に涙を溜めながらしかしそれを悟られないように姉に背を向け後ろ手に手を振り歩き出した。
ここから先は姉は行けない。
それは分かっていた。
死者と生者それぞれの世界にかえるのだ。
姉が言っていた世界はひとつではないというのを信じるならば。
『悠!』
背中越しに僕を姉が呼んだ。
『お父さん、お母さんによろしくね!』
「うん、わかってるよ」
姉に背を向けたまま軽く手を上げて答える。
姉の方をとてもじゃないが振り向けなかった。
涙をボロボロ流して鼻水塗れの汚い顔面を見られたくなかったのだ。
けれど背中越しに彼女が笑みを浮かべたのがなんとなく分かった。
『ありがとう』
その一言を最後に姉の気配は完全に消えた。
そして僕は道を進み、暫く歩くと大きな扉の前と辿り着いた。
躊躇しながらも重い扉を開けると急に光に包まれたかと思うとそのまま意識を失った。
「「う……ゆう……」」
遠い両親の呼ぶ声に僕はうっすらと目を開けた。
「「悠…!」」
驚きと喜びの感情に溢れた大声が室内に響き渡る
どうやら帰ってきたようだ
「目を開けたぞ!先生、先生!息子が!」
バタバタと父親が扉の向こうへと駆けていく。
母親は涙を流しながら膝から崩れ落ちつつも、よかったよかったと僕の手を両手で握っている。
母の手のあたたかさと様々な機械音に薬品の臭い、それらによってじわじわと現実感が押し寄せる。
嗚呼、帰ってきたなぁ
死ねなかったなぁ
また助けられちゃったな
姉ちゃんに。
そう、僕は先日自殺を試みたのだ。
罪の意識に耐えられなかった。
だから20歳の誕生日に首を吊った。
姉のところへ行って謝ろうと思ったのだ。
実際上手くいった、会えたのだし…
結局は帰されてしまったけれど。
うん、分かったよ
生きていくよ
前を向くよ
僕は暫くそっちへはいけなくなったよ
姉ちゃん。
あなたがくれた命を大事に守って生きてくよ
それにはまずは
「ねぇ、母さん、聞いて、あったんだ」
姉ちゃんに。
ずっと寝ていたせいで喉がヒリヒリするが気にせず掠れた声で途切れ途切れに話し出す。
母は笑みを浮かべ微かなその声に耳を傾けた。
「そう、あの子に会ったの……良いわ、聞かせて?母さんに」
さぁ語ろうかと口を開けたその時病室の開いた窓から風が吹き込みカーテンをふわりと揺らした。
『がんばれ』
何処かでそんな声が聞こえたような気がした。
優しい声が。
世界はひとつじゃない しほ @Shihonyasuke0130
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