狼の裔~念真流血風譚~
筑前助広
設定資料集
年表・関連事件・用語(2017/4/24 夜須藩地図追加)
① 何故、徳河なのか?
この江戸時代は、ある一人の男が転生した事に始まります。
その経緯については、
「転生者徳河家康~人生詰んだ俺が、神君に転生したようです~」
から抜粋します。
「これより、儂は松平から徳川へと改姓いたす。つまり、これより徳川三河守家康じゃ!」
俺は家臣団を前にして、その字が記された紙を掲げた。
ドヤ顔である。決まった。そう思った。しかし、鳥居忠吉が、そっと手を挙げた。
「殿。徳川もよろしゅうございますが、これから更に飛躍する為に、〔川〕よりも大きな〔河〕とすべきでござる」
「え?」
「川を河となさりませ」
「いや、徳河って変だろう、常識的に考えて」
すると、石川数正がおもむろに筆を取り、
〔徳河三河守家康〕
と、書いた。
「殿、意外と悪くないですぞ」
「ふむ。川より大河の河の方が、雄大でいいな」
「忠次、お前まで言うか!」
そう言うと、方々から賛成の声が聞こえてくる。
「殿は器が大きいですからな。徳河がよろしゅうござる」
「ちょ、作左!」
俺は縋るように、仏高力こと高力清長に訊いた。こいつならば、俺の意を汲んで皆を納得させてくれる。
「私も徳河がよろしいかと。
「……」
それから他の家臣も忠吉案に賛成し、それに気圧された俺は同意してしまった。
徳河家康の誕生。
転生者徳河家康~人生詰んだ俺が、神君に転生したようです~
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882069557
② 暫定版新訂令制国地図
http://img1.mitemin.net/fn/sv/j00ba79le0l08m4x50qsclzf4nnq_73z_og_pd_j7a.gif
◆ 新訂令制国事件
徳河秀忠と家光の代に起きた、紫衣事件と春日局参内。幕朝対立のダメ押しとなった最も大きな事件。秀忠が、幕府の威光と権力を朝廷に見せつける為に令制国名改正を求め、天皇は渋々これを受諾。しかし改正の勅令を発すると抗議の退位をして決着を見た。
③ 関連年表
1758年(宝暦8年)
宝暦一件
1760年(宝暦10年)
「天暗の星」スタート
「月京妖し語り」スタート
1761年(宝暦11年)
1763年(宝暦13年)
平山小弥太(雷蔵)誕生
1766年(明和4年)
明和の
1767年(明和5年)
田沼意安、側用人に就任
幕府、京都守護職を設置
1768年(明和6年)
清水徳河騒動(終結は1770年)
佐渡一揆
1770年(明和7年)
幕府、密告を奨励
今上帝・
1772年(安永元年)
田沼意安、老中に就任
1778年(安永7年)
「狼の裔」スタート
1779年(安永8年)
将軍世子・
――史実年表――
1758年(宝暦8年)
宝暦一件
田沼意次、大名に列する
松平定信、誕生
1760年(宝暦10年)
大岡忠光、死去
徳川家治、征夷大将軍就任
1761年(宝暦11年)
徳川家重、死去
1766年(明和4年)
明和事件
1767年(明和5年)
田沼意次、側用人に就任
1770年(明和7年)
幕府、密告を奨励
後桜町天皇、退位し上皇へ
1772年(安永元年)
田沼意次、老中に就任
1779年(安永8年)
将軍世子・徳川家基、死去
④ 時代背景
◆ 宝暦一件(1758年)
1758年(宝暦8年)に起きた、勤王論者弾圧事件。
尊王論者で神道家の
この事件により、幕府は尊王論の高まりを意識するようになる。
◆ 明和の擾乱
1766年(明和4年)から翌年にかけて勃発した、勤王党による叛乱。勤王倒幕を掲げた最初の事件。
武内式部の弟子で、宝暦一件の残党である
この事件で、幕府は朝廷と京都の支配を強める為、京都所司代と京都町奉行の上位に京都守護職を設置。反幕分子の取り締まりを開始する。
◆ 清水徳河騒動
1768年(明和6年)から3年間に渡って起こった、幕府内の政治闘争。
明和の擾乱によって朝廷支配を強化した幕府に反感を抱いた緋子帝が、老中の
◆ そして田沼時代へ――
騒動を終結させた田沼意安は、松平清元の庇護もあり権力を拡大していく。1772年(安永元年)に老中に就任すると、一連の混乱の原因は貧困にあるとし、「株仲間の奨励」「専売制と新税の導入」「新貨鋳造」「俵物など長崎貿易の輸出強化」など幕府の方針を重商主義にシフトさせていく。こうした改革によって好転した幕府財政で、朝廷を立て直して皇室を保護。そして田沼意安はいよいよ鎖国緩和に乗り出すが、それが幕府・朝廷のみならず諸藩にも大きな衝撃を与える事になる。
⑤
作中には、
人別帳に記載がなく、山野に住まう人々です。
史実でいうサンカに近しい存在ですが、そこに穢多やマタギの要素を加えました。
まず山人には二つの系統があります。
山中に幾つかの拠点を置き、季節によって棲家を変える
この二つは対立しているわけではなく、あくまで生き方の違いだけだで、
山人には、独自の言葉があります。
剣=マヤタチ
掟=カガン
集落=ムレ
頭領=ズメロウ など
その彼らの生業は大きく分けて
・狩猟(と、獣肉売買)
・皮革加工
・山菜採取と販売
・竹細工
こうしたものは、山を下りて里で販売します。中には商人と提携する事も。
そして、地域にもよるが、害獣の駆除も依頼されて行います。
貧富については地域差があります。「狼の裔」の舞台である夜須藩では、
その起源は半ば伝説となり判明していませんが、作中のセリフから彼らが信じる起源をご紹介します。
「山人の祖は、古来天朝に服従しなかった民だ。それだけでない。物部、平家、鎌倉北条、南朝、豊臣。敗れざりし残党の血も入っている。つまり時代から弾き出された根っからの反骨が、我々山人なのだ。今更、藩の言いなりになれるというのか」
⑥夜須藩地図(2017/4/24 追加)
http://img1.mitemin.net/lp/fr/fkgsl7v2bmbf8en6c5twm87yhe9w_zlz_xy_jq_2swn.jpg
※地名は順次追加します
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