第3話
午前11時。
私はニュースに描かれた現場へと足を運んでいた。
というのも、やはり指定の口座には一千万円の入金がなされていた。時間は午後の2時頃だという。渉外担当に聞くと、やはり赤いレインコートの女が銀行支店に現れていたらしい。
おそらく『彼女』だろう。
少なくとも彼女はその瞬間まで生きていたことになる。
では、いつ死んだのか、いつ殺されたのか。遺体の状況等が知りたくて、まだ滞留しているであろう警察一味に声をかけることにした。
「し、所長……やばくないですか?」
「そうかね?」
近くに車を止め、荒川の河川敷を歩きながら、私はやはりというべきか、妙におどおどとするカオル君を横目に見下ろす。
「だ、だって、警察に話を聞くとか、確実にしょっ引かれますよッ」
「大丈夫だよ」
「ど、どこからそんな自信がッ!?」
「顔見知りが結構いるんだ」
「それって何回か厄介になった結果、とか言わないですよね」
「察しがいいね」
「だめじゃないですかぁあああ!」
カオル君はやはりというべきか、唖然として足を止めてしまい、私は構わず志野原歩美が自殺したアパートへと歩いていく。
「なんなら車に戻ったらいい。二時間して帰ってこなかったら車を置いて家に戻るといいよ」
「いやいやいやッ、なんですかその警察に今からご厄介にいくところですよみたいな雰囲気出してッ。あそこ喫茶店じゃないですよ宿屋じゃないですよ、留置所ですよぉ!?」
「確かに居心地はいいね、何もしなくても部屋がきれいだ」
「事務所を汚しているのはあんたでしょうがぁ! ていうか毎日僕が掃除しているんですよッ、何をしたら毎日毎日ゴミ屋敷みたいに元通りにできるんですか!?」
「世界の修正力、というやつかね?」
「言うまでもなく手前の責任だアホンダラァ!」
飛んでくる蹴りをよけつつ、僕は帽子の頭を押さえ目深にかぶり、初夏の暑さにわずかににじむ汗をぬぐう。
「さりとて少年。聞き込みをするのは基本だ。自ら動こうとしなければ、情報というのは一生手に入らないものだ」
「普通はソレを地域住民から聞きこんだりして得るものなんですよぉ! 何いきなり警察から聞きこんでいるんですか! それ考えが問題わからなくて模範解答を真っ先に覗く学生と一緒ですよッ」
「リアルだねその物言いは」
「うるさいわッ、いいから所長は探偵らしく行動してくださいよぉ!」
「しかして蛇の道は蛇、というものだよ、カオル君」
「あああああああ!ああいえばこういって、言い訳ばかりぃいいい!」
「ははは」
理不尽に理屈を述べて彼の怒りの矛先を向けようとしていたところ、視界の端に黄色いテープで囲われた場所を発見した。
そこは確かに荒川の川辺に建てられたアパートがあった。
決壊しないよう土で盛られた堤防を挟んで、そこには四つ部屋の小さなアパートがあった。
その周りには、いまだに警察車両が何台かあり、そのアパートの一室の入り口はブルーシートで覆われているようだった。
まだ検分を行っているところなのだろう。私は足を止め、堤防からアパートを見下ろしつつ、機会をうかがうことにした。
「……さて」
「どうするんですか? このまま突っ込んでも犯人扱いするのが目に見えているんじゃないですかぁ?」
「何の?」
「彼女を殺した犯人だと……!」
「そりゃ怖い。でも警察は此れを自殺だと断定したのだろう。報道はそういう記述だったが」
「うーん、でもわざわざやぶをつつくような話でもないと僕は思うわけで」
「―――――へぇ」
「?どうしました所長」
「ふふッ。いや、意外にそうでもなさそうだ」
堤防を歩いて登ってくる人影を二つ見下ろして、その見慣れた影が近づいてくるのを見て、私は笑みをこぼした。
よく知っている人影だった。
私はそのあまりに仏頂面で今にも人をにらみ殺しそうなその人影に手を振って、手招きをした。
「やぁ、ダイスケ。久しぶり」
「―――――シロウ」
まさに苦虫を噛み潰したかのような、顔に皺を寄せた苦い表情。
歩いてくるそのスーツ姿の男は、警察手帳を胸元に携えながら、上着をわきに抱え部下を一人脇に連れてやってきたのだ。
田中ダイスケ。
役職は警視庁所属の刑事官らしい。
そんな彼の、見なければよかったといわんばかりに表情に、私は笑顔で答える。
「久しぶりじゃないか。いつ以来かな?」
「―――――ちょうど一か月前だよ」
「そうだったけ?」
「お前が危うく豚箱にぶち込まれそうになった件、忘れたのか?」
「そんなことあったかな?」
「あったろうッ!手前が電車の中で暴れるから、顔なじみってことで俺が出張るハメになったんだろうが。鉄道警察の管轄のはずがなんでか俺まで巻き添えになるしッ!」
「ああ。アレか。アレは大変だったんだよ。あの後象牙の装飾品を捨てるために、南亜まで行くハメになったんだよ」
「お前どんな仕事を請け負っているんだぁ!?」
「5千万円でゴミを捨ててくださいっていう依頼」
「……もういい。お前にはついていけん」
深いため息とともに、悩ましげに頭をかく彼の顔は、少しやつれていて、私は帽子を脱ぐと、そんな彼の疲れ切った顔をからかって見せる。
「で、そんなついていけない僕の前に、君は何の用かな」
「こっちのセリフだ。何をしに来た……」
「依頼」
「―――――勘弁してくれ」
今にも崩れ落ちそうになりながら、ダイスケはガクリと頭を垂れてため息をついた。
と、私の袖を引っ張りカオル君は怪訝そうな表情を浮かべて、状況がつかめないとばかりに首をかしげて見せる。
「所長、知り合いなんですか?」
「そりゃもう濃厚な関係で」
「殺すぞアホが……!」
「け、田中さん落ち着いて。警察が殺すなんてセリフはいたらシャレにならんですよ」
「くそ……!」
今にも飛びかからんという姿勢で悪態をつくダイスケを押さえつけつつ、そういったのは、隣に立っていた青年。
彼の名前は桑田ヒジリ。彼の後輩でよく彼と会うたびに付き添いで後ろについてくる様を、私はよく見ている。おそらく、彼の部下、という立ち位置なのだろう―――――そんな彼は私を見上げて、少し困ったような表情を浮かべた。
「て、寺田さんも。田中さん少しいらだっているんですから」
「どうしてだい」
「うちの警部が今回現場に来ていて」
「へぇ。珍しい」
「ヒジリぃ! そんなことを言わんでいいッ」
「いだぁッ」
思いっきり殴りつけられてよろける彼を振りほどくと、ダイスケは袖のほこりを払いつつ、僕をにらみつける。
「……お前たちは、なぜここにいる」
「機嫌悪そうだね」
「お前には、関係がない」
「でも少し予想していた、という顔もしている」
「―――――」
「いや期待していた、か。どちらにせよ、君自身に納得のいかないことがあったんだろうね。
それはおそらく、報道されているように『志野原歩美が自殺した』という結果だ。
どうだい刑事さん?」
「知った風な口を利く……!」
「そりゃ知っているさ。何年つるんでいるんだい、ダイスケ?」
「……くそが」
「遺体、まだここにあるんだろう。見せてくれないかい? もしそうなら、僕らもここに来た理由を教えてあげよう」
「……」
「その顔に浮かぶ違和感も、解消してやれるかもしれない」
「―――――さながら、詐欺師のセリフだな」
「ありがとう」
「はぁ……ヒジリ。少しばかり人払いを願えないか?」
クシャリと髪をかき上げるダイスケを見上げ、ヒジリ君は少し目を見開いて驚いたような声を上げた。
「い、いいんですか?」
「どうせこの件はすべて自殺として片づけるつもりらしい。後は周辺住民の聞き込みと遺族の状況を聞いて自殺に至るまでの整合性と取るだけだ。
だが、俺は―――――悔しいが納得がいかんのも然りだ」
何度目かの深いため息を吐き出すと、ダイスケは若干肩を落とし諦めたかのようなそぶりを見せ背中を向けて堤防を降りていく。
「シロウ」
と、歩きながらこちらをぎろりとにらみ、ダイスケは恨めし気に呻く。
「遺体は俺とヒジリの三人で見てもらう。そこのバイトの彼は席を外してもらう。いいな」
「どうしてだい?」
「何かあったとき、牢屋に入れるのはお前だけにしておきたい」
「お優しいことで」
「少し待っていろ」
そう言ってアパートへと戻っていく二人を見送りながら、私は肩をすぼめて見せた。
「すまないね。カオル君」
「はい。でも、意外とすんなりでしたね」
「彼も私と一緒だよ。何か違う、そんな違和感を感じて、だけど立場上動けずにいるんだよ」
「あの刑事さんとはどこで知り合ったんですか所長」
「小学六年生のころ。一学期で席が隣同士になってからずっと一緒の学校、クラスで大学じゃあサークルまで一緒の腐れ縁」
「……相手、そろそろうんざりしているでしょうね」
「違いない。これが女なら多少はロマンスもあるんだろうがね」
私は帽子を脱ぐと、踵を返して、私とダイスケの反省を思い浮かべてうんざりとした表情を浮かべているカオル君の頭に被せた。
そうして唐突な動作にきょとんとしている彼に、私は次の指示を送った。
「カオル君。私の車に戻っても構わないが、できればこの河川敷のあたりを見回ってくれないか。
ただ、顔はできるだけ隠してくれ。帽子があればなんとかなるだろう」
「……どういうことです?」
「放火犯は概して、自分のやったことを見て悦に入るため現場に戻ると聞く」
「……」
「もし見られても、悟られないようにね。何に、とは言わないけど」
「所長は、やっぱり」
「遺体の状況次第かな。ただ僕の予想が正しいとすると」と言いつつも僕はそれ以上を口にせず、アパートへと足を運ぶことにした。
「じゃあ、よろしく」
「―――――了解です」
帽子を目深にかぶる彼を横目に確認しつつ、私は黄色いテープの張り巡らされた現場へと足を踏み入れた。
確かに仕事をしている警官の姿はなく、私はアパートの一室、ブルーシートの張り巡らされた二階への階段を上ろうとした。
「シロウ」
と声をかけられ振り返れば、そこにはダイスケがムスッとした表情で階段を上る私を見上げていた。
「どしたんだい?」
「こっちだ。ついてこい」
そう言われ言われるままについていけば、私は大きな警察車両の中へと連れ込まれて、薄暗い車内に座らされる。
目の前には台座に安置された細長い厚手の布袋。チャックがついていて、何かが入っているのが見えた。
「ヒジリ。頼む。俺はこいつがバカをしないように見ている」
「了解です」
そう言ってヒジリ君は手袋をした手でそのチャックを大きく下におろしていく。
そして、 露わになる『志野原歩美』だったもの。
「そっか……」
―――――人の死体、であるのだろう。
「……どう思う?」
ダイスケの声が車内に響き渡る。
そこには、裸体の人の遺体が横たわっていた。
外見からわかるのはそれだけ―――――男性なのか、女性なのか。そもそも人のソレなのか判別がつかないほどにそれは、破損していた。
頭と胴体はかろうじて肉の筋と砕けた骨だけで繋がっていた。
胸元は激しく崩れ落ち、肋骨とその奥からとろけ切った内臓がむき出しになっていた。
手足はもがれていて―――――否、重力から千切れて間接が胴体からむき出しになっていたのだ。そのうち右足はすでに白骨化して、遺体の隣に転がっていた。
目玉は今にも零れ落ちそうなほど飛び出していて、瞼はなかった。頬がはがれて、顎の歯がむき出しになろうとしていた。
そして、驚いたのが、下腹部。
ぽっかりと空いた腹には、内臓がまるっきりなくなっていた。
胃、肝臓、小腸に大腸、そして膀胱に腎臓、臓器が一切なくなり皮だけがダランと布袋に張り付いているのが見えた。
「……」
「―――――シロウ。俺は思うんだ」
「3時間後」
「……」
「いつもの喫茶店で待っていてくれない?できればヒジリくんも一緒に来てほしい」
「わかった。できるだけその時間に行く」
「部屋を見せてもらっていいかな。後大家さんと話がしたい」
「マスターキーを渡そう。後大家は今別の場所に居を構えている。場所は整理がついたら携帯に連絡する」
そう言って、ポケットから鍵を一つ取り出すダイスケに手を差し出すと、私は志野原歩美の部屋の鍵を手に入れた。
「ありがとう。後ダイスケはこの遺体に触った?」
「ああ」
「なら、答え合わせは正確にできるね。といってもおそらく僕と君の考えにそれほど齟齬はないと考えているけど」
「……そうだな」
「実はね、僕の事務所に昨日、志野原歩美と名乗る女性が昼の1時ごろやってきたんだ」
その言葉にダイスケは目を皿のようにし、ヒジリ君は「ひぇッ」と小さな悲鳴をこぼして後ずさりをした。
「彼女は僕にこう依頼した。『私が殺した人』を探してください、とね」
「―――――わけがわからん」
「最初は共犯ありで誰かを殺したのかと思った。で、今日、自殺に見せかけて殺されたのかとも考えた。
だけど、この死体の状況から考えてそれはなさそうだ」
私は大きなため息をつくと、ヒジリ君に「ありがとう、チャックを締めてくれ」と言って、彼はその通りに恐る恐る布袋のチャックを締めた。
そしてゆっくりと見えなくなっていく『志野原歩美』の崩れかけた顔を横目に、私は車両から地面に足を下ろす。
「いやな展開だ。本当に泥の底を見ないといけなくなるなんてね。もっと上っ面のいざこざで終わればそれでよかったんだけど」
「お前の言い回しは、今も昔もよくわからん」
「いつものことさ。
打ち合わせは三時間後。僕の今後の行動を話したいし、それに合わせて君にも少し手伝ってもらわないとね」
「悪いがこっちは警察だ。そこまで民間人に協力は……」
彼は昔から、深みに入ろうとすると、一歩引いて安全牌を切ろうとする―――――嫌いじゃないけど、今はそういう場面じゃない。
私は言いよどむダイスケへと振り返った。
「君も、真実へ至る道筋を知りたいはずだ。僕と君は同じ探偵サークルに入っていたものね。君の考えは僕も知っているつもりだよ」
「……知った風な口を」
「もう一つ。これは宣言だ。このまま自殺として放置すれば、数か月後、またこの近くで死人が出るだろう」
「……」
「ずいぶん先の話、だなんて君は思っていないだろう?」
「まったく……それも含めて3時間後だ」
「ありがとう。じゃあ後で連絡頂戴ね」
そう言って僕はガクリとうなだれるダイスケを横目に、黄色いテープラインを潜り抜け現場を後にした。
遠くに行ったであろう、カオル君を探しに河川敷に降りることにした。
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