第6話 12月14日 「息子の変化②」

十二月十四日

 四日ぶりの仕事はけっこう応えました。お父さんの蒸発を機に始めた保険の営業も気づけばもう七年。人様に何かを売る仕事なんて自分では無理と思っていたから、我ながらよく続いたと思うわ。追い込まれれば、人って何でもできるものね。でも人間追い込みすぎは駄目。今回の件で嫌というほど思い知らされたわ。

では、昨日の続き。


 真と話さなければいけないことは沢山あるはずなのに、どんな言葉をかけていいものか。何も言えないまま私は電気を消して、ソファに体を横たえました。

「寝た気しないだろ。俺がそっちで寝るから布団使いなよ」

 以前泊まった時には、あなたはそう言ってくれたわよね。別に優しい言葉を期待したわけじゃないのよ。ただそんなことが、ふと頭をよぎったの。真の静かな息遣いに揺られながら闇をどれくらい見つめていたでしょうか。小さな声が降ってきました。

「あのさ……俺……仕事辞めていいかな」

「……何かあったの?」

 長い沈黙の後、ぽつり、ぽつりと話してくれたのは、こんな内容でした。

 毎日終電始発で働いていること。その結果、月の労働時間が四百時間近いこと。月の休みもほとんどないこと。売上げ目標のプレッシャーが厳しいこと。それでも一年目はなんとかやっていけたこと。二年目に移動した店で、上司にパワハラを受けていること。

「毎日毎日毎日毎日、みんなの前で店長にバカ、グズ、気持ち悪いって」

「別に誰でも良かったんだと思う。たまたまその店に配属された新人が俺で、たまたま店長に目をつけられた。それだけ」

「業務日誌にさ、米粒みたいな小さい文字で、ノートにびっしりと反省文書かされるんだぜ。『何時何分に来店されたお客様への挨拶が小さかったです。反省しています』『朝のトイレ清掃で便器の磨き方が足りませんでした。反省しています』って。身に覚えのない反省の理由を捻りだすために、終電過ぎてもノートとにらめっこ。いい大人が」

 渇いた笑いが聞こえたのは気のせいかしら。

「家に帰っても悔しくて情けなくて眠れなくて。毎日酒を呑むようになってたんだ。それこそ浴びるように。明日も朝から仕事なのに止められなくなって」

「部屋も全然片付けられない。店長からだと思うと電話も出られない。メールも見れない」

「そんなになるまで」と言いかけた私の言葉を遮ぎるように、

「……あいつとさ…………ここで簡単に逃げたらさ、あいつと一緒じゃん。辛いことから目を背けて簡単に放りだして」

「あいつって、お父さんのこと」

「そうだよ。ここで負けたら一生逃げ癖がついてまわるんじゃないかって。だってあいつと俺、同じ血が流れてるんだぜ。そう思うと辞められなかった」

 まくしたてるように話していた真は、最後に「でももう無理」と言い、電池が切れたようにまた黙り込んでしまいました。

 そうなのよね。傷ついてないわけがないのよね。高校生が父親に逃げられて。周りのみんながサークルやら合コンやらで青春を謳歌しているその横で、一人新聞配達をして。恨みつらみを誰にも言えずに抱え込んで。

「いつでも家に帰ってきなさい」

 かける言葉全てが真を傷つけそうで、それ以上私には言えませんでした。


 二日になってしまいましたが、これが今回の東京行きの顛末です。とりあえず年明けにもう一度会う約束をして、真とは別れました。ほんとはすぐにでも連れて帰りたかったのだけれど、流石にそれは無理みたいだったので。これを書いてる間、言いようのない怒りが湧きあがってきました。なんで真がこんな目にあわなきゃいけなかったのか。その上司に直接会ってビンタの二、三発を食らわして、問い詰めたい気分よ。かしこ。


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