(10)サイラスの衝撃
「単刀直入に言えば、一目惚れだと思う。話してみても偉ぶらない、控え目な人だけど、きちんと自分の意志はある人の様に思えたし」
「ちょっと! 目を覚ましなさい! 確かに家は貧乏借金持ちだけど、あんたは爵位と領地を継ぐ人間なのよ? それに近衛軍で立派に務めを果たしているんだから、この先もっと良い縁談が来るわよ!」
「でもそうなると、やっぱり相手は貴族のお嬢様だろう? 自分専属の召使いの一人も付かない家なんて、侮辱されたと思うんじゃないかな? それに彼女は公爵家内でも使用人と変わらない暮らしをしているみたいだし、うちで生活しても支障はないと思う。好都合だね」
「何が『好都合だね』よ! 私は認めないわよ!? エリーシアさんやその他大勢を認知もしないで放り出して、いざ彼女達が頭角を示したら嬉々としてする寄って来る様な、恥知らずな一家!!」
「その理論で行けば、シェリル姫様を王子と偽って放り出し、誘拐された事にしてライバルに疑いが向く様に仕向けたアルメラ妃の方が余程腹黒いと言えるし、その弟であるファルス公爵が、今忠臣顔で内政を取り仕切っているのが片腹痛いな」
面白く無さそうにイーダリスがそう言った瞬間、ソフィアは勢い良く椅子を後方に蹴倒しつつ立ち上がった。そして二歩で弟の前に立ち塞がり、胸蔵を掴み上げながら隠しようも無い殺気を放つ。
「こんの愚弟がぁぁっ!! 今すぐあの世に送ってやる!!」
「止めろ、ソフィア!!」
「ですが、頭領!!」
顔だけジーレスの方に向けて抗議したソフィアに、彼は厳しい顔付きで引き続き命じた。
「止めろと言ったのが、聞こえなかったか? 今すぐその手を放せ」
「……分かりました」
不承不承といった感じで彼女が掴んでいたイーダリスの服を離すと、引っ張られて腰を浮かせていた彼は、とすんと再び一人掛けの椅子に座った。そして申し訳なさそうにジーレス達に向かって、頭を下げる。
「先程は売り言葉に買い言葉とは言え、ファルス公爵家に関して不敬な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
しかしそれを聞いた男達は、苦笑いで応じた。
「うん? 若さんが何か言ってたか?」
「さあ……、怒りっぽいソフィアの、眉間の皺が固定化されてきたって話だったかもしれないが」
「そりゃあ大変だ。お前、一つ弟子に良い美容液の精製法でも教えてやれよ」
「そうだな。いつまでも若いつもりでいると、大変だ。何しろさっきは自分で『売れ残り年増女』とか言ってたしな」
「……師匠、先生。喧嘩売ってるんですか?」
歯軋りでもしそうなソフィアを見て、男達は笑いを堪える表情になったが、いち早く真面目な顔付きに戻ったイーダリスが切々と訴えた。
「さっきの言動は、確かに俺が悪い。姉さんが怒ったのも当然だ。だが姉さんもルーバンス公爵家という括りで、彼女について断定して欲しくないんだ。実際に会って、直に会話して貰ったら、彼女がどういう人となりかは分かると思う。頭から決めつけたりしないで、見合いの席で判断してくれないだろうか? その為に、二組同席でという事にして貰ったから」
それを聞いたソフィアが、僅かに目を見開いた。
「え? あんたが根回ししたの?」
「ああ。本当は別々の日時で設定されていたんだが、父さんも母さんもネリア姉さんも『ソフィアが良いと判断したら結婚しても良い』って快諾してくれたから」
「それ、快諾したんじゃなくて、面倒事を押し付けただけでしょう……」
自分の席でぐったりとしながら頭を抱えたソフィアだったが、少しして溜め息を吐いた彼女は、顔を上げて真っ直ぐ弟を見据えながら口を開いた。
「全く……。あんたは子供の頃から、止めろと言っても聞く耳持たなかった所があるものね。分かったわ。取り敢えず見合いの席で、相手のお嬢さんがどういう女性か観察してみましょう。でもやっぱり駄目だと思ったら、なりふり構わず断らせて貰うわよ?」
苦笑しながらそんな事を言ってきたソフィアに、イーダリスも笑い返す。
「ああ、それで良いよ。だけど姉さんと気が合うと思うな」
「あんたね……、何よ、その自信満々な態度は」
そこで一気に室内の空気が解れて雑談を始めると、その空気を読んだのか老齢の執事がやって来て、ソフィアに一礼して報告した。
「ソフィア様。先程グラント伯爵家から、お嬢様宛に荷物が届きました。ご歓談中でしたので、お部屋の方に運び込んでおきましたので」
「ありがとう、ベンサム。……ああ、それから、この子の寝る場所とか、準備しておいてくれない? この子が飽きるまで、うちで暫く飼う事になったから」
「畏まりました」
椅子と椅子との間に行儀良く座っていたサイラスを視界の端に捉えたソフィアが、ついでに昔からの使用人である彼に指示を出すと、彼は少し驚いた様な表情になったものの、穏やかな笑みを浮かべて引き下がった。
そしてサイラスの話題が出た事で、その存在を思い出したイーダリスが、彼を見下ろしながら真顔で言い出す。
「飼うなら、名前が無いと不便だよな。姉さん、この猫にはどんな名前が良いと思う?」
「名前? そうねえ……」
そうして小首を傾げたソフィアは、椅子から立ち上がってサイラスの前でしゃがみ込んだと思ったら、いきなり両手を伸ばしてサイラスの前脚の付け根に差し入れた。
(え? おい! ちょっと待て!?)
サイラスが抵抗する間も無く、ソフィアは彼の脇を掴んだまま立ち上がり、必然的にサイラスは腹を見せた状態で彼女に持ち上げられている状態になった。そしてジタバタしている、サイラスの伸びきった身体を見て、冷静に一言述べる。
「オスか……。じゃあ、サイラスにでもしておけば?」
淡々とそんな事を言いながらソフィアがイーダリスに彼を渡すと、イーダリスは慎重に受け取って抱き込み、優しく頭を撫でながら話しかけた。
「分かった。じゃあ君は今日からサイラスだね。宜しく」
「……みゅょう」
「さあ、そうと決まれば、気合入れてドレスを選ぶわよ! あ、そう言えば、イーダの方は衣装とか大丈夫なの?」
「新年の祝賀行事用に作った物があるから、それでなんとかするよ」
よろよろとイーダリスの腕から抜け出たサイラスは、無意識のままに椅子から絨毯の上に飛び降り、他の者達が雑談をしながらぞろぞろと談話室を出て行った事にも気が付かないまま、身体を丸めて蹲っていた。
(見られた……。いや、見られたのは猫の身体なんだから、気にする事は無いんだ、別に。だが、どうしてここで俺の名前が、いきなり出て来るんだよ!? しかも無表情で!!)
色々予想外の衝撃から立ち直れずに悶々としていたサイラスだったが、ふと視線を感じて顔を上げると、無言で自分を見下ろしているジーレスの顔が目に入った。
「…………」
(げっ! この人、まだここに居たのかよ? 何か余計な事を、口走っていないよな!?)
一気に正気に戻り、冷や汗をかいて固まったサイラスを見て何を思ったのか、ジーレスは片膝を付いて手を伸ばしてきた。それを避ける事も出来ずに大人しく受け入れると、かれはサイラスの頭を軽く撫でながら、憐憫の表情で囁く。
「色々大変だと思うが……、まあ、頑張れ。応援だけはしてやる」
そんな含みの有り過ぎる台詞に、どう反応して良いか全く分からなかったサイラスは、微動だにしないまま内心でパニックに陥ったが、ジーレスはすぐに撫でるのを止めて、何事も無かったかの様に部屋を出て行った。
そして結構な広さがある談話室に一人取り残されたサイラスは、嫌な予感と闘う羽目になった。
(……ばれて、無いんだよな? 誰か大丈夫だって、言ってくれ!!)
ステイド子爵家潜入第一日目にして、サイラスの行く手には暗雲が立ち込めていた。
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