終末のローエンハイム

暮石斗夢

第1話 終末のローエンハイム

 年じゅう灰と煙が空を舞う都市の外れに、みごとな小麦畑と一軒の古びた屋敷がある。そこはローエンハイムと呼ばれる施設で、経営する男の名はノックスという30を過ぎても所帯を持とうとしない、変わり者であった。


「おはようノックス。起きないと、そのチャーミングなお顔にキスするわよ」


 雪解け月の早朝。

 彼はローエンハイムで生活を共にするマリアの声によって目を覚ました。

 まだ幼さとあどけなさが残るもの、意思の強そうな顔立ち。

 吸い込まれるサファイアのような瞳。

 そして腰まで伸びた緋色ひいろの髪が『彼女』というものをよく表していた。

 そんな彼女が珍しく意気揚々としていたので、ノックスがその理由を当てるのに時間はかからなかった。


「今日はイチゴの収穫時期だったか、すっかり忘れていたよ。マリアがそんなに苺へ執着しているとは思わなかった」


 ノックスは床に落ちた毛布に手を伸ばすも、マリアは急いで毛布を両手で抱え部屋の奥に投げてしまう。

 恨めしく見るノックスに、彼女はしれっとした表情で言った。


「私はこんな格好でも、ぜーんぜん平気だわ。アディが温かいコーヒーを淹れているから、飲んだらすぐにイチゴを摘みに行きましょう」

「そうだね。でも服は着なさい」

「ムラムラしてこない?」

「さむそう」

「あらそう、つまらない人ね」


 マリアは下着を身に着けただけで、焼け焦げた人工肌と右腕の関節部分から見える鉄骨がなんとも痛々しかった。

 彼女は痛覚を持たぬ自動自律アンドロイドであり、ノックスの視線に気づいて右腕を曲げるも、不満を言うでもなく。

 むしろ挑発的な笑みを浮かべてノックスに言うのだ。


「もしかして、鉄の乙女は嫌いかしら?」

「さぁ」

「退屈な人。ねぇキスしてもいい? 貴方の顔って、とってもチャーミング」

「嫌だ。寒いから」

「あらそう。つまらない」

「さぁ下に降りようか。あまりアディを待たせられない」

「時々思うのだけれど、人間て不便よね」


 マリアの一言に、ノックスは苦笑を浮かべるしかなかった。



 中庭は、愛がつまっている。

 ローエンハイムの中庭はもはや手入れをする庭師もいないため、ノックスはかつては見事な薔薇庭園ばらていえんだったその場所を、せっせと改良して小さな農園にしてしまった。今年は厳しい寒さが続いたが、寒さにも強いダイコンは保存食として大いに活躍してくれた。

 ノックスは雪に埋もれた傭兵ロボの残骸ざんがいに声をかけて、しんと積もる雪地を歩く。そんな彼の後ろから、即興でつくった歌をうたいながら、マリアが陽気なステップを踏んでいた。

 

「ザーク、アトム、それからここはローエンのお墓~」


 素足で飛び出すマリアが、雪を踏んで踊る。

 中庭に眠る、今はもう動かない自律機械たちの名前を言いながら。


「ザーク、アトム、それからここはローエンのお墓~、ほら一緒に踊りましょう」

「ねぇマリア、さっきからさ」

「なにかしら、ほらあなたも一緒に踊りましょう。暖かな日差し、鳥の歌声、あぁもうすぐ春ね。技術士のハルは嫌いだけど、季節の春は大好き。だって心が躍っちゃうんだもの。それって無理もないことよね。そう思わない、ノックス?」

「はしゃぐと転ぶよ、気をつけてね」

「大丈夫よ、そんなヘマはしない……あっ」


 口にした直後、雪で足を滑らせたマリアは鈍い音をたてて転んでしまった。

 揺れる電子映像と、乱れる出力と情報量に、マリアの顔は歪む。

 記憶の底に眠る、失ったはずの衝撃と悲しみが熱の波となって押し寄せた。

 マリアたちアンドロイドにとってこれは痛いものであり、嫌なものであった。


「大丈夫?」


 ノックスの問いかけが、鐘楼しょうろうを突いたように頭に響いて、マリアを苦しめる。

 気づけば彼女は、声にならない声を上げ、のた打ち回っていた。


「やだ、これ嫌い。すごく嫌いよ。嫌いなの、怖いのは嫌いなの……」


 突然肩を激しく震わせるマリアに、異変だと気づいたノックスは駆け寄った。


「動ける?」

「動けるわ。でも嫌いなの、すごく嫌い。ノックス、この雑音を消して。嫌いなの。うるさいの、やめて!」

「分かったよ。すぐにハルを呼んでくる」

「い、嫌、ハル嫌い。あいつ怖い、嫌いなの。助けてよノックス、助けて!」

「ハルは技術士だ、すぐに痛いのを直してくれる」

「痛くなんてないわ、怖いのが嫌いなの! 怖くなんてないわ、い、痛いのが嫌いなの! 嫌いなんてないわ、わわ……こ、怖いのが痛いの……が、がが……わわ……つみ……じゃない……」


 激しく全身を痙攣させ、終いにはぴくりとも動かなったマリアを、ノックスは悲しげな表情で抱えていた。

 運が悪ければ、このまま目を覚ますことなく、マリアはその生を終えてしまう。


 彼女だけではない。

 ローエンハイムで暮らす機械はみな、どこかに重大な欠陥を抱えている。

 人で言うところの病気――それも決して治ることのない、不治の病をだ。

 それがどんなに悲しいことか、ノックスは知っている。

 

 ノックスは『見届け人』と呼ばれる職業に勤めていた。

 10年も前に起きた機械人形たちによる集団乱射事件を覚えているだろうか?

 何年も、何百年も警備を任されていたオート・マターたちが突然に人を襲い、全くの無害な住民を殺した凄惨な事件だ。

 原因は、老朽化ろうきゅうかした彼らのシリーズをまとめて処分しようとまとめた書類を、彼らが偶然にも見てしまったからという。

 人の為に生まれ、尽くしてきた彼らは、捨てられることを恐れて犯行に及んだ。

 都市に住まう人間たちは、その一件を機に頭を悩ませた。


 人と機械は、互いを必要とする関係にある。

 しかし、今さら全ての自律機械を破棄するわけにもいかない。

 しかし対策を講じなければ、住民は納得しない。

 散々の議論の末、都市は一つの結論を生み出す。

 欠陥した自律機械が悪事をなさぬよう、惨事を繰り返さぬよう、

 都市のなかで隔離し、管理することを。


 誰かが、その役目を果たさなくてはいけない。

 元技術士のハルに言わせれば、それは人間らしい知性を機械に与えてしまった人間の業なのだと。


「そもそも感情を機械に押し付けるのは冒涜だ。そろそろ納得したらどうだ、ノックス」

「芽生えた感情を摘み取るのがどれほど残酷なものか、それは人の手でしてはならぬ禁忌だ」


 実際ハルの理屈も一理ある。

 以前マリアを所有していた男というのはひどく屈折した性格の持ち主で、人知れず弱者を痛めつけることで生きがいを感じていた屑だった。踊り子人形として世に広まったアンドロイドであるマリアは、10年という長い月日を地下室に閉じ込められ、感覚機能が使い物にならなくなるまで虐げられたらしい。


 ハルの助言もあり、一度は記憶の消去にも成功したが、しかし彼女は今も苦しんでいる。

 暗い部屋で1人になったり、またどこかをぶつけたりすると彼女は発作やパニック症状にも似た状態に陥ってしまうのだった。

 年々ノイズは激しさを増し、今回は幾つかの部品の交換を余儀なくされ、再起動するのに2日もかかってしまった。


「イチゴは収穫できたのかしら?」


 意識が戻るなり、実にマイペースなマリアにノックスは思わず笑ってしまう。


「まだだよ、君が楽しみにしていたからね」

「それは誤解よ。食べるのが楽しみなの」

「君が食べるの?」


 きょとんとした表情のノックスに、マリアは笑った。


「あいかわらず、残念な人ね。取れたての食事を口にする貴方たちを見ているのが好きなだけよ。あの下らない男よりずっとチャーミングなの」


 ノックスとハルは思わず互いに顔を合わせてしまった。

 消したはずの記憶を、彼女が思い出したことに驚いたからだ。

 しかしそれ以上に驚いたのが、かつての悪夢を思い出してもなお、マリアが変わらぬ状態であることにだ。


「機械もね、環境が変われば成長するの。人間の特権だって思うのは、それちょっと傲慢よ」


 呆れ顔になったハルが、ノックスの肩を叩いてこう言った。


「大した奴だ、保証する。こいつは壊しても死なない」

「はは。まぁせっかく意識が戻ったんだ。お祝いでもしよう」

「イチゴ、忘れないでよね」


 本当は食べたいのでは、と思わずにはいられないその口ぶり。

 ノックスは渋々頷く。

 少しふらつきのあるマリアの手を繋いで、すっかり雪のなくなった庭園へと足を運んだ。

 瑞々みずみずしく潤った赤い宝石を手に取り、マリアは笑う。


「ジャム、ケーキ、砂糖漬け、他には何がある?」

「さぁ。考えるの得意でしょう、人間って」

「自分の誕生日すらろくすっぽ覚えていないこの僕が?」

「そんな貴方も素敵よ」


 腰を下ろし、まだれぬ緑色の果実をそっと手にしながら、マリアは言った。


「ねぇノックス」

「どうした、マリア?」

「お礼を言いたいわ。今日という日を私に与えてくれたことに。いつか言えなくなったら、困るから」

「こっちこそありがとう」

「どうして?」

「いつも傍に居てくれたからさ」

「そういう言葉は、好きな彼女に言ってあげるのね」


 ノックスは苦笑し、マリアはその表情を愉快ゆかいそうに眺めていた。

 マリアが機能を完全に停止したのは、それから二日後のことである。

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終末のローエンハイム 暮石斗夢 @crazy-tom

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