黄昏夜話

猫目 青

硝子ノ中ノ桜ノ世界

 かの有名な小説家坂口安吾は言った。桜の下には死体が埋まっていると。

 その言葉を日々思い出しながら、僕は塾の帰りに通りかかる並木通りの桜を見つめる。月光に照らされた桜は、白い花びらを蒼く輝かせていた。

 その蒼い花びらを見て、彼女のことを思い出す。去年の冬まで、僕と同じ塾に通っていた女の子。体が弱く、彼女の顔はいつも月光に照らされる桜のように蒼白かった。

 でも、白を通り越して青い静脈が透ける彼女の肌ほど美しいものはない。僕の頭上へと儚く落ちていく桜のように、彼女は儚く、頼りない存在だった。

 柳の下には幽霊が出るとよく言う。でも、柳腰なんて言葉がある通り、柳は古代中国の時代より女性の美しさを表す言葉だった。

 桜も、日本神話において天皇家の先祖たる邇邇芸命の妻コノハノサクヤ姫の化身とされている。桜は美しさと短命の象徴でもあるのだ。

「短命……」

 桜を見あげ、僕は小さく呟いていた。この瞬間にも散り続ける桜の花は、あと数日もしたらあとかたもなくなくなってしまう。

 まるで、彼女の命のように――

 そのときだ。桜の下から音がした。

 ごりごりと、土を掘る音がした。

 僕は、桜の下の盛り上がる土へと顔を向ける。

 あぁ、来てくれた。やって来てくれた。

 彼女が、来てくれた――

 僕が微笑んだ瞬間、地面にぽっかりと穴が開く。

その穴の中から、細い手がするすると伸びてきた。月光に照らされる手は、桜の花びらよりもなお白く、青い静脈をくっきりと浮かびあがらせている。

彼女の手だ。

僕の愛しい、彼女の手だ。

僕を呼ぶかの如く、手はゆっくりと僕を誘う。ひらひらと彼女の指が宙を舞う。

僕は笑みを深め、彼女の手へと駆けていた。僕が近づくと、穴の中へと戻っていく。

僕はしゃがみ込み、穴の中を覗き込んでいた。

彼女がいた。死んだはずの彼女の顔が、ぽっかりの暗闇の中に浮いている。

彼女の顔は、ホルマリン液に満たされた大きな瓶の中に入っている。先ほどまで僕を誘っていた彼女の手は、2組纏めて瓶の中に入っているし、彼女の美しい脚は細長い水槽の中にしまわれている。彼女の胴体は円柱の大きな水槽の中にあった。

彼女の体はバラバラにされ、それぞれの部位が、大きさが凸凹なホルマリン溶液の入った瓶の中に入っているのだ。

そして、その瓶たちは穴を覆う暗闇の中にぽっかりと浮かんでいる。

 僕が彼女をバラバラにした。

 僕が彼女をホルマリン溶液に漬けて、彼女が大好きだったこの桜の木の下に埋めた。

 それが、余命いくばくもなかった彼女の遺言だったから。

「そうそう、ちゃんと友達も連れてきたよ。また、頭だけだけどいい?」

 彼女との約束を思い出し、僕は持っていた黒いバックに手をかける。バックの中には、大きな瓶が入っていた。取り出してみると、月光に煌めく瓶の中に少女の首が入っていることが窺える。

 うっすらと眼を開けた少女の表情は、とても穏やかだ。

 首を鉈で切断する寸前まで、悲鳴をあげて怯えきっていたのが噓のよう。

 それほどまでに少女は彼女に会いたかったのだろう。

 少女は、彼女の親友だった。

 僕と共に、死にゆく彼女を共に看取った、僕にとっての友人である。

 死んだ彼女に会いたいという願いを叶えるため、僕は友人をホルマリン漬けにしてあげた。

「ほら、仲良くね」

 ころんと、穴に少女の入った瓶を入れる。瓶は闇の中で浮かびあがり、ホルマリン漬けになった彼女の元へと向かっていく。

 少女の瓶を見つめながら、彼女の首は幸福そうに笑っていた。

 ふわりと、彼女の首の周囲にたくさんの瓶が集まってくる。彼女のもとに集まった瓶の中には、それぞれ人の首がホルマリン漬けにされて浮いていた。

 彼女の家族に、親類に、そして友人たち。

 全て僕が、彼女が寂しがらないよう、ホルマリン漬けにした人々だ。

そしてホルマリン漬けにされた愛しい人々がこの穴に放り込まれる度に、彼女は嬉しそうに微笑んでくれる。

 その笑顔を見るために、僕はどれだけの人をホルマリン漬けにしてきただろうか。

「今度は、妹を連れてきてもいい?」

 ふと、僕の妹が彼女に懐いていたことを思い出し、僕は彼女に問いかけていた。瓶に入った彼女の首が僕を見あげ、満面の笑みを浮かべてくれる。その笑顔を見て、僕の顔にも微笑が浮かんでいた。

 さて、家に帰る前にガラス屋さんに寄ろう。

 妹の首にぴったりな、素敵な硝子瓶を買うために。




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