(16)愚者の顔

「だけど、改めて考えると……、もう本当に絶望的だよな。こんな裏事情ありまくりの姉さんなんて、誰が結婚してくれるって言うんだよ……

「にゃ?」

 イーダリスの口調が変化して、半ばヤケ気味に呟いた為、サイラスは少し驚いて彼を見やった。


「ネリア姉さんは素直に侍女勤めだけをして、公爵夫妻に可愛がられて真っ当な縁談を仲介して貰って、とっくに結婚して子供もいるっていうのに……。姉さんにも公爵様達が、色々と相手を紹介してくれたのに、『骨になるまで、ファルス公爵家に忠誠を誓います! 結婚なんてしてる暇ありません!』と断言して突っぱねて。もう適齢期云々の話じゃないぞ……」

「にゃぅ……」

 がっくりと肩を落とし、ベッドに両手を付いて前傾姿勢になったイーダリスに、サイラスはかける言葉も無かったが、そのうちに彼の声が段々涙声になってきた。


「そ、それもこれもっ……。元はと言えば、父さんと俺が、不甲斐ないせいでっ……、本来何の責任も無い姉さんが、一生独り身にっ……」

 そこで声を詰まらせ、ゴシゴシと目を擦ったイーダリスを不憫に思ったサイラスは、優しく声をかけた。


「みゃお~ん」

(本当に家族思いで、苦労性の良い奴だな……。安心しろ。俺がソフィアを貰ってやるから)

 サイラスが声を上げながら、イーダリスの左手に自分の前脚を軽く乗せて、トントンと宥める様に軽く何度か叩いてやると、イーダリスは呆気に取られた表情になってから、徐々に両眼から涙を溢れさせた。


「サイラス? お前ひょっとして、俺を慰めてくれいるのか?」

「にゃん!」

 力強くサイラスが頷いた途端、イーダリスは滂沱の涙を流しつつ、サイラスを勢い良く引き寄せて、自分の胸で抱き締めた。


「サ、サイラス! 俺は今、もの凄く感動してるぞ!! ありがとう、猫の身で俺の愚痴を黙って聞いてくれたばかりか、慰めてくれて! 何てできた猫なんだ、お前はっ!!」

「むぎゃっ! もがっ! にぎゃぁぁ~っ!!」

(こら、ちょっと待て、離せ! 窒息するっ!!)

 じたばた抵抗するも、イーダリスにしっかり抱き締められて殆ど身動きができないサイラスは、本気で酸欠になりかけた。


「俺、頑張るから! 何としてでも、上手く事を運んでみせるぞ!」

「ぶふぁっ!! ふぐっ!」

(分かった! 分かったから! 取り敢えず手を離せっ! ……こうなったらイーダリスには悪いが、力ずくで!)

 生命の危険に晒された為、魔術を行使しようと首輪のガラス玉を探って人語を話せる様にしようとした時、ドアをノックする音が響いた。


「坊ちゃま。お休みのところ、申し訳ございません」

 その呼びかける声に、イーダリスはサイラスを放してベッドを降りながら言葉を返した。


「どうした? 起きていたから構わないが?」

「ふみゅぅ~」

(た、助かった……。本気で死ぬかと思ったぞ)

 やっと人心地付いたサイラスが脱力してベッドに突っ伏していると、イーダリスはドアの向こうに声をかけながら歩み寄り、ドアを開けて老執事のベンサムに尋ねた。すると彼が、困惑も露わにある事を告げてくる。


「それが……、門の所にお客様がお出でです」

「こんな時間に客?」

「魔導信では、ルーバンス公爵家のロイ殿と仰っておいでですが……」

 盛大に顔を顰めたイーダリスだったが、事情が分かった途端、苦々しげに溜め息を吐いた。そしてすぐに、ベンサムに指示を出す。


「分かった。後は俺が対応するから、ベンサムは寝直してくれて構わない。ああ、その前に、門の前で馬鹿面晒してる阿呆野郎に、ちょっとだけ待っていろとだけ伝えてくれ」

「はい、夜分でもあり、少々お待ち頂くようにお伝えしておきます。それでは失礼します」

 年若い主の乱暴な言葉を全く動じずに受け止め、ベンサムは自分が為すべき事を為すために、その場を後にした。そしてイーダリスは手早く寝間着から普段着に着替えながら、サイラスに尋ねてくる。


「サイラスも来るか? 愚か者の顔と言うのがどんな代物なのか、見せてやるぞ?」

「にゃう、にゃ~ん!」

「よし、決まりだ。付いて来い」

 即座に声を上げたサイラスに、イーダリスは皮肉っぽく顔を歪めてから、彼を引き連れて寝室から出て行った。

 そして一人と一匹は階段を下りて玄関を抜け、真っ直ぐ門へと向かうと、確かに堅く閉じられた格子状の門の向こうに、昼間見たロイが立っているのを認めた。


「これはこれはロイ殿。こんな夜更けに、我が家に何用でしょうか? 自分の屋敷に戻るならいざ知らず、他人の屋敷を訪問するには、かなり非常識な時間帯だと思うのですが?」

 昼間に見せた礼儀正しい態度をかなぐり捨てて、冷たい視線と口調で応対してきたイーダリスに、ロイは一瞬怯んだが、すぐに居丈高に言ってきた。


「何を呑気な事を言っているんだ!! 今は非常事態だろうが! さっさとここを開けないか!?」

「これは面妖な事を仰いますね。一体どんな非常事態だと仰るのですか?」

 心なしか馬鹿にした口調でイーダリスが問い返した為、ロイは若干腹を立てながら怒鳴りつけた。


「この屋敷の敷地内に、塀を乗り越えて賊が侵入したんだ! 一刻も早く対処しないと、大変な事になるぞ!」

「賊? 何かの見間違いでは無いんですか? 敷地内に何も異常はありませんが」

「いや、確かに私がこの目で見たんだ! 全く……、偶々私が家の者を引き連れて通りかかったから良いものの、賊の侵入にも気が付かないでお休み中とは、近衛軍所属の方にしては、随分危機感が足りないのでは無いか?」

 惚けたイーダリスに向かって主張したロイは、最後は些か侮蔑的に笑い、かれの背後に馬を引きながら佇んでいた家臣らしき男達も薄笑いを漏らした。しかしイーダリスはそれに微塵も動じず、その顔に呆れた表情を浮かべながら、ゆっくりと門を開ける。


「そこまで仰るなら、皆さんに敷地内をご覧になって頂きましょう。どうぞお入り下さい」

 そうして招き入れられたロイ達は、意気揚々と庭に向かって足を進めた。その時、サイラスが空の変化に気が付く。


(雲が流れて……、月明かりが戻ったか)

 煌々と輝く月明かりに照らされて、一般家庭から比べると勿論広いものの、ルーバンス公爵邸とは比べ物にならない狭さの庭は、手分けして探索すれば大して時間もかからずに異常が無い事を確認できた。

 この間イーダリスは素知らぬ顔を貫いていたが、当てが外れたロイ達がガサガサと茂みや木立の中を歩き回って確認するふりをしながら、「おい、さっさと出て来い」と小声で呼びかけているのを耳にしたサイラスは、必死に笑いを堪えた。


(さっき邸内にも叫び声が聞こえて来たが、塀の外にまで聞こえていたなら、こいつらがこんなに平然としてる筈も無いな。と言う事は、ジーレス殿がしっかり防音作用のある結界を張っているって事で、こいつらが押し掛けてくるのは想定済みなんだから、何らかの対処はしている筈)

 そんな事を考えたサイラスは、余裕でロイ達が庭中を捜索しているのを眺めた。そして彼らが暫くの間、居もしない賊を探し回って無駄に時間を費やしてから、如何にも付き合いきれないと言う様に声をかけてみる。


「どうやら賊などは、一人として我が家に侵入していない用ですね。お気が済まれたと思いますので、時間も時間ですし、家臣の方を連れてお引き取りを」

「いや、しかしここに賊が居る筈だ!」

「何を根拠にその様な事を仰るのか、理解に苦しみますね。ロイ殿は酒乱の気でもおありなんですか?」

 最早礼儀の欠片も無く、冷ややかに言い切ったイーダリスに、ロイが顔色を変えて怒鳴り返した。


「何だと? 貴様、失礼だろうが!」

「それではお伺いしますが、深夜にいきなり押しかけて、難癖を付けて庭に押し入る行為が礼儀に適った行為だとでも? 泥酔して、正体を無くした上での理屈の付かない行動なら、まだ世間的に笑って許されると思いますが」

「何だと!?」

 血相を変えたロイだったが、彼が引き連れてきた家臣達は、さすがに自分達の形勢不利を、主より理解していた。


「お止め下さい、ロイ様」

「何をする! 離せ!」

 二人がかりでロイの腕を取って拘束した上で、代表格らしい年配の男が、恭しくイーダリスに頭を下げて謝罪した。


「ご推察の通りです、イーダリス殿。ロイ様は今夜は少々、お酒が過ぎた様です。私共に免じて、ご容赦下さい」

 それを受けて、イーダリスは鷹揚に頷いた。


「そういう事なら、我が家も必要以上に事を荒立てるつもりはありません。ロイ殿を連れて、お気をつけてお帰り下さい」

「はい、それでは失礼いたします。皆、行くぞ」

「……了解」

 そしてロイ以外の者達の間で話が纏まり、ロイは半ば引き摺られる様にして、門へと向かった。


「こら! どうして引き上げるんだ! 絶対ここに、賊が居る筈だろうが!!」

 盛大に喚いているロイを引きずり、最後はなにやら言い含めて馬に乗せた家臣達は、憤懣やるかたない表情の主を連れて、ステイド子爵邸の門の前から走り去って行った。


「……もの凄い、馬鹿面だっただろう?」

「にゃ~う」

(痛々しい位だな)

 門を元通り閉めたイーダリスは、サイラスを見下ろしながら尋ねてきた為、サイラスも正直に感想を述べた。そして一人と一匹は、何事も無かったかの様に、邸内へと戻っていった。

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