第十一回 蕩児たち(前編)

 雷蔵は、城下を歩いていた。

 晩春の穏やかな日差しの中である。空には、数えるほどの雲しかない。

 供は一人。ずんぐりとした体を揺らして、風呂敷荷物を抱える中年の小男。平山家執事の佐々木三郎助である。


「もうすぐでございます」


 三郎助の言葉に、雷蔵は頷いた。

 城下での住まいは、百人町にある平山家の別邸だった。

 平素は殆ど使っていない。かつて、祖父や父は城下滞在中に使っていたというが、管理を任されていた老夫婦が死んでからは、空き家同然と化している。

 赤茶色の土塀に沿って歩き、曲がった所で三郎助は歩みを止めた。


「此処でございます」


 狭くもなく広くもない屋敷だった。猫の額ほどの庭もある。一見して、特に不便もなさそうだ。百人町という立地もいい。

 ただ、下士に属する徒士組屋敷がひしめく百人町の一角に、何故に上士である平山家が居を構えているのかが謎である。三郎助に訊いても明確な答えは無かった。


「これは良さそうだな」


 そうした疑問をよそにして言うと、三郎助が満足そうに頷いた。


「中も今日から使えるように綺麗にしておりますよ」


 屋敷に入ると、下女と老僕が忙しく掃除をしていた。この二人は、建花寺村から先に来ていた平山家の奉公人である。

 下女は出戻りの大年増で、老僕は代官所で草履取りをしていた。二人共、平山家での奉公は長い。


「仮住いには手頃だな。長く使ってなかったとは言え、綺麗に片付けられている」


 雷蔵は三郎助に向かって言った。父との旅で、野宿や荒屋あばらやでの起居には慣れたが、だからとて不潔で暮らしたいとは思わない。基本的に、綺麗好きである。


「二人とも、宜しく頼みます」


 雷蔵は女中と老僕を呼ぶと、二人にそう言って頭を下げた。

 別邸で、この二人と同居する事になっているのだ。雷蔵は、一人でいいと言ったが、三郎助が賛成しなかった。

 曰く、


「役目で身の回りの事をする暇はないでしょうから」


 らしい。だが、その実で、


「屋敷に女を呼ばない為ですよ」


 と、ほくそ笑んで附言した。

 つまり、お目付け役という所だ。思えば女中も老僕も、三郎助に信任厚き者である。


(狸親父めが)


 流石にムッとしたが、これが佐々木三郎助という男である。こうした老婆心や小癪さに、当家は守られている。それに、身の回りの事を気にしなくていいのは有難い事だ。

 雷蔵は掃除を三人に任せ、私室として使う一間に入った。

 七畳の部屋で、床の間には季節の花が活けられている。名は知らぬが、黄色の花を咲かせている。女中による、心遣いであろうか。

 雷蔵は縁側に座ると、懐から帳面を取り出した。

 そこには、堂島丑之助の生い立ち、交遊関係、思想など関わる事全てが記されている。

 これは今朝、建花寺村を出る直前に父から渡されたものだ。調べ上げたのは廉平であると言われた。

 兎にも角にも、まずは堂島丑之助という男をよく知る事だ。

 漢土もろこしの孫子も、


「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」


 という言葉を残している。己の実力は知っているので、後は敵を知る事だけだ。

 雷蔵は、その帳面を一刻ほど黙読し、全てを頭に叩き込んだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日も晴れた。

 今朝早く三郎助が建花寺村に帰り、それを追うようにして雷蔵も城下を発った。

 目指すは、菰田郡こもだぐん大分村だいぶむら。堂島丑之助の故郷である。

 道筋は簡単だった。築那街道を途中まで進み、それから砥石山をを目指して歩けばいい。砥石山は、夜須南部に屹立する名山の一つ。それさえ見据えれば、迷う事も無い。


「雷蔵様」


 野道を歩いていると、そう声を掛けられた。庚申塔の陰。廉平だった。煙管を手に腰を下ろしている。格好と持ち物を見るに、笊売りに変装しているようだ。


「廉平か」

「早速、探索でございやすか」

「待っているだけでは性に合わないからな」


 雷蔵も横に腰を下ろした。腰にぶら下げた竹の水筒で喉を潤す。城下を発して、今まで歩き通しだった。


「なるほど」


 丑之助を待つのではなく、見つけ出して斬る。

 雷蔵は、そう決めていた。丑之助捜索に、目尾組が血眼になって動いてはいるが、それを待っているだけというのも能が無いし、利景の命を狙っていると聞いて、ただ何もしないという事も出来ない。

 それに、御手先役は時として藩外でお役目に従事する。その時には独自に動き、探索し、判断しなければならないのだ。こうして動く事は、よい修練にもなるだろう。当然、父からの許可も得ている。


(丑之助は何処から現れるのか?) 


 雷蔵は、そこに重点を置いていた。

 潜伏した丑之助を探すのは骨だ。ならば、夜須に入る所で、待ち受ければいい。

 夜須藩は、四方を山に囲まれた盆地である。外に通じているのは、北陸に通じる関陸街道、江戸と繋ぐ南山道、宇美津へと続く築那街道の三つの陸路。そして、盆地を両断するように流れる大河・波瀬川の舟運路しゅううんろの四つとされているが、他にも裏街道を含めれば細かい道が幾つもあり、更に山人だけが知る道を含めれば数えようがない。山人の血が流れる丑之助は、隠された山人の道を知っていると思っていいだろう。

 それを、敢えて読む。その為には、丑之助が何を考えているか? どう育ったのか? 丑之助という男の、全てを知る必要があるのだ。報告書は読んだが、それは廉平の目を通しての情報で、自らの耳目で得たものではない。廉平の力量を疑うわけではないが、最後に信じるのは自分の感覚。そして能力だけだ。


「雷蔵様。この方角を見るに、大分村へ行くつもりでございやすね」

「そうだ」

「また因縁深い場所に」

「堂島の故郷だよ」


 大分村は、武士でありながら城下で暮らす事を禁じられた、〔伊川郷士〕の集落である。

 伊川郷士とは、戦国の御世に当地を支配していた、伊川氏の遺臣達だ。名字帯刀を許され藩卒として任用されているものの、その性質や暮らしぶりは百姓と然程変わらない。むしろ、年貢を取り立てられ、かつ公務があれば駆り出される分、その生活は厳しいと三郎助に聞いた事がある。


「探索の具合はどうだ?」

「少なくとも、まだ夜須には入っておりやせん。関東にも達していないようでございやすね。先日、岐陽(美濃)で首の無い亦部亀三郎の骸が見付かったとか」

「亦部……亦部忠左衛門のご子息か?」

「ええ。仇討ちをと、堂島を追っていたそうですが」

「返り討ちか」

「凄腕でございやすからねぇ」


 と、廉平が煙管を差し出す。雷蔵は首を横にした。


「しかし、堂島も可哀想な男でございやすよ」

「何が?」

「生い立ちでございやす」

「愛してくれる家族がいないわけではない。私が言えた義理ではないが、両親がいない子など珍しくない」


 丑之助の両親は、早くに死んだ。まず山人であった母親の菓知かちが、産後すぐに死んだ。父親の善助は後添いを貰い、継母との間に子も為したが、丑之助が十の時に善助は病で死に、継母も子を連れて堂島家を去った。その理由は、堂島家より裕福な伊川郷士の家に再嫁する事が決まったからだそうだ。また継母には、病床にいた善助を尻目に男を作っていたとも噂があったが、真偽のほどは確かではない。美しい美貌から、近所の女房衆に妬まれたそうでもある。

 一人になった丑之助を養育したのが、亡父の祖父母だった。その祖父は堂島が京に旅立つ前年に病死し、今は祖母が一人、大分村に住んでいるという。

 全て、廉平が調べ上げた情報だった。そして、その情報は頭に叩き込んでいる。


「廉平」


 雷蔵は立ち上がると、おもむろに口を開いた。


「小忠太の事だが」

「雷蔵様。何も言わんでくだせい」

「しかし、私は小忠太を」

「己の慢心が死を呼び込んだんですぜ。しかも、その仇は清記様が取られた。忍びにとっちゃ、幸せな事ですよ。仇を取ってもらうなんざ。だから、あっしが言う事は何もございやせん」

「……」

「とんだ馬鹿野郎だ。小忠太の奴は。だから、雷蔵様は気に病まんでください」

「そうか」


 小忠太は、廉平の甥だった。そして相棒になれると思った男だったが、黒河藩の黒脛巾組に殺害された。その事について、忸怩たる思いがある。


「雷蔵様は、堂島を斬る事だけを考えてくださいまし」

「ああ、そうだな」


◆◇◆◇◆◇◆◇


(暗いな……)


 菰田郡を歩いてみて、雷蔵はそう思った。

 何となく暗く、領民の表情は冴えない。伊岐須群のように治安が悪いわけでもない。現に浪人の姿は少なく、各郡に比べて安全な方だろう。それでも菰田郡を暗いと感じさせるのは、きっとこの土地に染み付いた怨念のせいではないだろうか。

 菰田郡は、伊川郷士が最も多く暮らす郡である。というのも、この菰田こそが伊川氏の本拠だったからだ。砥石山の山頂には、伊川氏の本城であった砥石城の跡が残っているし、その麓に広がる大分村はかつての城下町だった。伊川氏は、第十二代当主・伊川春直いがわ はるなおが栄生氏に斬首されたのを最後に血脈は途絶えだが、その遺臣はこの地で生きる事を許され、それが綿々と今に繋がっている。

 彼らにとって、栄生氏、そして夜須藩は未だに征服者なのだ。父にそう言われた事がある。確か、夜須勤王党を追っていた時の事だ。伊川郷士から、多くの勤王派が生まれた。その要因となったものが、栄生への怨念なのだとも、父が言っていた。

 それでも、菰田郡の統治に隙は無かった。今の菰田代官は、桑山彦三郎くわやま ひこさぶろう。最近、代替わりをしたばかりの若い男である。

 桑山家は、かつて伊川氏の家老職にあった。言わば伊川郷士なのだが、栄生氏が夜須へ国入りすると、早々に主家見限り栄生陣営へ鞍替え。更に、伊川討伐の先兵となった功により、大組の地位と代官職を世襲する事になった経緯がある。


(中々えぐい仕打ちをする)


 と、その話を聞いた時に思ったものだ。

 主君を裏切った桑山に、伊川氏遺臣の統治を命じたのだ。しかも、現在に至るまで二度、桑山を排斥しようとする動きが伊川郷士の中に起こり、一度だけ菰田代官が斬り殺されている。それでも藩庁は、桑山を代官職から外す事はしなかった。その真意は判らない。が、まるで敵とはいえ、裏切りの責任を取らせているかのように思える。所謂、見せしめなのだろう。

 そうした様々な怨念が、この菰田郡にはあるのだ。

 大分村に入ると、何故か人目を引いた。

 雷蔵は立ち止まり、周りを見渡した。野良仕事をする人々の視線が突き刺さる。


(なるほど)


 着ている物が上等過ぎるのか。泥に汚れる伊川郷士の着物は、使い古された雑巾のようになっている。


(もう少し、気を利かせた方が良かったか……)


 多少後悔しながらも、堂島家の門を叩いた。

 現れたのは、腰が曲がった小さな老婆だった。身体が不自由なのだろう、柱に掴まってやっと立っている。


(この人が、育ての親か)


 顔の深い皺には、長年の苦労が滲んでいる。雷蔵を見て恐縮する老婆に、


「私は樋口半太郎ひぐち はんたろうと申します」


 と、変名を名乗り、京都で堂島に大変世話になったと告げた。


「樋口様は、丑之助のご友人でございますか?」


 老婆の皺顔がハッと明るくなり、雷蔵は頷いた。勿論、嘘である。多少心も痛むが、話を聞く為には仕方ない。


「そうですか、そうですか」


 老婆は嬉しそうに雷蔵を中に導いた。

 小さな家だ。古くなっているが、掃除は行き届いている。そこに、貧しいが郷士であり武士という気概が感じられた。


「何もございませんか」


 と、老婆は震える手で盆を運んできた。悲しいほどの、薄い色をした茶である。

 雷蔵はそれを飲みながら、半刻ほど話をした。その殆どが、老婆が語る堂島の思い出話である。孫自慢とも聞こえる内容であったが、雷蔵は根気よく耳を傾けた。そうした話から、堂島の精神性を知る手掛かりが掴めるかもしれないのだ。


「あの子は、『やっとう』を習う前は大変な悪ガキでしてね。でも、剣術に出会ってからは人が変わったのです。『いつか剣術で楽をさせてあげるんだ』と、いつも庭先で竹刀を振っておりました」


 と、しみじみ語りながら、老婆は膝の上に置かれた皺だらけの手に目を落とした。慈愛と寂しさに満ちた眼差しである。

 慈母。そうしたものがあるのなら、目の前の老婆はまさにそうであろう。母を知らぬ雷蔵にとっては、微かな羨ましさを覚える。


「それに、わたしによく懐いていました。怖い夢を見た夜なんか、一緒に寝たものです」

「お婆ちゃんっ子だったのですね」

「ええ。今じゃ夜須藩でも指折りの剣客だというじゃありませんか。その剣で御家に御奉公するなんて、伊川郷士の誇りですよ」

「全く、その通りです」


 それにしても、何と皮肉な宿運だろうか。育ての親を助ける為に磨いた剣の腕を人斬りに利用された挙句に精神を壊し、そして利用された藩から命を狙われる結果となった。


「丑之助は、いつ帰国が叶いましょうか?」


 茶を飲み干した雷蔵に、老婆が訊いた。


「どうでしょう。詳しい事は判りませんが、もうすぐ帰国すると聞きました」

「そうですか。丑之助が帰ってくるのですね」


 老婆が、涙ぐんで手を合わせた。

 嘘ではない。堂島は、じきに帰国するはずである。全くの嘘ではない。そう思い込んでも、したたかな罪悪感を覚えた。


「忘れておりました。これは堂島殿に頼まれたものです」


 雷蔵は、小判を二枚差し出してみた。


「丑之助が?」

「ええ」


 この銭は、情報を得る為の経費として用意したものだ。話す事を渋ったら遣おうと思っていた。


(嘘も方便とはこの事かもしれない)


 そんな事をしても、胸の罪悪感は消える事はない。

 いずれ斬り合う男の、養母。この老いた女の心の支えを、近からず奪うのだ。

 手を合わせしきりに感謝する老婆から、雷蔵は視線を逸らした。

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